ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

湯川秀樹の言葉

2012-03-17 16:50:24 | ひとの幸福
常に自己の相対性を反省しつつ、

一歩一歩絶対的な真理に近づこうとする努力の中にこそ、

科学の本質が見出される。

・・・「常識と非常識」より。

この世の中に不合理と思われることが

たくさんあるのは否定できない事実である。

しかし、そういうものが存在していることにはそれぞれ理由があるであろう。

理由があるということはそれが正当化されることと同じではない。

しかし、正当化されると否とにかかわらず、

ある事柄がこの世に起こる理由を知ろうとするのが知性の働きである。

そういう働きを通じて知性が成長してゆくことも改めて言うまでもないだろう。

理論物理学の目標とするところは

自然現象の奥にある合理性の発見である。

人間世界の出来事に対しても一見きわめて不合理と思われる事柄の奥に、

人間存在の仕方のある必然性を洞察するところに

知性を含めた人間精神の創造的活動があるのであろう。

人間の感情、情緒が直接に幸福に繋がっている。

知性がまだ気づかずにいる潜在意識の働きが

そこではしばしば決定的な意味を用いるのである。

・・・以上「知性と創造と幸福」より抜粋。

うーん。深く納得。
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湯川秀樹「目に見えないもの」から

2012-03-17 13:33:52 | ひとの幸福
・・・我々は始終自分の心の働きを自分で観察しているのである、

そして他人に対する外面的観察を、

自分の心の働きに対する反省で裏付けることに寄って

他人の心の中を忖度しているのである。

そればかりではない。

人間以外の動物の行動の観察からして人と似た心の働きを想像しさえもするのである。

我々が生物を「生きている」と認める事自身、

一つの生命のほかの生命に対する共感を意味しているのかもしれない。

いずれにしても物質の問題が錯雑した迷路に入り込んで

途方にくれようとする行き詰まりから、

自ら精神の世界が開けて来るのである。

それはもはや狭い意味における物理学の世界ではない。

主として心理学によって研究されるべき領域である。

そこには精神現象自身の正確な表現、

それを支配する法則の発見が問題となるであろう。

しかし、心理学的世界は決してそれ自身完結したものでなく、

物理的な現象が始終、外的なもの、偶然的なものとして影響を及ぼしている事は明らかである。

・・・これは湯川秀樹の「自然科学」『物質から精神へ』の抜粋で・・・・ 

その後の「科学の根源」の中では、

このようにして、物理学的な世界はそれだけで完結したものではなく、

その彼方に心理学的な世界を認めざるを得ないのである。

否それどころではない。

反対に我々に身近なのは却って心理学的な世界であると考えられる。

外界の物質という如きものは別に考える必要はない。

ただ我々に意識された表象があるだけである。

・・・・・科学的な知識といえども忠実に表現すれば、

「私がある知覚をした」というべきで、

「ある物理的な量がある一定の値をとった」といってはならないのかもしれない。

物質も結局精神の中にあるといえるかもしれない。

・・・抜粋以上。

理論物理学のわからない文章・数式は全然わからないけど、

こんなふうな文章なら私にも幾らかはわかるような感じがある。

この他にも湯川秀樹の文章には光るものがたくさんある。

彼流に言うと、「光るものがある」とは言ってはならないのかもしれない。

「私が光るものがあると知覚した」というべきであった。
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「神はサイコロを振らない」

2012-03-17 11:54:12 | 量子力学と心
「神はサイコロを振らない」

・・量子力学の不確定性原理に、アインシュタインが反論したときに言った言葉らしい。

不確定性原理とは、「粒子の運動量と位置は、

同時に正確には測ることができない」ということで、

それは元々決まっておらず、

確率によってしか、わからないと考える人が多かったんだけど、

アインシュタインは決まってはいるけど、

人間にはわからないだけだ、と考えたらしい。

たとえ今は発見されていなくても、

自然界の物理には明確な法則があるはずだ という考えを、

アインシュタインは「神はサイコロを振らない」という言葉で表現したらしい。


神と言ってるけど、自然とか生命を彼はそう言ってるのかと思う。

それとも自然を創ったのは神だとしているのかもしれない。

どっちでもいいんだけど。

太陽や月や地球の動きや物や動物や植物やいろんな物理的物事が、

そのように起こるのは確率ナンタラ%で起こる、ということである・・なんて、

素人ながら、私も違うんじゃないかな~と思う。

確率で太陽や地球や物が動いているとは思えない。

同じように人間の意識も自然のものであり、

人工的に作られているものではないので、

その時そのように意識が働くのは確率で決まるなんて考えられない。

意識を観察する、というのをして来て、

やはり、そこには法則のようなものがある、と私は思っている。

60年前、DNAのらせん構造を解明してノーベル賞を取ったクリック博士が

焦点を合わせていたのは『人間の意識の解明』だったという。




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自然現象 と 人工

2012-03-17 10:59:54 | 量子力学と心
以下は同じく湯川博士の「目に見えないもの 2」 1947・9より

「凡ゆる自然現象を原子電子などの相互作用の結果と解釈します。」

とあった。

この前書いたけど宇宙物理学者の須藤靖さんの本にもあった。

自然の法則とは相互作用って。

凡ゆる自然現象・・・・凡ての自然現象の中には人間現象も含まれると思うけど、

それは完全に自然な自然現象じゃなくて、

不自然な自然現象と言ってもいいのかもしれない。

人間自体、自然のものだと思う。

人体の基である精子や卵子は人工的に作れるものではないし、

一人一人異なる豊かな微妙な一瞬一瞬移り行く意識など人工的に創れるわけがない。

「自然」の反対のように受け取られる「人工」という言葉があるけど、

これは人間そのもののことを云っているんじゃない。

「人工」とは人手を加えることであり、人力で作り出すこと。

人間のその手で作り出される対象の物、事を人工という言葉を使うのであって、

人体、意識のことを人工というわけじゃない。

人間という存在は自然が生んだもの。


あらゆる自然現象が原子電子などの相互作用の結果というなら、

人間界現象も相互作用の結果と言える。

人間の相互作用は意識によって起こるのは明らかだ。

・・と考えて来ると、

湯川博士の云っていることから、推測すると、

「意識は原子電子」と言ってることになるね~

やっぱりね~


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