ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

劣等感

2012-03-06 15:12:24 | 日々の暮らし・思い出
前にも書いたかもしれないけど、若い頃ブスだという劣等感が凄くあった。

それが氷解したことがあった。

リュックで海外を旅行したことがあって、

横浜から船に乗って、シベリア鉄道経由で最初ソ連に行った。

ソ連ではそれほど思わなかったけど、

ストックホルムに着いたとき、道行く人、

ユースホステルで会うスウェーデンの女の子、

どの人も皆イングリッド・バーグマンみたいな美女ばかり、と思った。

顔は小さく、色は白く、髪は金髪で、睫毛なんかクルリンと反っていて、

その美しさに圧倒された。

その頃、他の人と比較してブスだという劣等感を持っていた私だったけど、

とても比べようがない!と凄く思った。

比較の対象にならない、そう思った。

そう思った途端、比較するなんて出来ない、ってなった。

そうしたら、ブスだという劣等感が吹っ飛んだ。

私は東洋人で顔が大きくて一重まぶたのこういう平べったい顔なんだ、

と開き直れたんだった。

日本人の中ではまだ比較の余地があったんだろうな。

北欧の女の子の圧倒的な美しさの前では比較することがナンセンスになった。

これだけでも海外に来た価値がある、と思ったもんだよ。


思えば、この開き直り、という経験は、

何度私を自由に、伸び伸びとさせてくれたかと感慨深い。

無抵抗 ③

2012-03-06 14:00:13 | ひとの幸福
「抵抗しない」という表現は、

抵抗したいけど、抵抗しない、とか、

抵抗しない方がいいから、抵抗しない、とかいう意味が含まれている。

それは“意志”。意志から発生する行為でもある。

“無抵抗”とは違う。

子供が階段を転げ落ちている最中、(抵抗しない)なんて意志してない。

子供という存在が“無抵抗状態”になっている、ということ。

(抵抗しない)という思いが浮かぶのは、

する、しない、にかかわらず、「抵抗」という言葉が頭に浮かんだということで、

その人の中に(抵抗)が既に在るということ。


無抵抗 は行動じゃない。

無抵抗 は 境地。存在の状態。

意識のなかに“抵抗”は無い。


存在の状態、そうなっている境地、 そこから生まれる無抵抗は

人を善意であっても悪意であっても、なんとかしようとしないということ。

なんとかしようとしなくても、

個は自らの力で成長するように出来ているとわかっている。

種と同じだ。


周りは環境を整えるだけ。

太陽や水や肥料という愛さえあればいい。

それがわかっているから、抵抗などしないで居られる。

幸福 ④

2012-03-06 13:37:33 | ひとの幸福
雨漏りしない家に住みたいという欲がない人、

そういう欲はあっても、それに拘らない人、

・・それならそれでと行ける人も、

雨漏りしない快適な家に住むことが出来たら、

もっと幸福に感じるだろう。

どんなことでも苦しみなく受けられるようになっている人は

そういう物理的な問題が解決したら完全に幸福になる。

そして物理的問題が解決する鍵は心理にあるとするなら・・・

引き寄せという量子メカニズムから考えるとそういうことになる。


最初の一歩はやはり心の解決だろうと思う。

副作用・アドレナリンとヒスタミン

2012-03-06 11:00:40 | ひとの幸福
前に書いたけど、一部にとって有益な防潮堤も、

他地域にとっては害になる可能性もあるということ。

これって、一部にとって有効な、薬を飲むこと が

他に悪影響を及ぼす結果になる薬の副作用に似ている。


生体内のシグナルシステムは本当によく出来ていて、

ストレスに満ちた経験をすると、

体内に元々あるヒスタミンという体内の物質は脳内だけで放出され、

その結果神経組織への血流量が増えて、

生存に必要な神経学的反応が促進されるらしい。

ストレス行動に関係するヒスタミンの放出は”脳内限定”であり、

身体のほかの部位で反応が起こることはない、という。

これは『部位特異性』というものらしい。


けど、製薬会社のたいていの医薬品には

そういった自然の『部位特異性』はないので、

体内に入った薬剤は全身に分配されてしまい、

いわゆる副作用を起こすことになるよう。


体内で自然な働きをするヒスタミンという物質は

他のところでは有害になるとわかるので、

脳内にだけ狙って放出されるんだろう。

(ヒスタミン)は自分のする行いの目的がはっきりわかっているといえそう。

細胞に意志があるように、そういう脳内物質も意志があるようだ。


体内のたくさんの物質のいろいろな働きなんて、

ほとんど知らずに暮らしているけど、

小さな体内物質のひとつひとつが、

自分(体内物質)のやることに、

はっきりとその目的を知って行なっている、としか言えないように思う。

自然に上手い具合になっている。そう、生っている。


部分は常に全体的に働いている。


それが自然なんだなぁ。一部は全部と繋がっているということを、

私たちの身体はわかっているんだ。

そういう身体に比べると、今のところ精神はそこまで行ってないみたい。

例えば、そこの住民のために高い防潮堤を造りたいとなった時に、

その防潮堤があることで反発した津波のエネルギーは

他の地域にどういう影響を及ぼすだろうかとか、

そういう発想が無いままに行為行動が進むと、

場合によっては他地域に大きなしわ寄せ被害が及ぶこともありえるかもしれない。

薬の副作用と同じで、

その箇所に効くけど、それと同時に、

他の箇所に要らない作用をしてしまう現象と同じみたい。

一部と全体は離れては存在してない、というようなことは

じっくり考えれば誰でもがわかることなんだけど、

つい目先のことしか考えないのは、

“高速思考”のせいなんだろな。

それは思考じゃなくて、思考放棄だとも書かれてあったな。

思考するものとして人間は生まれて来た。

思考しなきゃ、他の動物と同じということになるんだろうか。