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さて、十字の信仰といえば、キリスト教のようですが、まったく関係ありません。
昔から、犯罪者をハリツケの刑にするために、日本にも西洋にも十字架はありました。
ただ、この忌まわしい十字架を、神と一体の尊い存在にまで高めたのは、キリスト教と聞いています。
御神尊様は、目には見ることはできないけれど、〈祈りと、道の教え〉とで見る気でみれば、天地の公道として、目の前《十字の信仰》が開けていると教えています。
神に向っての祈りは縦の道、人に祈るは横の道。
この縦と横の交わるところに、十字の信仰があり、その交差点に〈愛の生活〉があります。
これを立体的信仰といいます。
神の恵みをいただこうとするならば、天地の公道、《十字の信仰》を歩まねばなりません。
信仰が誤解されやすいのは、人を忘れて、神への一辺倒の祈りに偏してしまうからです。
善隣の道は、神を中心にしながら、人と人がお互いに理解といたわりをもって、寄り添うところにあります。
結論は、十字の信仰により、それぞれの家庭の愛の交差点が、癒される場所でありたいものです。
それこそ、神様のうてなにいだかれて、幸福健康のあらざるなし、です。