田中悟の片道旅団

大阪で芝居と弾き語りをしています。

だとすればカルマ

2023年12月12日 | 日記
「だけど割り切ろうか。
12月。
割り切るには良いタイミングかも知れない」

なんて前回のブログで書いたけれど一体何を割り切ろうというのか。

一年は早い。年齢を重ねるほど時間の流れが早く感じるのは論理的に説明がつくことだけど、早く感じるだけでなく実際に早くなっているんじゃないだろうかとさえ思う。或いは一年という長い長い月日の中で自分の成長があまりにも遅いから時間が足りないという状態になって、それで月日の経つのが早く感じるのではないだろうかとも思う。説明が下手だ。

そんなことより何を割り切るのかについての話だ。
幼少の頃に悩みがスタートして今も解決していないからいつも昔のことばかり思い返しているということはあらためて自覚出来た。そこでまたあらためて新しい疑問が生じる。その悩みは環境や境遇や生い立ちが原因なのだろうか?もしかするとどんな環境に生まれていても同じ悩みを抱えて生きていたかも知れない。「静かに安らぎたいのにそれが出来ない」という悩み。確かに生れ落ちた環境は色んな意味で煩すぎる世界だった。喧騒、罵声、雑音、怒声、愚痴、恨み、妬み、憎しみなど。しかしそれらは悩みの原因ではなく悩みへと誘うきっかけとして用意された仕掛けだったのかも知れないということだ。もしかしたらこの悩みは生来のものかも知れない。だとすればカルマだ。





「時間は存在しない」とか「今しかない」とか「時間は未来から過去に流れている」とか、そんな話をよく目にする。頭から否定はしないが個人的にはあまり受け入れられない。自分としては時間は存在するし、今だけじゃなくて過去と現在と未来があるし、時間は刻一刻と積み重なっているように感じられる。線路のように一本に繫がっているイメージだ。切り替えのポイントは無数にあるけど過ぎてしまえば一本道のような気がする。そして私は前方を見るよりも後方を振り返ることに多くの時間を費やして生きている。どこに向かって走るかよりもどこからスタートしたのかということに固執してしまっているのだ。行き先には興味がなく理想を言えばレールから降りて静かにしていたい。ある意味で脱線した人生なので少しだけ理想を叶えつつはあるのかも知れないが片道旅行の途中にいることに変わりはない。

だけどやっぱりそろそろ割り切ろうか。

幼少の頃の苦しみや失望や絶望についてはもういい。「三つ子の魂まで」とはいうもののそこからかなりの時間を生きているのだ。次は少年の魂について。線路は続くよどこまでも。








【LIVEスケジュール】
総持寺チェンノガット
【日時】12/17(日)※詳細未定
【料金】ノーチャージ(別途2オーダー要) 投げ銭あり
【場所】総持寺チェンノガット
【出演】田中悟 他
瓢箪山MK2
【日時】12/23(土)18時オープン19時スタート
【料金】チャージ800円+1ドリンク(500円〜)
【場所】瓢箪山MK2
【出演】田中悟 チュウ 納ゆきえ 郷原幹樹 アッサンズ・ラブ
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