ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

感情・情緒・知性

2013-05-06 14:27:56 | ひとの幸福
湯川博士のさっき引用した文章の続きにこういうものがある。

「人間世界の出来事の場合には、合理性とか、必然性とかを見出すところで

問題が終わるのではない。

そこでの一番大きな問題は常に人間の幸福である。

自分の幸福が問題であり、他人の幸福が問題である。

何を幸福と感じるかは知性だけの問題でないことはもちろんである。

知性が容易に合理的に把握することのできない“人間の感情とか情緒とか

いわれるものの方がより直接に幸福につながっているのである。”

“知性がまだ気づかずにいる潜在意識の働き”が

そこではしばしば決定的な意味を用いるのである。

しかし、こういう事情があるからといって、

人間の幸福の問題に対して知性が無力だということにはならない。

知性は成長し深化しうるところのものである。

“知性が自らを深めることによって、逆に人間性のより大きな領域を

知性の面まで浮かびあがらせることができるのである。”

このような努力が人間の幸福の問題と密接につながっている。

外なる世界に向かっての科学の進展が知性の深化によって裏づけられてないなら、

新鋭の武器を持った野蛮人ができあがるだけであろう。」

・・・以上。“ ”は私がつけた。

本当にその通りだなと思う。

“人間の感情とか情緒とかいわれるものの方がより直接に幸福につながっているのである。”

幸福は心が感じるものだからね~

いくら物が豊かで何不自由なくても、いつも怒ってばかりじゃ幸福じゃない。

年中、イライラしたり、自分を責めたりしてたら幸せじゃない。

“知性がまだ気づかずにいる潜在意識の働き”が

そこではしばしば決定的な意味を用いるのである。

こう書いた湯川博士はその潜在意識の働きがわかっていたんだろうな。

でなきゃこんなこと書けないはずだ。

“知性が自らを深めることによって、逆に、

人間性のより大きな領域を知性の面まで浮かびあがらせることができるのである”

この、「人間性のより大きな領域」とは潜在意識のことかと思う。

「このような努力が人間の幸福の問題と密接につながっている。」

知性が自らを深めること、その努力が人間の幸福の問題と密接につながっている。

彼も山岸さんもそれをしたのだと思う。

不合理

2013-05-06 14:14:20 | ひとの幸福
同じ章の湯川博士の文章・・・「この世の中に不合理と思われることが

たくさんあるのは否定できない事実である。

しかし、そういうものが存在していることにはそれぞれ理由があるであろう。

理由があるということはそれが正当化されることと同じではない。

しかし、正当化されると否とにかかわらず、

ある事柄がこの世に起こる理由を知ろうとするのが知性の働きである。

そういう働きを通じて知性が成長してゆくことも改めて言うまでもないだろう。」


けれどけれど、不合理ではある。

勉強したくても出来ない、そういう不合理の解消のために、

奨学金制度が出来たりして来たのだろう。

けど、そんなんじゃ追いつかないくらい、世の中は不合理に満ちている。

でも一気に社会体制が変わるというのは急ぎすぎて危険だ。

旧ソ連がいい例だと思う。

社会システムが変わっても、人の心が変わってなかったから、崩壊した。

賄賂や汚職がはびこっていた。

たくさん働いても報酬が高くなるわけじゃないからといってやる気を失った。

物の解決、システムの解決だけじゃ、不合理は解決されない。幸福にはならない。

物の不合理もシステムの不合理も心の不合理も、

心・意識が深化、成長することで付随して解決されていくものかと思うんだけどどうだろう。

何より意識・心が成長するのが一番先でないと危ないと思う。

原発の問題もそうだし。

彼の文章にこういうものもある。

「外なる世界に向かっての科学の進展が知性の深化によって裏づけられてないなら、

新鋭の武器を持った野蛮人ができあがるだけであろう。」






存在の意志 ③

2013-05-06 13:40:43 | ひとの幸福
賢い子が凄く勉強したいと思ってるけど、

家庭の事情で家の仕事をしている状態も、

その子がそうすることを全体(今の政治経済体制での家族)の中で選択してるという状態。

状況が許せば、勉強したいけど、今はそうしている、のがその時空でのその子の意志。

その子を含めた全体が変わることでその子の行動も変わる。

・・・昨日書いたものの中の、これ。

賢い子が勉強したくて勉強したくてたまらないくらいの気持ちだけど、

その気持ちを横において、今は、家の仕事をする・・・

金持ちの子供はお金があるのでそれが容易に出来る。

不合理である。

これを書いて、湯川秀樹博士のこの文章を思い出した。

「・・・・・理論物理学の目標とするところは

自然現象の奥にある合理性の発見である。・・・中略・・

・・はじめから合理性のはっきりしているような対象ばかりあつかっている限り、

一番大きな創造力の発揮される機会はないのである。

人間世界の出来事に対しても一見きわめて不合理と思われる事柄の奥に、

“人間存在の仕方のある必然性” を洞察するところに

知性を含めた人間精神の創造的活動があるのであろう。・・・後略・・

・・・以上湯川秀樹「創造への飛躍」という本の「知性と創造と幸福」より抜粋。

“ ”は私がつけたものです。

“人間存在の仕方のある必然性”・・・ここでの“仕方”は上に引用した私の文章でいえば、

勉強したいけど、今はこうする、という子供の行為の仕方、

勉強させて上の学校へ行かせてやりたいけど、今はこうする、という親の行為の仕方、

なんかがそうかなと思う。

その“必然性”とはその家にあるお金の多寡やら、家族の数やら、

生活の成り立ち方やら、親の心やら子の心やら、

子の性質やら、親の性質やら、これから先の生活設計やら、

いろんなもののいろんな状態を全部鑑みて、

出来る範囲で、みんながいいような方法・・は、

今の時点では、こうするのが一番妥当ではないか、それ以外のやり方はみつからない、

というような必然性のことかなと思う。

どんなに勉強したくても、他の何かや誰かを犠牲にするようなことはしたいとは思わない・・

親が本当は勉強させてやりたいと思っているのはわかる・・

自分だけよければいいとは思えない・・

・・人間存在のそんな意志によるその時点での必然性というものがあると思う。

人間はその時その時で自分で捉えられる範囲の全体だけれど、

全体がいいようにと、常にバランスを取ろうとする性質があると思う。

それが人間の本質なのかと思う。彼が必然性と言った・・

昨日書いたけど、それが存在の意志なのではないか。

状態の意志とも表現したのは、その時その時の意志だから状態の意志なんて書いた。

そんな人間存在だからこそ進歩があるのだと思う。

不合理な出来事がないと人間は進歩できない。