ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

存在の意志 ②

2013-05-05 14:11:46 | ひとの幸福
生命にデザイナーはいない、目的はない、創造主はいない・・というのは、

生命全体の意志はない、ということだと思うけど、

個である部分(自分)だけの都合・意志で物事は運ばない、

全体がそうならないと個の意志も達成されないということは・・

個の意志は全体と深く関わっているということだ。

個の意志が全体の意志(全体が一つであるかのような在りようになっている)と同じときには無理がない。

勉強したいのに勉強できないと不満状態で居る意識は、

全体の意志と一致していないから起こる。

勉強したいけど、状況を見て今はこうすることを選択してるという自覚意識は、

今という時空の全体の意志と一致している。

今、するっと全体の意志(全体が一つであるかのような在りようになっている)と書いてしまったなぁ。

ヒットラーという個の意志がその当時のドイツ国民と一つになっていたから、

あ~いうことになった。

ハイル ヒットラー! とその時空で無理なく事が運ばれた。

当時のドイツ国民の多くは不満や不平がなかった。

(だから、多数決も危ない)

それ以外の人たちがそれを見逃したのも全体の動きに加わっている。

その時点でわざと見逃したのでもなかった。

けど、世界全体が幸福にはならなかったのであ~いう結果に終わった。

けど、世界全体がどの瞬間も全体が一つであるかのように動いていてそうなったのは事実だ。

たった今もそうだ。

その時その時の時空で全体が一つであるかのように動きながら、

“本当に一つで在る”状態になる、に向かって全体が動いているんじゃないか・・・

本当に一つで在るって・・・すべてが調和した美しい世界という状態。

こう考えてくると、生命の目的って生命全体(宇宙全体?)が、

敵意なんかない、独りぼっちな人も物もない、完全な幸福な世界になるということなんじゃないかなぁ。

自然・生命という存在自体がそうした目的を孕んでいると思う。

宇宙全体から見ると、部分である個も生命存在の一つであり、

同じように存在自体がそうした目的を生まれながらに孕んでいる。

個が全であり、全も個である、って言えないかな。

芽が出るのも、花が咲くのも、落ちるのも、枯れるのも、実になるのも、

実が種になるのも、

そのどれもがそこら辺全体がそうなるようになってないと、なるものもならない。

そこら辺というのも世界全体からすると部分だ。

全体の幸福が個の幸福に繋がっているし、

個が幸福になることが全体の幸福に繋がっているし、循環だ。


目的を広辞苑で調べると・・

①成し遂げようと目指す事柄。行為の目指すところ。意図している事柄。

②意志によってその実現が欲求され、行為の目標として行為を規定し、方向づけるもの。


宇宙・自然・生命・存在は意志。

宇宙・自然・生命・存在は愛。なのかなと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

存在の意志 ①

2013-05-05 14:00:00 | ひとの幸福
「動的平衡1・2」「せいめいのはなし」を書いた福岡伸一ハカセが、

生命にデザイナー、創造主はいない・・というようなことを云っている。

それなのに全体が一つであるかのような動きをする、と云っている。

生命に目的はないとも云っている。

このことは今までも考えて来たんだけど、

どうしても生命に目的はないということに合点が行かないわたしだ。

合点が行くようになるのか、ならないのか今の時点ではわからない。

で、考えてる。

生命・自然というものは在るもの・存在で、存在はどんな物、事でも、

止まっていないもの。鉱物もミクロのレベルでは動いている。変化し続けている。

一瞬一瞬変化し続けているもの。

そういう意味で、在るもの、存在とは“状態”と言える。

私という存在も昔の私、昨日の私、さっきの私、明日の私、同じじゃない。

私とはその時空での状態といえる。

生命という存在は状態。常に動的平衡を繰り返す。

ハカセが云ってるのは生命はそうしようという目的がないのに、

どの時空でも“生命の状態”を観ると、

全体が一つであるかのような在りようをしている、ということだけど、

常に動的平衡、動的非平衡を繰り返している生命が何故そのような在りようをし続けているのかといえば、

その在りようが状態の意志・自然の意志、生命の意志、存在の意志、だからなんじゃないだろうか。

状態が意志。

人間で云うと今そうしてること(状態)がその人の今の意志。

あ~したい、こ~したい、と言っていても、そうしていない人を見て、

そうしたいのならなんでそうしないのかと思う場合があるけれど、

そう思ってるけど、そうなってない状態がその時のその人存在の意志。

こういう場合、その自覚はないかもしれないけど。

そうなってない、というのはその人自身や周りやらいろいろな作用が

今は整ってないから、今はそうなっている、ということだ。

そうすることを選択するつもりはなくとも選択してる。

その状態が今の動的平衡状態。

どんな場合もそうだと思う。賢い子が凄く勉強したいと思ってるけど、

家庭の事情で家の仕事をしている状態も、

その子がそうすることを全体(今の政治経済体制での家族)の中で選択してるという状態。

状況が許せば、勉強したいけど、今はそうしている、のがその時空でのその子の意志。

その子を含めた全体が変わることでその子の行動も変わる。

・・②に続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする