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(国策の果て もんじゅの20年:上)原子力機構、変わらぬ甘さ
2015年11月19日05時00分
1兆円が投じられた巨大なプラントが、晩秋の日本海の前で色あせていた。
福井県・敦賀半島の端に立つ日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉「もんじゅ」。原子力規制委員会が運営主体の交代を勧告した13日も、作業員が機器の点検を続けていた。構内の廊下の壁には、長期停止の原因になった20年前のナトリウム漏れ事故の現場写真。別の所には「一人ひとりが『自分が主役』の意識を」とする児玉敏雄理事長のメッセージもあった。
もんじゅは、空気や水に触れると激しく反応するナトリウムを冷却材に使っている。そのナトリウムは電熱器で加熱して液体に保たれ、今もずっと原子炉と配管の中を流れている。電気代を含め、維持管理などにかかる国費は1日約5千万円。年間約200億円。
規制委は勧告で点検不備を繰り返す機構を「失格」と認定した。地元に住み、25年前からもんじゅの技術者として働いてきた機構の弟子丸剛英特任参与(61)は目を潤ませた。「互いに暗黙の了解で点検作業を進め、点検の前提となる認識がずれていないかどうかの確認が徹底できない甘さがあった。住民の方に申し訳ない」
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研究開発炉として失敗を経験しながら改良を重ね、自分たちだけで体制を築いていく――。もんじゅを進める人たちのそんな意識は、事実の確認や社会への説明をおろそかにする甘さとして、ナトリウム漏れ事故後の対応に表れた。
事故は1995年12月8日午後7時ごろ、出力40%の試験運転中に起きた。職員ごとの事実認識の違いなどから、当時の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は関係者しか近づけない現場に事故直後に入っていたのに発表せず、撮影したビデオも短く編集していた。「ビデオ隠し」「隠蔽(いんぺい)体質」と厳しく批判された。
福井県職員として調査にあたった岩永幹夫・若狭湾エネルギー研究センター常務理事は「社会の目の厳しさをわかっていなかったように見えた」と振り返る。
動燃はその後、別の施設でも事故を起こし、改組。もんじゅの再開は後回しにされた。2010年、試験運転にこぎつけた矢先、燃料中継装置を炉内に落下させ、また動かせなくなった。
今回の勧告の下地には、09年に電力会社を手本に導入した新しい点検制度があった。もともと商業原発向けの仕組み。「急に導入が決まり、点検計画は泥縄でつくらざるを得なかった」(機構関係者)。機器は重要度に応じて点検しなければならないが、どの機器を重要とするかなどの解釈が職員ごとに食い違っていた。これが後に点検不備を繰り返す原因になる。
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東京電力福島第一原発事故で原子力をみる社会の目は格段に厳しくなった。規制委が求める安全管理のレベルに機構と文部科学省はついていけず、埋もれていた問題が容赦なく掘り起こされていった。
12年に約1万点の点検漏れが発覚。機構が「未点検を解消した」などと報告するたびに、新たな不備が見つかり、指摘された保安規定違反は9回にのぼった。重要度の分類の誤りが1387点あり、うち15点は最重要なのに92年から一度も点検していなかったことが判明したのは先月だった。
更田豊志委員は、機構の新たな改革案を「動燃時代と変わらない」、動燃出身の伴信彦委員も「世界最高水準のチームでないといけないのに平均値以下だ」と突き放した。文科省はなお「問題の内容は改善している」と機構をかばった。
度重なる違反の指摘に、現場の疲弊は著しい。もんじゅ所長を務めた機構の向和夫フェローは案じる。「能力のある職員に柔軟性がまったくなくなっている。余計なことをしてはいかんと、脳ががちがちに見える。それが単純ミスを招き悪循環に陥っている」
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ナトリウム漏れ事故から20年を経て核燃料サイクルという国策の中核だったもんじゅが存廃の岐路に立たされている。問題の構図を3回にわたって報告する。