ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

無抵抗

2012-03-01 18:44:12 | ひとの幸福
10日位前の「見ざる言わざる聞かざる」というタイトルで、

こういうことを書いた。ネットからの文章だったけど。

「インドのマハトマ・ガンディーは常に3匹の猿の像を身につけ

「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えたとされており、

教科書などに「ガンディーの3猿」が掲載されている」


ガンジーの無抵抗運動というのは有名だ。

その無抵抗運動と3猿が関係してるなんて知らなかった。

“無抵抗”とは簡単にいえば、「柳に風」の柳状態のことだと思う。

「蛙の面にションベン」の蛙状態。

それは「悪を見るな、聞くな、言うな」なんだろうか。

蛙はションベンを“悪”と捉えないからこそ、

「蛙の面にションベン」で在りうる。

“悪”と見たら、ションベンを避けようとする・・んじゃないか。

柳は風を“悪”と見ないから、柳で在りえる。


悪を見るな、ということ自体 それを悪と見てる。

ガンジー自身が「悪を見るな、聞くな、言うな」と言ったというのは

嘘じゃないかな。それとも本当にそう言ったんだろうか・・・・
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ひとそれぞれ

2012-03-01 15:31:21 | ひとの幸福
人は本当に一人一人全く違う。

「十人十色」という言葉があるけど、

そう言うということは、千人千色ということだし、

60億人60億色というのと同じ。

それだからこそ面白いし、世界は豊かになる。

それぞれが関心の向く方向が違う。

何も絵だ書だスポーツだとかの大雑把な分類じゃなくって、

何故だか、そうすることに関心が行ってしまうもの、

なんだか、それをするのが好き、とかというのがある。

それもその時その時いろいろと変わるものもあるし、

小さい時から変わらずそれに関心が向く、というのもある。

どっちがホントでどっちがウソなんてことない。


関心が向く、興味が湧くことはそれをやる時に、

(やらなくてはならない)というような思いはしないもんだ。

やりたいからやる。

関心が向く事でも、今日は気が乗らないなんていう日もあるけど、

それも(今日はやろうと思わない)だけだ。

やるのもやらないのもストレスがない。


(やらなくてはならない)というのがあると、

それをやらない時に、心はスッキリしない。


世界中の誰でもが自分の関心の向くこと、興味が湧くことを

いつもして居られたら、ストレスが無い暮らしになるだろうなぁ。

苦手なことを無理強いさせられないで。


60億?80億?の人たち、全部それぞれだから、

それぞれが勝手に好きなことだけしていても、

全体で世界はうまいこと行くかもしれない。

そういうわけには行かない・・・ってすぐに高速思考しないで、

どうしたらそう“なるか”

何がそれを邪魔しているか、低速思考するのもいいかもしれない。
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南京大虐殺

2012-03-01 14:59:34 | 新聞を読んで
名古屋市の河村市長が何かの席で、

30万人もの中国人を虐殺したという、その数字は間違いじゃないか・・・

・・というようなことを発したようで、

今朝の毎日新聞の「木語」欄にもそれについての考えが載っていた。


日本人の“済んだ事は水に流して”という言葉が言っている内容は、

過去の現象に心が執着するのは理から外れているということで、

在った現象を無視することとは違う。


戦中に南京でどういうことが在ったのか。

誰が何を思って、なんの為に、そこで何をしたのか。

物事がどういうプロセスを経てそうなったのか。

30万人という数字は実際その通りなのか。

様々な利害関係を超えて、

在った目に見える現象・在った目に見えない現象である意識を観察しないと、

経験から学べない。


南京大虐殺といわれることについてたくさんの本が書かれているようだ。

けれど、こういうトラブルが起こるという事実から考えると、


世界中の多くの人は、

先入観や、偏見や利害関係に縛られて、

在った事実・現象を在りのままに観察することが出来る能力を

まだ発揮出来ない、未熟な状態で在る、

ということなんじゃないかな。

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ブツブツ・・・

2012-03-01 11:12:18 | ひとの幸福
「開けたくなかったけど、開けてと言われたから開けた」

・・というような表現を聞くことがある。

実際は「開けて」という言葉を聞いて、

開けたくないと思ったけど、しょうがない開けるか、

となったので、開けたというようなことだろう。

それはやりたくないと一度は思ったとしても、

次の時点で、しょうがない、開けるか、

という気持ちに変わったので、

開けるという動作をしたということではないかと思う。

それを表現的には「言われてしょうがなくやった」

と言うことがあるかもしれない。

ひとは何を言うのも自由なので、そういう表現をしたくてするのもなんの問題でもない。

積極的に進んで開けたいと思ったのではないとしても、

やる気持ちになったので開けるという行為をしたのだろう。

口でぶつぶつ言っていたとしても、

そうしたということがその人の意志。

ぶつぶつ言ってるのを聞くと「そんなに嫌だったらしなけりゃよかったじゃん」

と思ったりすることがあるけど、

やった方は渋々でもそれを開けることを自分で選択したので、

ブツブツ言ってるのを、こちらは気にすることではない、ということになる。

どうぞご自由に。好きなだけブツブツ言ってね。
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カーネーション

2012-03-01 09:51:09 | テレビを見て
今朝のNHK連ドラ「カーネーション」で、

主人公の三女がロンドンに行きたいと言って来ていて、

前々回かな、二人の姉が無理だと言って反対していたなか、

主人公はその時の話しの流れで「行ったらいい」と発していた。

今朝は又しても「無理だ無謀だ」と言われたときに、三女はこう発した。

「どないか、なる。犬がどこでも生きてるのと一緒や」って、

ニコニコして言ってた。

素晴らしい!!と思った。

この三女は今、多分【MICHIKO LONDON】というブランドの主なんだと思う。

なので、結果として、最初は言葉も話せなくても、ロンドンで成功したんだろう。

なんらかの願いをもっていて、尚且つ「どないか、なる」という境地が

「どないか、なった」結果を引き寄せたんだろう。

勿論すごく努力したろうけど。

「どないか、しないといけない」という努力じゃなかったのかもしれない。


「犬がどこでも生きてるのと一緒や」まことに至言。



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