常に自己の相対性を反省しつつ、
一歩一歩絶対的な真理に近づこうとする努力の中にこそ、
科学の本質が見出される。
・・・「常識と非常識」より。
この世の中に不合理と思われることが
たくさんあるのは否定できない事実である。
しかし、そういうものが存在していることにはそれぞれ理由があるであろう。
理由があるということはそれが正当化されることと同じではない。
しかし、正当化されると否とにかかわらず、
ある事柄がこの世に起こる理由を知ろうとするのが知性の働きである。
そういう働きを通じて知性が成長してゆくことも改めて言うまでもないだろう。
理論物理学の目標とするところは
自然現象の奥にある合理性の発見である。
人間世界の出来事に対しても一見きわめて不合理と思われる事柄の奥に、
人間存在の仕方のある必然性を洞察するところに
知性を含めた人間精神の創造的活動があるのであろう。
人間の感情、情緒が直接に幸福に繋がっている。
知性がまだ気づかずにいる潜在意識の働きが
そこではしばしば決定的な意味を用いるのである。
・・・以上「知性と創造と幸福」より抜粋。
うーん。深く納得。
一歩一歩絶対的な真理に近づこうとする努力の中にこそ、
科学の本質が見出される。
・・・「常識と非常識」より。
この世の中に不合理と思われることが
たくさんあるのは否定できない事実である。
しかし、そういうものが存在していることにはそれぞれ理由があるであろう。
理由があるということはそれが正当化されることと同じではない。
しかし、正当化されると否とにかかわらず、
ある事柄がこの世に起こる理由を知ろうとするのが知性の働きである。
そういう働きを通じて知性が成長してゆくことも改めて言うまでもないだろう。
理論物理学の目標とするところは
自然現象の奥にある合理性の発見である。
人間世界の出来事に対しても一見きわめて不合理と思われる事柄の奥に、
人間存在の仕方のある必然性を洞察するところに
知性を含めた人間精神の創造的活動があるのであろう。
人間の感情、情緒が直接に幸福に繋がっている。
知性がまだ気づかずにいる潜在意識の働きが
そこではしばしば決定的な意味を用いるのである。
・・・以上「知性と創造と幸福」より抜粋。
うーん。深く納得。