毎朝、新聞はこの欄から読む。この欄しか見ないこともよくある。
今日のをちょっと紹介。・・
「あの世でもあるのだろうか死ぬ思い」 秀丸氏 作。
それがあったら、あの世で、「もう死にたい」ってなっても、
既に死んでるんだから死ねない。不可能なのかな~
だとすると、この世は死ねるからいいね~
もう幾つか紹介。
「一を聞きいきなり十をするタイプ」面白いね~
こういうタイプいるいるって思う人あるから、
こうやって活字化されるんだろうなぁ。
「生まれた地違っただけで敵味方」これも頷いちゃう。
川柳とか俳句や短歌なんかで思いを形にする作業というのは、
物事を客観化しないと書けないのかと思うんだけど、
だからこそ面白いんだろうな。
腹立ちなんかをそのままストレートに出してもちっとも面白くないもんだし。
謂わば、思いを放すという作業を経たものが川柳やいろんな歌なんだろう。
よく短歌とか書いている人は呆けないという。
実際そうなのかどうかは知らないけど、そんなふうな話があるということは、
それなりに何かわけがあるのだろうと思う。
自分のことやひとの事を当事者目線ではなく、見られるのは、
その物事に対してよいとか悪いとかの判断を棚に上げるか、横に置くか、
その判断自体が無いか、しないと出来ない。
当事者目線ではないということは天から目線だ。
それって観察。善悪の判断抜きの観察。
川柳を読むと結構みんなそうだ。
「病院行くより元気になる女子会」「パンダって展示をされるものなのね」
「常連と会うデパ地下の試飲会」「定年後望遠鏡を買った人」
「どう似合う?夫に聞けばいくらした」
「川柳をやってて標語頼まれる」等など・・
なかにはこんなのもある。「反抗期返事をしないのが返事」
しばてんさんという人が書いたものだけど、
しばてんさんが反抗期の子供の親なのか、そうじゃないのか全くわからないけど、
もし反抗期の子供の親なら、その子供は早くに反抗期から抜け出せるかなと思ったよ。
今日のをちょっと紹介。・・
「あの世でもあるのだろうか死ぬ思い」 秀丸氏 作。
それがあったら、あの世で、「もう死にたい」ってなっても、
既に死んでるんだから死ねない。不可能なのかな~
だとすると、この世は死ねるからいいね~
もう幾つか紹介。
「一を聞きいきなり十をするタイプ」面白いね~
こういうタイプいるいるって思う人あるから、
こうやって活字化されるんだろうなぁ。
「生まれた地違っただけで敵味方」これも頷いちゃう。
川柳とか俳句や短歌なんかで思いを形にする作業というのは、
物事を客観化しないと書けないのかと思うんだけど、
だからこそ面白いんだろうな。
腹立ちなんかをそのままストレートに出してもちっとも面白くないもんだし。
謂わば、思いを放すという作業を経たものが川柳やいろんな歌なんだろう。
よく短歌とか書いている人は呆けないという。
実際そうなのかどうかは知らないけど、そんなふうな話があるということは、
それなりに何かわけがあるのだろうと思う。
自分のことやひとの事を当事者目線ではなく、見られるのは、
その物事に対してよいとか悪いとかの判断を棚に上げるか、横に置くか、
その判断自体が無いか、しないと出来ない。
当事者目線ではないということは天から目線だ。
それって観察。善悪の判断抜きの観察。
川柳を読むと結構みんなそうだ。
「病院行くより元気になる女子会」「パンダって展示をされるものなのね」
「常連と会うデパ地下の試飲会」「定年後望遠鏡を買った人」
「どう似合う?夫に聞けばいくらした」
「川柳をやってて標語頼まれる」等など・・
なかにはこんなのもある。「反抗期返事をしないのが返事」
しばてんさんという人が書いたものだけど、
しばてんさんが反抗期の子供の親なのか、そうじゃないのか全くわからないけど、
もし反抗期の子供の親なら、その子供は早くに反抗期から抜け出せるかなと思ったよ。