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子供の頃の思い出(その11) ふるさとの秋祭り

2013年05月19日 | 子供の頃の思い出

子供の頃の思い出(その11)ふるさとの秋祭り

東伊豆海岸の半農半漁の小さな村に育った

私のお祭りの原点は、
誰がなんといおうが
子供の頃の秋祭りである

 昭和38年頃までの村の殆んどの家計は、

定置網漁」でささえられていた。

その定置網に「寒ブリ」が大漁の昭和33年頃までは、

小さな漁港も村中も活気付いていた。

勿論、そのお祭りを仕切るのは、

村のサラリーマン漁師達である。

 その当時、小学校頃までの私の父は、

地元青年団の団長を務めていた。


 秋祭りの1週間前頃になると、

若い衆達や漁師の奥さん達が我が家に集まりはじめ、
大人達は子供の頃に戻ったようにワクワクしながら

秋祭りの準備にとりかかりはじめるのでした

田舎歌舞伎」をするための舞台を組み立てるのは、

若い衆の仕事だ


小さな神社境内にある社務所

(毎日、青年団が寝起きしていた施設を兼ねる)
の神社境内(広場)側の窓を取り外すと、

立派な舞台に生まれ変わるという仕掛けだ。

そしてお祭りの、
10月24日~26日の3日間の昼間帯における

酒盛りをするための料理をつくるのは、

青年団員の妻達の仕事である

そのため我が家は、お祭りの準備から終わるまでの

約10日間が、村中の人に占拠されてしまうと

いっても過言でない

 子供心に

「お祭りって、ものスゲェ団結力があるナァ・・・」

って驚いていました

またお祭りが始まる2日前頃、隣村から「床屋」さんを

呼び、我が家の玄関先に
臨時の「床屋」をつくり、村中の子供から大人達まで

順番を待つ列ができ、綺麗にしてもらう慣わしがあった

当然、青年団長である父の息子の私は、

一番最初に理髪をしてもらったことを
今でも鮮明に覚えている

お祭り当日、
我が家における、祝いの酒盛りが

ピークを迎える頃になると、
青年団による、恒例の「
神楽」や「祭りばやし

演じられた

<神楽・祭囃子のイメージ・イラスト>

 

そして、その頃になると
我が家の庭先には子供や大人の村人が

大勢集まり、お祭り気分も最高潮に
達するのでした・・・

 なんといっても夜のイベントは、

小さな三島大社の境内につくられた

仮設舞台での「田舎歌舞伎」の公演である。

<歌舞伎のイメージ・イラスト>


裸電球で照らされる舞台、そして地面に

直接敷いたゴザの上で、
お母さんの手作りの「
郷土・お祭り料理」を

家族そろって食べながらの
歌舞伎観劇・・・・・ウメぇ、美味しいネェ

 ここでの田舎歌舞伎の人気演目は、
日本三大仇討ちの一つ「
曽我兄弟仇討ち」の
原点である、「
曽我の対面」である

子供の頃に親父の膝の上で座って観た、

この「曽我対面」にでてくるセリフ
赤沢山の南尾崎・・・」とは、

私が育った田舎のことである

そのセリフが神社に響く頃、村人達は

おらァ・地元の歌舞伎だァ・・・」と
大興奮したものでした

<ヒトコト>

 新しい歌舞伎座での「曽我の対面」公演

を是非・観に行きたいですネェ

以上。

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