今日はクリスタルヒーラーコースの第4回目をさせていただきました
クリスタルコースの中では、様々な「愛」について学んでいただいています
今日は「信じる愛」をテーマにお話しさせていただいたのですが
「信じる愛」は究極の愛ではないかと思うのです
やはり真の強さがなければ手にすることができない愛だと思うのですね
信じる・・とは、例えば
「私の夫は絶対に浮気なんかしていない」
「自分の子供は絶対にそんなひどいことをする子ではない」
このように思うことを「信じる」・・というのではないのです
信じるとは、その方の元々の素晴らしい本当の姿・・・魂の光を信じるということなのです
人は必ずいつかは真理(いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道)
に気づくことができます
でも・・その真理に気づくまで人によっては1年かかるかもしれません
3年かかるかもしれません・・・
5年後・・・10年後・・・20年後・・・50年後・・・
もしかしたら今生は無理で来世になってしまうかもしれません
それでも必ず・・必ず人は真理に気づく時がくるのですね
そのことをどれだけ信じて待ってあげられるか・・・
ね・・・究極だと思いません?
人は・・いくらそれが正論だとしても、心にそれを受け止める準備ができていなければ
人から諭される正論はただのうるさい言葉・・・余計なお世話にしか聞こえないのです
ついつい家族のこととなると・・・家族が正しい道からはずれていこうものなら
必死で正論を伝えて正しい道にひきもどそうでしてしまいがちです
愛していればこそのことなのですが、、、でも正論で一時的に押さえつけたとしても
その方が自分で大切なことに気づけない限り、必ずどこかでひずみが生じるものなのですね
自分だってそうだったはずです
親が一生懸命自分のことを思って、、、幸せを思って言ってくれる言葉も
心に受け止める準備ができていないときは、「うざったいなぁ~」
「私のことなんて何もわかってくれない!!」としか受け取れなかったことだってあったはずです
人は本当に変る時、大切なことに気づける時というのは
「本物の愛に触れたときのみ」なのですね
正論をいくら言っても正しさで人を変えることはできません
(ただし、子育てをしていくうえで人間として絶対にやってはけいないことを
しっかりと子に伝えるのは親の義務です。伝えたうえで尚且つ子供が道をそれたとして・・・
人様に迷惑をかけてしまったり、自分が傷つくことになったとき
その責任を子供自身にしっかりととらせていく・・というのも親からの厳しい愛であります)
その本物の愛というのが「信じて待つ愛」なのだと思うのです
信じるとは・・・
相手に強制することもなく
期待することなく
又・・あきらめることもなく
冒頭にも書かせていただいたように「その方の光の魂をちゃんと見て差し上げる」
・・・ということだと思うのです
そう・・この「期待することなく」というのがものすごミソです
強制しない(自分の考えを相手に押し付けない)
あきらめない
この2つができたとしてもどこかで「期待」があれば
それは相手に対して念を送ってしまっていることになります
念は怖いです
(いつかは気づけ~~いつは気づいてくれるはず~~いつはわかってくれるはず~~みたいな・・)
そう・・今ブームの「女豹のエネルギー」です
送られる相手はやっぱり余計なお世話ですし、重いです
信じる愛は決して重たいものでありません
軽やかで・・・なおかつ・・・やっぱり深き愛なのだと・・・。
この信じる愛を真に手にした人はやっぱり愛深き方なのだと思うのですね
そして人はこの信じる愛に支えられながら日々生きているのかもしれません
きっと皆様のことを・・・ただただ信じて待ってくださっている方が周りをよ~~くみれば
必ずいらっしゃると思うのですよ。
もしそのことに気づけて・・・感謝がいっぱい溢れてきたら
今度はご自身が信じて待つ側にまわってみてくださいませ
人の表面的な姿や表面的な出来事に惑わされることなく、
その方の素晴らしい魂をただただ見てさしあげてくださいませ
そのかわりめっっっちゃ、強さと優しさが必要です
てんてんもがんばりたいです