1927年、昭和2年、霊峰天山、1036メートル。
初修行の始まりです。
古来から霊場とされ、辰三郎道祖様もこの地で修行。
当時は医術の力より、信仰のちからに頼る時代でした。
眼病治癒とともに、霊能力発現は、瞬く間に近郷近在に広がり、漁師として魚を売ることが出来なくなるほど、行く先々で相談事に出会いました。
当時は、新しい宗教は、国が禁じていたので、
神道実行教のなかで、佐賀県教会長として、活動することになりました。
御神尊様は5日おきに、27キロの道を河内の円城寺家まで歩き、
小川で体を清めて、零時から登山をしていました。
白装束に提灯を下げて獣道を
ゆらゆらと木々のあいだから見えたと、信者さんの話です。
立志から4年間、春夏秋冬、暑い日、寒い雪の日、嵐でちょうちんの火が消え、暗黒のなかを、四つん這いでのぼる御神尊様を、いくら修行とはいえ、そこまでしなくとも今夜は休みなさいと、引き留められたこともたびたびでした。
明日は、立志誓願に入ります。
初修行の始まりです。
古来から霊場とされ、辰三郎道祖様もこの地で修行。
当時は医術の力より、信仰のちからに頼る時代でした。
眼病治癒とともに、霊能力発現は、瞬く間に近郷近在に広がり、漁師として魚を売ることが出来なくなるほど、行く先々で相談事に出会いました。
当時は、新しい宗教は、国が禁じていたので、
神道実行教のなかで、佐賀県教会長として、活動することになりました。
御神尊様は5日おきに、27キロの道を河内の円城寺家まで歩き、
小川で体を清めて、零時から登山をしていました。
白装束に提灯を下げて獣道を
ゆらゆらと木々のあいだから見えたと、信者さんの話です。
立志から4年間、春夏秋冬、暑い日、寒い雪の日、嵐でちょうちんの火が消え、暗黒のなかを、四つん這いでのぼる御神尊様を、いくら修行とはいえ、そこまでしなくとも今夜は休みなさいと、引き留められたこともたびたびでした。
明日は、立志誓願に入ります。