ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

見せびらかしたい

2013-05-02 16:56:38 | 日々の暮らし・思い出
今日は本当にいいお天気。気温は低いけど、空は青い。

空が青いと海も青い。

ここに写真を容易く載せられる技術があると載せたいくらいなんだけど、

それを一生懸命やる気がないからしてない。

載せたい気持ちより、それが出来るようになりたい気持ちの方が軽いから。

もっと鮮やかに想像できる位の言葉で表現できたらいいんだけど、そういう能力も乏しい。

視界に入るのは、山の緑と海の青さと空の青さと国道だけ。

そんな道をよく歩いている。

こんなに美しい景色を私一人で満喫してていいんだろうか、なんて思う。

そうそう、今月はわりと近い所に住んでいる友人が遊びに来る。

彼女はここに来たことがない。昔の知人だけど、

20年ぶりくらいに会って付き合いが始まったんだ。

新緑の頃おいでよって私が言って、うん、と彼女が言って、それが実現する。

一緒にここを歩きたいな。見せびらかしたい気分。

ずーっと新緑だといいなって思うけど、絶対無理だよね~




どういうことなんだろう??

2013-05-02 16:43:16 | ひとの幸福
これってどういうことなんだろう??

こんな?を自分に問うことがよくある。

他者に対して「それってどういうこと?」という言葉を発することもある。

その問いを他者に発する場合、本当に(???)だけの場合と、

既にその事を良くない事と捉えていて、それで、

他者に「それってどういうことなのっ!!?」っていう言葉使いをすることも世の中にはある。

物事がどんな成り立ちでなっているのかとか、考えるとき、

どういうことなのか、自分に問うてみようとしても、

今までに散々「どういうことっ!?」とか、

「あなたのしたことはどういうことなんでしょうね~」って責められた経験があると、

既にそのことがダメな事って自分がなってるから、

なかなか、どういうことなんだろう???という本質的な問いを自分に問えないことがあるんじゃないかと思う。

善悪の判断が既にあると、物事は考えられないからね~。

自分の意識の観察が出来ないとき、考えが詰る時、

何かを善悪で決めてないか?っていう問いを持てると違うかもしれないと思った。










富士山

2013-05-02 13:14:04 | 新聞を読んで
今朝の毎日新聞の一面に大きく、「富士山 世界に影響」の見出し。

それより小さな見出しで「開発拡大には警鐘」「世界遺産登録へ」と。

富士山 世界に影響・・とはどういうことか。

国際記念物遺跡会議(イコモス、本部・パリ)という名の会議が、

富士山について「日本の国家的象徴で、その影響は日本をはるかに超えて及んでいる」と絶賛し・・・とあった。

日本がユネスコに提示した推薦書では「富士山」という名前を使ったんだけど、

「精神性、芸術的関連性を反映して、拡大(変更)すること」を求められたという。

本部がパリにある外国人が多いだろうその会議の方が日本人より

『富士山』の価値を知っているみたいだね~

「古い文献には、富士山は不ニ山、不尽山と記されている物もあります。

又、一般的に馴染みのある書物「竹取物語」にも記述されている箇所があります。

物語の最終章には、帝がかぐや姫から不老不死の薬をもらい、

それを今の静岡県にあたる、駿河国の天に一番近い山の上で焼くという場面があります。

まさに、それが富士山です。竹取物語の中では、「ふしの山」と書かれています。

この「ふし」とは、「不死」とは違い、日本で一番最高の高さ、どれにも並ぶものがないという意味の「不ニ」という意味だと言われています。

しばらくは、この漢字で使用されていましたが、

鎌倉時代に入り、武士の社会になると「富士」となりました。

それは、「士」が「富む」という、意味から広く武士の社会で好まれ、使用されていました。」

・・・以上ネットより。

前にも富士は不ニともいうらしいとこのブログでも引用したことがあるけど、

不ニ の意味は①二つとないこと。唯一。

②二つに見えて実は一つであること。仮、他我身の上「善悪不ニといへるとても」

と広辞苑。

いや~、凄いことだね~と思うよ。不ニ山とも言うということが。

二つに見えて実は一つである、不ニ山、富士山が日本の象徴なんてね。

相対性を超える。それが富士山。な~んてね。

これが世界に影響。

でもそうなんだと思うよ。日本語・日本人はかなりいけてる。

膝痛・腰痛から・・

2013-05-02 12:27:59 | 日々の暮らし・思い出
昨日ウォーキングを夫と一緒にした。夫と一緒なのは久しぶりだ。

夫は以前膝痛になって、膝のナントカ板が割れているとか言われたことがある。

それで以前はしていたウォーキングをしていない。

けど最近、膝の存在を忘れていると言った。

痛みがないとその存在を忘れる。私の腰痛もそうだ。

なんでもそうだね。普段胃が何処にあるのかわからないくらいだから。

膝も腰も胃も心臓も脚も手もその存在を忘れている状態が身体が正常だということ。

存在を思い出してしまうのは痛みによって。

便りがないのは達者なしるし、とかの言葉がある。

それは達者(元気)じゃないときには便りがあるということなんだろう。

痛みは身体からの便り、お知らせなんだろう。


痛み(意識に上る)は異常を知らせるお知らせか。

正常ならそのまんまでいいのだからお知らせなんか出す必要がない。

・・んで、存在を忘れる。


人間は身体と精神からできているので、

身体の方じゃなく、精神・意識が痛みというお知らせが出てるときは正常な状態ではないと言える。

痛みというお知らせがないときは意識という存在を忘れ、正常な幸福な状態なのかもしれない。

快適・幸福が当たり前ということなんだろうね。

意識の痛みとはどういう状態か・・・

心の痛みというと考えやすいか・・悲しみ、寂しさなんかはすぐにそうだと思うけど、

嫉妬や僻みや焦燥感や自責の念や他責の念や、おどおど感や、

蔑視感や、不満感や・・そんなのも異常を知らせるサインかと思う。

そういう感を発する人に対しての対応はそこに関心をよせないことだと思うけど、

自分のそういう気持ちは意識の異常さを知らせるサインだと思って、

正常に戻りたいと思う人は、

そのお知らせを手がかりに検査や思索が出来るかと思う。


見たくなくなる・・・

2013-05-02 08:38:59 | テレビを見て
朝の連ドラを見てるとき、なんだか嫌な雲行きになって来て、

これから何か悪いことが起こりそうな展開になりそうになると、

見たくなくなる。その場から離れたくなる。消したくなる。スイッチ換えたくなる。

そのせいなのかな、ドラマはほとんど見ない。

見られない・・ってのは、不自由といえば不自由だなぁとも思ってた。

こういうのはどういうことなんだろう???っていうのもあった。

ちゃんと考えたことがなかったので、ちょっと考えてみよう。

考えてみると、実際の暮らしでもわりとそうなんじゃないか・・・??

ひとが何か諍いみたいなムードになりそうになると、

その場から離れたくなる。

嫌ーな感じを見たくない。

なんなんだろう???って今考えてるんだけど・・・

美しく感じられないものはあまり見たくない、っていう簡単なことなのか、って今、思った。

そうだよね~。

枯れてるバラより咲いてるバラの方が見たいもの。

ブスな私でも美人じゃない人を見てるより、美人を見てる方が快感を感じるものね~

美人て、広辞苑では顔・姿の美しい女。佳人。麗人。美男子にいうこともある。

ちなみに「ぶす」を調べたら、「醜女」で容貌の醜い女。