ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

行き方

2012-03-23 15:01:19 | ひとの幸福
仏教では全ての人の中には仏性があるとか、

神道では全てのものに神が宿るとか、

キリスト教で大文字のゴッドの意味は 全てのものにわたしはなる・・で、

小文字のゴッドもあって、

・・・が云っているのは、

「全てはひとつ」「自他一体」という言葉でいうような、

心の状態のことを云うんじゃないかと思う。

その人そのものを言うんじゃなくて、

そういう心の在りようになってる状態、心境そのことを云うのかなと。

「境地」という言葉がやはりぴったりくるのかもしれない。

なので、一日24時間そういう心の状態のひともいれば、

半日くらいという人もあり、

一日30分とかの人もあり、

いろいろなメンバーがあるんだろう。

昨日まで一日30分だったひとが一気に一日3時間になることだって、

無いとは云えない。

その反対も無いとは云えない。

けど、その心の状態の時に味わう気分は

誰でも忘れない位のものだと思う。


上に書いたようにその境地に行く“行き方”はいろいろあるのだと思う。

座禅とか瞑想とかもそうなのかもしれないし。

禅問答なんかもそういうことを目指しているものなのかな。

自分の頭で考える、哲学する、こともそうだろうし。

そして、考える とは自分に問うことであって、

ひとに問うことじゃないことは確かだ。

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カーネーション

2012-03-23 10:56:07 | テレビを見て
今朝の連ドラで病院の婦長さんが言ってた。

「やればやるほど今の医学は知れてる・・・

人間の病気には医学しかないのか・・・」

医学の他にあるんじゃないか・・・無いのかもしらんけど・・・」

これはドラマだけど、実際の看護師さんも同じようなことを感じる人もいるんだろうな。

いろいろな不快な感情が自ずと湧いて来るように、

身体のいろいろな不調も自然と現われる。それなりの自然で。

出てくるものは出てくる。

病気になろうとして病気になる人はいない。

ひとを意識的に傷つけようとして傷つけるひとは少ない。

意識的にではなく、傷つけてしまうひとは多い。

自分を責めることなんてそうだ。

責めようとして責めるわけじゃない。

意識的にではなく傷つけてしまうということ。

在るものは出て来る。

病気もそうだ。

出てきた行為そのものをなんとかしようというのが、

意見、忠告、注意、批判、裁判・・であるように、

出てきた病気をなんとかしようとするのが医学、医療なんだろう。

薬や手術で。

ガンを全部とっても再発したり、全く別の箇所に出来ることもあり、

脳梗塞になって、治っても、又脳梗塞になることもあり、

手術によって何か別のところに影響があったり、

薬を飲んで副作用が起こったり・・する。

医療は一時的な処方なんだと思う。

勿論それが悪いわけじゃない。

慢性鼻炎に薬は本当にありがたい。本当に助かる。

副作用があるかもしれないとわかっても飲む。


裁判も医学も一時的対症療法だ。

それが悪いわけじゃない。

現在という時点では必要なことだ。


けれど、その行為が出てくる前に、

その病気が出てくる前に、そうなる前に、

そうなる基があるんじゃないかとそこに関心を向け、

それを解決することが、

それが出なくなる一番の方法なのかと思う。

物理的な生活を改善するというのもあるだろうけど、

もっと抜本的な、心理的なこと。

それがみつかって皆がそうなったら、

医学も裁判も必要なくなるんだろうと思う。


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