年をとってから、あの時母が言ったことは尤もだなと思うことがある。
若い頃は母の言うことをわかってなかったし、
自分がわかってないことを知らなかった。
反発できるということは、“その事が何なのかわかっている”という前提があるということで、
わかってなければ反発できないはず。
でも、“わかってなかった”。
・・・これさっき書いた文章なんだけど、
反発できるのは、その事が何なのかわかっている・・というのは・・
親から意見された若い頃の自分の行為行動のわけは自分でわかっている、ということ。
そういう行動をとるにはとるだけのわけがあるからそうしている。
そうしてるということがその時の意志。
そういう意味のことで、何がわかってなかったのかといえば・・
親がそのことをあーだこうだ言うのは、
そのことをするわけ・その事にたいする解釈が子供と違うからだ。
親のそのわけは子供にわからない、ということ。
そのわけがわからない子供に言葉であーだこーだ意見しても、
それまでにわかったことがないことはわからない。
親のわけがわからない子供が親の意見、言葉を聞いて、
何がわかるのかといえば、
自分に関心を持ってくれている、というのがわかれば上等だ。
大きなお世話がわかる、という事の方が多いんじゃないか。
自分の体験ではそんな感じ。
やってみなけりゃわからない。
やってみてもそれに無自覚だとやってないのと同じでわからない・・
若い頃は母の言うことをわかってなかったし、
自分がわかってないことを知らなかった。
反発できるということは、“その事が何なのかわかっている”という前提があるということで、
わかってなければ反発できないはず。
でも、“わかってなかった”。
・・・これさっき書いた文章なんだけど、
反発できるのは、その事が何なのかわかっている・・というのは・・
親から意見された若い頃の自分の行為行動のわけは自分でわかっている、ということ。
そういう行動をとるにはとるだけのわけがあるからそうしている。
そうしてるということがその時の意志。
そういう意味のことで、何がわかってなかったのかといえば・・
親がそのことをあーだこうだ言うのは、
そのことをするわけ・その事にたいする解釈が子供と違うからだ。
親のそのわけは子供にわからない、ということ。
そのわけがわからない子供に言葉であーだこーだ意見しても、
それまでにわかったことがないことはわからない。
親のわけがわからない子供が親の意見、言葉を聞いて、
何がわかるのかといえば、
自分に関心を持ってくれている、というのがわかれば上等だ。
大きなお世話がわかる、という事の方が多いんじゃないか。
自分の体験ではそんな感じ。
やってみなけりゃわからない。
やってみてもそれに無自覚だとやってないのと同じでわからない・・