京都ホリスティックアロマセラピストてんてんの ~幸せの風ふわふわ日記~

生きることは愉しいことヽ(^。^)ノ
~起こること・・すべては愛~

理不尽と思えることも実は理不尽ではない

2023-08-07 12:17:37 | 過去生療法

先日、父がお茶のお稽古に行きたいというので

いわばタクシー役をさせていただきました

父は35歳からお茶を学んでおり

若い頃から人の言うことを全く聴かない

友好関係もほとんどない

偏屈父も唯一、お茶の師匠のことは慕って

この年(父80歳)までお茶を学び続けています

お師匠さんは只今88歳

そんな父も3ケ月ほど前に

阪急西京極駅まで自転車で行った際

バランスを崩して転倒してようで

(幸い膝の打ち身だけですんだようです)

すっかり、外にでかけることが億劫になり・・

又、タクシーを呼んでもなかなかきてもらえない

・・ということでお茶のお稽古もお休みしていたのだそうです

以前にも書きましたがもうすぐ母が光にもどって1年

あれだけ人との交流を拒んでいた父が

さみしい、、さみしい、、というようになり

ずっと家に閉じこもっているので

心が腐ってしまって・・

1ケ月に1度でいいから片道だけでもいいから

お茶のお稽古に行きたいので

送迎してほしい・・と

お願いされました

複雑な想いが全くなかったといえば嘘になるけれど

私は今、福祉のお仕事で他人様のお世話をさせていただいたり

アロマのお仕事でも他人様の少しでも心が安らいだり

気持ちが軽くなるお手伝いをさせていただきたいと

しているのに、、

私をこの世に誕生させてくれた肉親である父のこと

昔はいろいろあったけど

大切にできないってどうよ

…と、心の中から聞こえてきました

そしたら、だんだんお願いを聴いてあげたい

・・という気持ちのほうが大きくなりました

しかもたった月1回だしね

朝、8:30に実家に父を迎えにいきました

若かりし頃はとってもお洒落でパリ!っとした父でしたが

なんだか着ている服もヨレっとしていて

持っているかばんもヨレっとしていて

ちょっと切なくなりました

お茶のお稽古は祇園花見小路

まぁ~~なんて素敵な場所で学んだはるのでしょ~

朝も早いので祇園まですいすい車で走れてしまいます

父からは片道でいい・・と言われましたが

お稽古は約1時間と少しなので

私は近くのタリーズコーヒーで本でも読んですごして

帰りもまた家まで送ってあげたくなりました

父もほんとうはそうしてほしそうでしたが

遠慮して言えないのは知っていましたから・・

「待ってるよ」というと

とても喜びました

祇園の朝はほんとうに人が少なく

私自身もこんな静かな祇園のカフェで読書できるのは

すごく良い時間を持てたようで

うれしくなりました

本を読んでいたら1時間なんてあっ!!という間

父は何度も何度も

おおきに・・ありがとう

・・と伝えてくれました

私もやっぱりさせてもらえてうれしい~

・・という気持ちでした

昔の父とのこと・・

アロマを学んでいないときは

「なんで私はこんな家に生まれたんんやろう」

「なんにもしてないのに(父に対して)

なんでこんな目に遭わないといけなんやろう~」

・・ってずっとずっと思ってきました

でも・・アロマでエネルギーの法則を学んで

過去生・・ということも学んで

不思議とこれまで父のことで

先生から過去生療法を受けたことは

一度もないのですけどね・・

理不尽な想いをするときって

きっと過去生でなにか私が

相手に辛い想いをさせてしまったことがあるのだと

理解できるようになりました

もちろん、そのことを心が真に納得するまで

時間はかかりますけどね

私はそれはほんとうだと思っています

きっと過去生で

私は父に対してなんらかの悲しい想いや

苦しい想いをさせてきてしまったのだと思います

アロマを学んでいなかったら

エネルギーの法則を学んでいなかったら

私は今生、やられたらやりかえす!!倍返しだ!!

・・とばかりに父を憎み、赦すことができず

自分の出したエネルギーで

大変な人生を歩むことになっていたと思います

げんに、、先ほども書かせていただきましたが

父にさせてもらえたことが

「うれしい」と心から思っている自分がいるのは確かで

清々しい気持ちでいっぱいなのです

きっときっと過去生で亡くなるとき

私の魂は誓ったのだとおもいます

「今度巡り合ったときは、悲しい想いはさせないよ」

「大切にするよ」と・・。

それが私の魂が真に望んでいることなのだと

感覚でわかります

私:「デイサービスに行っても

あんまりわがままばっかり言わんと、かわいらし~して

みなさんに可愛がってもらい

わがままばっかり言うてたら誰も大事にしてくれやらへんで

可愛い年寄りにならんとあかん」

(↑こんなふうに父に言える自分になったことも

ほんとうにびっくりしてしまいます

なにも・・なにも言えない自分でしたから・・)

父は苦笑いを浮かべながら

「そやなぁ」

・・と申しておりました

「そやなぁ」

・・と言える父

ほんとうに父は変わったなぁ

・・というか、、

本来はきっときっととっても素直で

優しい父だったのだと・・思います

父にも私の知らないところでいろいろあって、、

ほんとうにいろいろあって、、

偏屈にならざるを得なかっただけやと・・。

また、来月も早朝の祇園カフェで

読書タイム

愉しみたいと思います

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