天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

7/5 継承決意の2

2018-07-12 10:36:23 | 沿革
1927年、昭和2年、霊峰天山、1036メートル。
初修行の始まりです。

古来から霊場とされ、辰三郎道祖様もこの地で修行。

当時は医術の力より、信仰のちからに頼る時代でした。
眼病治癒とともに、霊能力発現は、瞬く間に近郷近在に広がり、漁師として魚を売ることが出来なくなるほど、行く先々で相談事に出会いました。

当時は、新しい宗教は、国が禁じていたので、
神道実行教のなかで、佐賀県教会長として、活動することになりました。

御神尊様は5日おきに、27キロの道を河内の円城寺家まで歩き、
小川で体を清めて、零時から登山をしていました。

白装束に提灯を下げて獣道を
ゆらゆらと木々のあいだから見えたと、信者さんの話です。

立志から4年間、春夏秋冬、暑い日、寒い雪の日、嵐でちょうちんの火が消え、暗黒のなかを、四つん這いでのぼる御神尊様を、いくら修行とはいえ、そこまでしなくとも今夜は休みなさいと、引き留められたこともたびたびでした。
明日は、立志誓願に入ります。
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7/4 継承決意

2018-07-12 10:29:16 | 沿革


50日間の喪に服しながら、迷いに迷う、日々でした。

弟子たちの悩ましい姿のなかに見え隠れするのは、父とのご縁。

いづれも、何らかの病気や、複雑な事情によるもの。

このような、人々を、この世の不幸を、みすごせるのか?見過ごしていいのだろうか?

やがて、50日祭を迎え、すべてがおわり、御生家の廊下にでて、夜空を仰ぐと、
ひときわ、輝く星が、御神尊様の、胸のなかに、衝撃をもって、入ってきたのです。

その瞬間、我、宗教家のみちをいかん。
御啓示とともに、天命をお悟りになられました。

ときに、1926年、大正15年12月8日、御年、20才でありました。

ただちに、誓約文、10ケ条を御神殿に、お供えしました。

そのなかに、20年の御行を誓約していました。
理由は、父、道祖様が、41才で、宗教家になられたので、20年の修行を重ねれば、父のようになれるだろう。との思いでした。
この場に居合わせた弟子たちが、継承のよろけびのなかに、驚いたのは、お顔と、おこえが、道祖様に変わられたことでありました。

念願成就、行神の波動体得をお示しになられたのです。
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