
信仰目標にあるように、いつも明るく、みんなと仲良く、これが、運命を開く鍵になります。
もちろん、毎日その時、その時々の到達点、場合によっては、石につまづいて、元の木阿弥になることもあるでしょう。大怪我をしないためにも、祈りと奉仕で、その日の楔を打ち込んで、這い上がり、家族や周囲の人と共に、豊かな人生をあるかなければならないのです。
それは、来るべき日に備える意味もあります。それは、さておいて、喜びぐせは、明るさを産み、明るいということは、嫌いな人がいない。あるいは、いなくなった。嫌いな人を克服するだけで、実は、みんなと仲良くなったね。といえるのです。
私は、父親がゆるせなかった。御神尊様に出会い、此の方についていくんだ!まなこは、しっかりと、御神尊様に向け、言われる通り素直になることに勤め、3年のち、私を捨てた父親へのうらみが、溶けて流れるとともに、途方もない人生の景色が、七色の光をもって、我が家の暗黒の闇が、吹き払われて、今日がありますね。これは、わたしに限ったことではなく、道は、全ての人に開かれています。顔をあげるのです。嫌いな人がいるなら、その人手を繋ぐことだけで、みんなと仲良くが、完成しますよ。具体的ですね。