天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

7/3 継承拒否

2018-07-03 15:21:41 | 沿革


無性に故郷へのはやる心は、仕事を放棄して帰ることを父はどうおもうか。
何事も途中ほうきを許さない。父の顔が、浮かびます。
大立野の玄関を開けたとき、何と、父道祖様は、意に反して笑顔で、ようかえってきたな!
と、それからの7日間は、父道祖様との水入らず。これまでにない、暖かい日々でした。

好事、魔おおし。と古来いわれるように、
突然、道祖様は倒れられました。
生死の境は8日間、その間多くの弟子たちが、後を継いでと頼まれますが、
ここは、父親ゆずり、
後は継げない、!と拒否。しかし、ものいわない父のまなこは、何かを訴えているのです。
そして道祖様は、そのまま帰らぬ人となりました。
1926年大正15年10月20日67才でした。


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7/2 御神尊様 19才

2018-07-03 15:15:14 | 沿革



1906年、明治39年10月28日 佐賀県小城郡久保田村大立野で
力久辰三郎、ミネ様の、
二男四女の末子に生まれました。

道祖さまは、当時霊能透視家として有名でした。
そして、41才で宗教家になり、神道実行教の佐賀県教会長もしておられました。
道祖様は、宗教家になる前は漁師をされていましたが、眼病を患われ天山の奥の院で修行されて克服されました。
天山のふもとの河内には、信者さんがたくさんおられ、御神尊様は幼い頃連れていかれたようです。
そのころから、この子があとをつぐようになる、と予言されていました。

御神尊様の人生で、一度だけ社会と接点があります。
神戸に御姉様が結婚されておられ、そこに身を寄せ、神戸税関市電に勤務されたといわれています。
17才から、19才までの3年間です。

ある日突然、故郷が思われ帰心矢のごとし、
仕事には喜びこそあれ、不満はありませんが退職されて、
一路大立野に向かうことになるのです。
時は明治、社会は少しずつ西洋化されている時代です。

道祖様のお生まれは、文久元年幕末の
京都では、新撰組が池田屋襲撃などの血なまぐさい時代でした。


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