ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

わからないこと ②

2013-05-19 15:12:26 | ひとの幸福
年をとってから、あの時母が言ったことは尤もだなと思うことがある。

若い頃は母の言うことをわかってなかったし、

自分がわかってないことを知らなかった。

反発できるということは、“その事が何なのかわかっている”という前提があるということで、

わかってなければ反発できないはず。

でも、“わかってなかった”。

・・・これさっき書いた文章なんだけど、

反発できるのは、その事が何なのかわかっている・・というのは・・

親から意見された若い頃の自分の行為行動のわけは自分でわかっている、ということ。

そういう行動をとるにはとるだけのわけがあるからそうしている。

そうしてるということがその時の意志。

そういう意味のことで、何がわかってなかったのかといえば・・

親がそのことをあーだこうだ言うのは、

そのことをするわけ・その事にたいする解釈が子供と違うからだ。

親のそのわけは子供にわからない、ということ。

そのわけがわからない子供に言葉であーだこーだ意見しても、

それまでにわかったことがないことはわからない。

親のわけがわからない子供が親の意見、言葉を聞いて、

何がわかるのかといえば、

自分に関心を持ってくれている、というのがわかれば上等だ。

大きなお世話がわかる、という事の方が多いんじゃないか。

自分の体験ではそんな感じ。

やってみなけりゃわからない。

やってみてもそれに無自覚だとやってないのと同じでわからない・・





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わからないこと

2013-05-19 14:12:33 | ひとの幸福
若い頃、親にいろいろと意見されてそれに反発する。

結構誰にでもあることかもしれない。

私の父は私に何の意見もしなかったから寂しく思ったことがある。

関心を持たれてなかったのだと感じた。

まぁ、この話は脱線で。

年をとってから、あの時母が言ったことは尤もだなと思うことがある。

若い頃は母の言うことをわかってなかったし、

自分がわかってないことを知らなかった。

反発できるということは、その事が何なのかわかっているという前提があるということで、

わかってなければ反発できないはず。

でも、わかってなかった。

(わからない)とわかることが無知の知だと思うけど、

無知の知が真の知にいたる出発点であるとソクラテスが言ったらしいけど、

ホント出発点なんだよね~

出発点に立たなきゃ、スタートできない。スタートできなきゃ始まらない。

けど、大人がわかってない子供に、「教えりゃわかる」と思うのは、

教えたってわからないということを、

大人が知らない・わかってない、ということなんだろうな。

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「宇宙は・・・」②

2013-05-19 13:48:16 | 本を読んで
この本で面白いと思ったのはもう一つ。

物理学で、何かわからないことを探って探って研究して、

それを「わかった!」となったとき、

又、つぎに新たに「わからない」ことが出て来る、という話。

常にそうだという。

何かわかると、わからないことが出て来る。

そのわからないことって、それ以前からわからなかったということだと思うけど、

それがわからない、ということを人間は知らなかったわけだ。

わからないこと が 在る ことを 知らなかった。

これも山奥の金塊と同じだね~

在っても、それを知らなければ、人間にとってそれが無いかのような行動をとらせる。

(人間にわからないこと)は星の数ほど在る・・

(この表現より、暗黒物質の数ほど在る、の方が相応しいのかもしれない。

暗黒物質より星の方がずっと少ないそうだから。)脱線。

人間にわからないことは無限大?に在る。

わからないことが在る、ということがわかる人を謙虚とかいうけど、

謙虚なのが当たり前という気がするね~

謙虚の反対語が傲慢だとしたら、

傲慢なのは異常ということになるのかな。



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「宇宙は何でできているのか」

2013-05-19 13:28:17 | 本を読んで
村山 斉さんという科学者が書いた、「宇宙は何でできているのか」という新書を読んだ。

かなり真面目に(飛ばし読みをせずに)読んだけど、

へ~そうか、へ~そうか、と思ったけど、わかって、へ~そうか、じゃないのは勿論。

物理的な話はほとんどわからない。

けど、こんな話は面白かった。

どんな物理現象も、左右を逆にしたときに法則が変わることはないはずで、

そこには左右という概念がないので、空間を反転させても物理法則は変わらないはず。

・・・なんだけど、ナンタラさんの研究・実験でわかったのが、

“弱い力”(素粒子物理学の専門用語で物質間に働く4つの力のうち)に反応するのは

「左巻き」の粒子だけだという結論が出たらしい。

【“強い力”“弱い力”は、強い相互作用、弱い相互作用とも訳すらしい】

この“力”は自然界の法則が右左を区別する、

つまり右と左には本質的な違いがあるということを意味しているらしい。

“弱い力”が働く方が「左」。それが宇宙のルールなのです、ということらしい。

物理学界でこれは衝撃的なことだったようで、

物理学者は自然界の秩序をシンプルな法則で説明したいと願っているので、

是非とも対称性は保存されて欲しいので、

次々と、いや、これこれで対称性はある、と言って、

別の秩序を見出さないとならないよう。

それがわかってからもいろんな研究がなされているようで、

日本人の小林さん益川さんがノーベル賞をとったのも、

ナンタラ対称性の破れを説明したものらしい。


難しくてよくはわからないけれども、この話は面白く感じた。

私たちも宇宙の星屑から出来たもので、そのことも私なりに納得してるんだけど、

だから、私たちの身体も宇宙の法則に則って在るわけだから、

利き手やら、腕組みや両手を組むときに左が上になるのがしっくりするとか、

右が上の方が自然な感じになるとか・・そういうことが歴然とある。

脚でケンケンをするとき(片足で石蹴りをするときなんかに)に立つ方の脚も

そんな感じがあるように思う。

私は右利きだけど左足でケンケンする方が自然。

好みの問題じゃない。こういうのって本当に興味深い。

対称性が破れてるように“なっている”・・という表現をしてもいいのかな。

対称性を超えているものがこの宇宙には在る、ということなのかな。

この話と関係ないけど、日本の生け花は非対称的に活けるけど、

西洋の生け花は左右対称だ。

日本人は左右が対称的じゃない方に美しさを感じるのかなぁ。

それって日本人は西洋人より自然と共にという生き方をする、

という話と共通することなんだろうか・・・??

多分きっと関係ないね。

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