ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

不動心

2012-03-19 11:31:43 | ひとの幸福
物が豊かになる喜び という心の豊かさ は、

物が乏しくなると悲しむ・苦しむという心になる場合もある。

相手の態度次第で嬉しかったり腹が立ったりするのも、

それと同じような心理と思う。

そんなふうに物の多寡や人の態度によって左右されない心が、

本当の心の豊かさ、って云えるのかと思ったりもする。

聞いたことがある「不動心」という言葉が言ってるのもそういう奴かな。

不動心って境地を表わしている言葉と思う。存在の状態。

この不動心って、感情が無いこととは全然違うと思う。

震災で家族を亡くし、家も流され、仕事も失って、

すっかり変わってしまった風景に平気で居られるわけがない。

そういう悲しみ、辛さを否定してるんじゃない。

いっぱいいっぱい悲しみ、苦しんでも、

そのことを、周りの現象で右往左往している今の自分なのだ、

と観ているもう一人の自分が在ること。

相対性の中に在る自分なのだと知っているもう一人の自分が在ること。

覚醒してる心。

それが「不動心」という言葉の意味する内容なんじゃないかな。

動き続けている自分の心と常に共にいて、

だから、動いているけど、動いてないという感じのもの。
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GOD・YHWE

2012-03-19 11:24:58 | 言葉
聖書の大文字の「GOD」とはヘブライ語で、YHWE というような文字で、

それはヤハウエーとか発音し、

その意味は「すべてのものに私はなる」ということだと、

聖書研究をしてる人に聞いたことがある。

そういう意味のものが英語で何故「GOD」になったのか、

その辺の事は勉強不足でわからないんだけれども。

まぁ、でも、そうだとして・・考えると・・

「すべてのものに私はなる」=「神」であるなら、

その言葉の中の一部である「私」という文字だけが「神」というわけじゃないと思う。

(すべてのものに私はなる)という“状態”が「神」であるということと思う。

その状態とはやはり 目に見えないものの状態 と言っていいと思う。

目に見える姿という物理的状態ではないだろう。

神がどういうものがわからなけど、目に見えるものじゃないのではないかと思う。

人は人であって「神」ではないし、

物理的に花は花だし、蝶は蝶だし、虫は虫で「神」ではない。

AさんはAさんであって「神」ではない。

目に見えない世界で、全てのものは神というような存在・・・

・・というような意味合いなんだろうか。

「神」とは すべてのものは私で在る・・・

・・という目に見えない現象・・なんだろうか。

全てのものに神が宿るという日本的な考えと似てるね~


そして聖書には大文字の「GOD」と明らかに異なる小文字の「god」があるという。

ある宗派はそれはイエス・キリストだという見解をもって、

それが絶対に正しいとしてるようだけど、

キリスト一人じゃないんじゃないかと思う。

それは(あなた・すべて・・のものはわたし)というような、

人間の境地のことなんじゃないのかなぁ。

そういう心の状態そのものをそういうんじゃないかと思う。

ひとの身になって考えるとか、他人事と思えないとか、

対岸の火事はここの火事とか、(そんな言葉ないか)

谷垣さんが野田さんの心を自分の心であるかのように感じるとか、

他人のことが自分のことのように思えるとか、

同感ではなく、“共感”という境地・状態・世界。

そんな言葉もそういうことを表わすのかなと思う。

聖書にかかれて在ることが絶対正しいなんて思ってないけど、

実に興味深い。

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