大好きなドラマ 「僕らは奇跡でできている」の3回目を観た
このドラマを観ると、
自分自身と通じるところがあってわくわくうれしくなってくる場面と
時折、、呼吸が苦しく切ない感覚に包まれるときがある
幼い頃私もすごく好奇心旺盛な子だった
通っていた小学校は通学路を歩いていくと
子供の足で約15分ぐらいのところにあった
でも・・一度どうしても違う道から帰りたくなってしかたない時があって
母からは「絶対に寄り道してはいけないよ」と言われていたけど
気になって気になってしょうがない道があった
当時私が住んでいた地域には染物工場がたくさんあって
遠く外からかすかにみえる薄暗い工場の中にいくつもの染物が
工場の高い天井から長くかけられている様が
美しいのだけど、、なんだか怖さもあって
怖いのに、、もっと近くに行って染物を見てみたい衝動にかられ
小学校2年生の頃1人、、その染物工場のある方向へ帰っていったことがあった
染物の独特の匂い、、立ちのぼる湯気
工場に近づくとやっぱりなんだか怖くて
私の知らない世界・・にきたようで
こんなにも家から近い場所なのに、まるで異世界に紛れこんだようだった
その日、私は長靴をはいていた
きっと午前中は雨が降っていたのかな?
でも学校から帰るときは晴れていたことを覚えている
染物工場を近くでみて、納得した私は
初めて足を踏み入れる場所から自宅へとむかった
いつも少し遠くからみていた大きな大きな砂山が今は目の前にあって、、、
今から思うとあの砂山はなんだったのだろう?と思うのだけど・・
その不思議な砂山が目の前にあることが妙にうれしかった
てくてく歩いていくと
突然ズボっ!!浅い泥沼にはまってしまった
ズボッ!ズボッ!!
長靴の中に泥がどんどん入りこんできて
1歩1歩進むのにも足がなかなか抜けない
結局、学校から家に辿り着くまでに1時間以上もかかってしまった
その日は確かに土曜日だった
膝まで泥だらけ
長靴の中も泥まみれ
案の定、母にめちゃくちゃ叱られた
すごく心配したのだろうなぁ・・と思う
そしてやっぱり小学校2年生の夏
その染物工場の近くのほったて小屋のようなところに
突然きれいなお姉さんが現れるようになった
なぜそのお姉さんの存在を知ったのかは全く覚えていないのだけど
そのお姉さんは色白で、、丸顔で・・
とても絵が上手なお姉さんだった
キャンバスに描かれた人物像
それは初めてみるタッチで描かれた絵で・・
私以外にも近所の子達が何人か
学校から帰るとそのお姉さんがいる小屋のところに集まるようになっていた
ある時、お姉さんが私の絵を描いてくれた
とてもうれしくて・・
夏は日が長い
夜8時でもお天気の良い日は辺りがまだ明るい
夢中になってお姉さんと愉しいお話しをして
まさか夜の8時になっているなんて思ってもみなくて
近所の子達と家に帰ろうとしたら
たくさんの親たちが、私達を探すために大きな声で名前を呼んでいた
もちろん母からは
「今、何時だと思ってるんや!!
どれだけ心配したか!!
知らない人のところに勝手にいってはダメ!!」とひどく叱られた
大好きなお姉さんのところに行ってはいけない・・
そう思うと、、すごくすごく哀しくて
その日以来、私以外の子も多分だけど
親に叱られてお姉さんのところには行かないようになったと思う
ほとぼりが冷めた頃、しばらくして
私はこっそりお姉さんに会いにその小屋に行ったけど
もう・・そこには誰も住んでいる気配もなく
もちろんお姉さんの姿もなかった
(人が住めるような家ではなかったのでその場所が果たして
お姉さんのすまいだったのか、それともアトリエだったのか、、
よくわからない)
名前はたしか「ようこさん」と呼んでいた
あの人は誰だったのだろう? 何者だったのだろう?
