物が豊かになる喜び という心の豊かさ は、
物が乏しくなると悲しむ・苦しむという心になる場合もある。
相手の態度次第で嬉しかったり腹が立ったりするのも、
それと同じような心理と思う。
そんなふうに物の多寡や人の態度によって左右されない心が、
本当の心の豊かさ、って云えるのかと思ったりもする。
聞いたことがある「不動心」という言葉が言ってるのもそういう奴かな。
不動心って境地を表わしている言葉と思う。存在の状態。
この不動心って、感情が無いこととは全然違うと思う。
震災で家族を亡くし、家も流され、仕事も失って、
すっかり変わってしまった風景に平気で居られるわけがない。
そういう悲しみ、辛さを否定してるんじゃない。
いっぱいいっぱい悲しみ、苦しんでも、
そのことを、周りの現象で右往左往している今の自分なのだ、
と観ているもう一人の自分が在ること。
相対性の中に在る自分なのだと知っているもう一人の自分が在ること。
覚醒してる心。
それが「不動心」という言葉の意味する内容なんじゃないかな。
動き続けている自分の心と常に共にいて、
だから、動いているけど、動いてないという感じのもの。
物が乏しくなると悲しむ・苦しむという心になる場合もある。
相手の態度次第で嬉しかったり腹が立ったりするのも、
それと同じような心理と思う。
そんなふうに物の多寡や人の態度によって左右されない心が、
本当の心の豊かさ、って云えるのかと思ったりもする。
聞いたことがある「不動心」という言葉が言ってるのもそういう奴かな。
不動心って境地を表わしている言葉と思う。存在の状態。
この不動心って、感情が無いこととは全然違うと思う。
震災で家族を亡くし、家も流され、仕事も失って、
すっかり変わってしまった風景に平気で居られるわけがない。
そういう悲しみ、辛さを否定してるんじゃない。
いっぱいいっぱい悲しみ、苦しんでも、
そのことを、周りの現象で右往左往している今の自分なのだ、
と観ているもう一人の自分が在ること。
相対性の中に在る自分なのだと知っているもう一人の自分が在ること。
覚醒してる心。
それが「不動心」という言葉の意味する内容なんじゃないかな。
動き続けている自分の心と常に共にいて、
だから、動いているけど、動いてないという感じのもの。