天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

合掌の生活

2020-09-21 10:21:00 | 信仰と生活
令和2年・8・6、性格と運命
[曇りなき心の底の知らるるは 言葉の玉の光なりけり]

昨日はとても気持ちの良い朝でした。私は認知症検査を免許試験場で受けるため、渋滞を考えて7時に出ました。

やはり渋滞に巻き込まれて、検査は8時30分開始時間、2分前会場近くまできました、『ああもう今日はダメ間に合わない』諦めると焦りの気持ちがスーツと消えます。すると突然携帯がなり、試験場から連絡です。『建物は見えています』と『伝えるとお待ちしています』と、耳をうたがいました。

本当に優しいことばに励まされ、試験場の4階で受け付けを済ませ会場では、私ひとりを待ってくれていました。やがて10分遅れではじまりましたが、講師の話にしっかりと耳を傾け合格点で、また運転の資格が見えてきました。次は日を改め実技の検査の予定も立ち、嬉しい限りの朝でした。

日頃は皆さんと、あさのことばを交換している以上、しっかり思いおこしながら『時間との焦り』を『またの機会にしよう。今日は久しぶりのドライブ』などと、『気の切り替え』を時をおかずにできるのもありがたいことです。

すると、思いもかけず福岡運転免許試験センターから、救いの手が差し伸べられたのです。これを単に偶然の出来事ということもできます。

しかしここが肝心なところ、喜び少ない人生で小さなできごとによろこびを発見する訓練こそ、大きな喜びへの一歩につながります。これに『感動を見出す感性』と『合掌の生活は、今朝も道を開いて』くれました。やります!
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足元の自我

2020-09-21 10:07:00 | 運命と心
令和2年・8・4、天地の公道
[不幸の中の幸福]

幸福は求めて得られるものではありません。それよりも、足元を見つめてこそ得られるものでしょう。

それは自己のもつ不幸の真相を、自らの手で心中を解剖してみる必要があります。
特に『自我という存在が、心を占めて』それに翻弄されていることがあります。

そこに気づき『その邪気邪念を整理する』ことで、自然に不幸の原因は取り除かれるといわれます。

『不幸のタネ』をそのままに『幸福をもとめる』のは、たとえ一時の栄えに恵まれたとしても、それは浮かべる雲のようなもので、真の満足はえられないでしょう。

そもそも不幸というものは、『その人の性格、精神、生活』の実質から生じた自然の現象です。はじめにもどれば、私はどのような人間なのか、どこが人間関係を阻害しているのか、そこを自らの手で掴み『反省、懺悔、そして思い切って改善』の勇気があればたちまち回復することです。

不幸は、その人から出た錆のようなものともいわれます。『反省の、懺悔の、改善は』いわば『と石』のような存在。しかも人の手を借りずに、我が手で自由自在に磨きをかけることができます。

そこから本来の光が現れて、不幸の底から幸福を見出すことができるでしょう。運命の不思議に預かるもっとも、的確で適切な方法のひとつです。やります!

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心のハンドル操作

2020-09-21 09:38:00 | 信仰と生活
令和2年・8・3、天地の慈悲
[進善でいきましょう]

地球が自転し公転し続けているから、四季や季節の変化があります。人間の心もまた絶えず変化しています。

あなたの心は意識するしないにかかわらず、絶えず動いていることになります。
つまり人間の精神は常に進み続けていてこそ、幸せを生み出すことができます。

ではどの方向に進むのか。そこに進善という道があり、心のハンドル操作を示されています。
❶走らず ❷囚われず ❸ 悩まず ❹心身共に 明朗にして楽しみを失わず ❹ らしさの発揮に努力する 
これが進善の正体。といわれます。

『走らずは、感情のこと』であり、腹の虫のいどころで調節の効かないことはよくあることです。
『人間精神の中で感情のコントロール』がうまくいかなければ、人間関係はこわれるだけです。

そこに『ひょこっと』我の根性も顔を出すから始末に困ります。
『囚われ、悩み、挙句には喜びも楽しみ』も吹っ飛んでしまうものです。

それを超えるために『進善』があります。
事情に振舞わされないようにするには『合掌の生活で精神を整え、自分を客観的に見つめ省みる』時間が必要です。
そこから『感謝が生れればしめたものです』
やります!



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不安回路オフ

2020-09-21 09:21:00 | 運命の原理
令和2年・8・2、考え方と運命
[自分はダメだと思うべからず]


自分の思いのままに運命は作られていくならば、『自分はダメと思えば、その時点で気が陰気にグンとさがっていきます。だから、思えば思うほど、その思念に引きずられて悪い方へ落ちていきます。

世間では、悪性の病気をしている人を、落語会の話しで笑うことで、病気を回復させる方法をとっているとか。
これなども、肉体的には体を柔らかく、気を変えて陽気に新陳代謝させていくものです。

御神尊様は『喜怒哀楽がでれば助かるぞ』と言われていました。病人は心が治る、治らないなどと固まってしまい事情とともに、不安に取り付かれて、ひまさえあれば自分自身をもうダメなんじゃあないかと心を傷つけてしまいます。

そして、この看護師さん、先生、あの介護士さんと、あちらの方が、優秀なんじゃやないかしら。なぜなら、担当している患者さん、向こうのほうが、私より早く良くなってそうなどと、妄想が絶えず脅かしてきます。

心の底に信頼できるもの、尊敬できる人。これをもっていれば絶対です。
その人のひとことが効けて、迷いの淵から解放されるからです。
病気と寿命は関係ありません。その不安回路をオフにしましょう。
絶対助かります。やります!
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チャンスの出所

2020-09-21 09:10:00 | 信仰と生活
令和2年・8・1、生活と運命
[治りやすい病気、治りがたい病いを病名が決定するにあらず]


今の世の中は、コロナによってピンチになっています。
いや、ピンチと思っている人が、増えていると言ったほうが正解でしょう。

しかし、よくよく意見を聞けば、その中にピンチをチャンスに変えている人、職場、会社があるということです。

ピンチの穴をなんで埋めて、チャンスにするのか。実はコロナが流行る以前から、それぞれの生き方はピンチとチャンスを繰り返してきたのです。かくいう私も大病を患い、死の淵に立つ中からチャンスを掴みました。ピンチに何をもってチャンスとするか。

『治りやすい病気、治り難い病い』を病名がきめるものではなく、
厄介な病気のピンチは、あなたの何をもって埋め合わせて治すことになるか。

まずは、健康への鍵を、医師に預ける病人は完全にピンチのままです。
チャンスと捉えた時、自分の人がらを判断できる冷静さで、完治をめざすのです。

何が足らないのか、御神尊様は『ただ、その人の固さ、鋭さ、執念深さの人質による』といわれます。
つまり、健康の問題もありますが、それを先とするよりも、まずは、人となりの改善を先とするところから、はじまるといわれます。やります!

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