やはり淋しい風が心に吹きぬけた
私はそれからもけっこうな自由人で
自分の魂の赴くままに行動することが多かった
OLとしてお勤めしたいたときも
朝、出勤途中あまりにも空は蒼く桜が美しく・・
こんな絶好の日に、、会社で仕事をするなんてもったいない
自転車通勤していた私は
会社とは違う方向に突然進路変更して
その日1日、京都市内の桜を自転車に乗って見てまわったこともあった
もちろん、、会社に電話は入れた
「出勤途中気分が悪くなったのでこれから家に引き返します・・・」と・・。
多分・・今でもかなりの自由人
そんな私も、、
時折この社会の中で生きていくうえで
自分の魂の感覚をおさえなければいけない場面もあって
そうすると、、とても苦しくなってしまう
心と魂のバランスをとっていくことも大事なこと
私だけじゃない・・
そうやって魂の感覚を上手に心で説得しながら生きている人達
それでもやっぱり、、いくつになっても
魂の赴くままに生きていきたい・・と
魂の赴くままに生きている「ぼくキセの一輝くん」をみていると
改めて思う
このドラマを観ると、
自分自身と通じるところがあってわくわくうれしくなってくる場面と
時折、、呼吸が苦しく切ない感覚に包まれるときがある
幼い頃私もすごく好奇心旺盛な子だった
通っていた小学校は通学路を歩いていくと
子供の足で約15分ぐらいのところにあった
でも・・一度どうしても違う道から帰りたくなってしかたない時があって
母からは「絶対に寄り道してはいけないよ」と言われていたけど
気になって気になってしょうがない道があった
当時私が住んでいた地域には染物工場がたくさんあって
遠く外からかすかにみえる薄暗い工場の中にいくつもの染物が
工場の高い天井から長くかけられている様が
美しいのだけど、、なんだか怖さもあって
怖いのに、、もっと近くに行って染物を見てみたい衝動にかられ
小学校2年生の頃1人、、その染物工場のある方向へ帰っていったことがあった
染物の独特の匂い、、立ちのぼる湯気
工場に近づくとやっぱりなんだか怖くて
私の知らない世界・・にきたようで
こんなにも家から近い場所なのに、まるで異世界に紛れこんだようだった
その日、私は長靴をはいていた
きっと午前中は雨が降っていたのかな?
でも学校から帰るときは晴れていたことを覚えている
染物工場を近くでみて、納得した私は
初めて足を踏み入れる場所から自宅へとむかった
いつも少し遠くからみていた大きな大きな砂山が今は目の前にあって、、、
今から思うとあの砂山はなんだったのだろう?と思うのだけど・・
その不思議な砂山が目の前にあることが妙にうれしかった
てくてく歩いていくと
突然ズボっ!!浅い泥沼にはまってしまった
ズボッ!ズボッ!!
長靴の中に泥がどんどん入りこんできて
1歩1歩進むのにも足がなかなか抜けない
結局、学校から家に辿り着くまでに1時間以上もかかってしまった
その日は確かに土曜日だった
膝まで泥だらけ
長靴の中も泥まみれ
案の定、母にめちゃくちゃ叱られた
すごく心配したのだろうなぁ・・と思う
そしてやっぱり小学校2年生の夏
その染物工場の近くのほったて小屋のようなところに
突然きれいなお姉さんが現れるようになった
なぜそのお姉さんの存在を知ったのかは全く覚えていないのだけど
そのお姉さんは色白で、、丸顔で・・
とても絵が上手なお姉さんだった
キャンバスに描かれた人物像
それは初めてみるタッチで描かれた絵で・・
私以外にも近所の子達が何人か
学校から帰るとそのお姉さんがいる小屋のところに集まるようになっていた
ある時、お姉さんが私の絵を描いてくれた
とてもうれしくて・・
夏は日が長い
夜8時でもお天気の良い日は辺りがまだ明るい
夢中になってお姉さんと愉しいお話しをして
まさか夜の8時になっているなんて思ってもみなくて
近所の子達と家に帰ろうとしたら
たくさんの親たちが、私達を探すために大きな声で名前を呼んでいた
もちろん母からは
「今、何時だと思ってるんや!!
どれだけ心配したか!!
知らない人のところに勝手にいってはダメ!!」とひどく叱られた
大好きなお姉さんのところに行ってはいけない・・
そう思うと、、すごくすごく哀しくて
その日以来、私以外の子も多分だけど
親に叱られてお姉さんのところには行かないようになったと思う
ほとぼりが冷めた頃、しばらくして
私はこっそりお姉さんに会いにその小屋に行ったけど
もう・・そこには誰も住んでいる気配もなく
もちろんお姉さんの姿もなかった
(人が住めるような家ではなかったのでその場所が果たして
お姉さんのすまいだったのか、それともアトリエだったのか、、
よくわからない)
名前はたしか「ようこさん」と呼んでいた
あの人は誰だったのだろう? 何者だったのだろう?
やはり淋しい風が心に吹きぬけた
私はそれからもけっこうな自由人で
自分の魂の赴くままに行動することが多かった
OLとしてお勤めしたいたときも
朝、出勤途中あまりにも空は蒼く桜が美しく・・
こんな絶好の日に、、会社で仕事をするなんてもったいない
自転車通勤していた私は
会社とは違う方向に突然進路変更して
その日1日、京都市内の桜を自転車に乗って見てまわったこともあった
もちろん、、会社に電話は入れた
「出勤途中気分が悪くなったのでこれから家に引き返します・・・」と・・。
多分・・今でもかなりの自由人
そんな私も、、
時折この社会の中で生きていくうえで
自分の魂の感覚をおさえなければいけない場面もあって
そうすると、、とても苦しくなってしまう
心と魂のバランスをとっていくことも大事なこと
私だけじゃない・・
そうやって魂の感覚を上手に心で説得しながら生きている人達
それでもやっぱり、、いくつになっても
魂の赴くままに生きていきたい・・と
魂の赴くままに生きている「ぼくキセの一輝くん」をみていると
改めて思う