天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

好転期

2020-09-25 09:31:00 | 運命と心
あさのことば、令和2年8月13日、
「不幸は幸福への足場なり」

人間の世界には、悩みや苦しみはつきもの、
また、ひとそれぞれ、何かの事情や不利な条件を持っているものであります。

でも、それから逃れようと無駄な努力をしたり、いつまでも悔やんで時間の浪費に走ったり、自分の運命を悲しんだりすることは、じたいを悪化させるだけです。

運を開くには困難にであっても、けしてくじけず、こだわらず、
これも想定内、当然のように気安くうけ、むしろそのなかから、何かを学びとる気持ちがだいじです。

諦めるのは、悲観的。認めて受け入れるのは、その気持には、停滞がない、迷いもさるものです。
だからいかなる困難に対しても、やりますを忘れず、果敢に前にすすむべきであります。
事態は好転するものです。やります!
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実行と実践

2020-09-25 09:23:00 | 運命と生活
令和2年・8・12、天地と繋がる
[親切とは、特別に人に何かをしてあげるばかりではない]


「実行、実践」と、よく使われることばです。
実行とは、1回行うことです。
実践は今日も明日も続けることです。

その結果、最近の評価は粘り強く続ける人を天才と呼ぶ、専門家も現れています。
確かにそういわれれば、大切なことは続けることですね。

折に触れて、天地と繋がる生き方を強調してきましたが、そのひとつが周囲に対する配慮にあります。
気配り思いやりが自然の行動に出てくるのは、なかなかの人物ですね。

かつて合気道の師範を、稽古会場の前で待っていますと、珍しくひとりでこられました。
私の師匠ですからバッグを受け取ろう、としましたが渡してくれません。

そこで私は、若い人にバッグをと言いますと、師範はわたしてくれました。
師範の考えはいかに弟子の一人であろうと、年上には敬意をもって接する人であったことを思いました。

その姿勢から今や九州だけでなく、世界の主要都市に道場があります。
その背中からは、常に今、ここを大切にと、思いやりの心を感じたものです。

人間生活は相対的なもの、けして相手だけが悪いわけではなく、
そこには、ちょっとしたことばと行動で充分通じていくものです。
あなたから、天を見離してはなりません。お願いします。やります! 


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心の鏡

2020-09-25 09:18:00 | 信仰と生活
令和2年・8・11、天地の慈悲
[人間的喜びは 肉体的なものよりも 精神的なものがより尊い]

コロナの時代の副産物は、罹った人を誹謗中傷する傾向が見られます。
人間性の変化は向上に向かわなければなりません。
これも宿題になってきました。心優しいおもてなし民族がです。

今ほど喜びごとをいかにつくりだすか?日頃の努力がもとめられます。

具体的には、人を嫌ったり避けたりすると、同じように相手からいやがられ避けられて、あげくには意地悪され行き場を失うこともありましょう。

また、こちらが愛情を注ぐ程度に応じてしか、世間は愛情を返してはくれないものです。
責めれば責めるだけ、相手から責め返される、相手が誠意を示したらこちらもそれに応じる、というのでは問題の解決はさきおくりです。

そこで思い切って、やりますで、先んじて誠意を示せば、さすがに相手もおれざるをえないでしょう。
なぜなら人は常に自分をうつす心の鏡だからです。

だからこそ、相手の美点を探すように心がければ、欠点と見えたところが、案外角度を変えるまなこが育てば、長所が見えてくるのではありませんか?やります!
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まろやかに

2020-09-25 09:14:00 | 信仰と生活
令和2年・8・10、天地の慈悲
[まろやかな道]


世の中は面白いもので、ちょっとしたことで、キレる人がいてワイドショーの格好の餌食になっています。

古い話で恐縮ですが金平糖という、砂糖菓子がありました。それに対して、チャイナマーブルがありました。この菓子はかたや、突起物があり、反対に丸いものでした。

のちに人間の性格のようなものと、思ったことがあります。
ただその甘さが改善の甘さ、自分に対しての甘さを想像させました。

それだけ自分の欠点を持て余していたともいえます。
幼い頃から、病人に囲まれて育った環境とその遺伝子で、陰気で暗いことに何の不思議も抱かなかったものです。

迷っていましたね。
まず、疑問があっても、反省がありません。
悪いとは知りながら、素知らぬ風を装いその場を凌ごうとします。
これこそ育ち、祖父母の代から笑わない家、自己保身の家だからです。

そこで見たものは、過去を反省しない、懺悔しらずの改善ベタ、人間らしからぬ心と生活にありました。
そこを改めてくれたのは、周りの同じ苦しみを共にする人々でした。

そこから目覚め、過去、現在のすべての事情を精算しつつ、人に愛されたい、家族に愛されたい、そのためにこそ、何があっても心の角を丸め、和やかで、まろやかさを身につけるため、合掌の生活に努力したものです。やります!

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あっさりと

2020-09-25 09:11:00 | 信仰と生活
令和2年・8・9、天地の慈悲
[長期の病気は その根深く、短期の病気はその根浅し]

このところ、病気に関することばを取り上げているのは、現在病気を患っている方に対する祈りの気を込めています。

病気には短時日で治るものと、何年かかっても治らないものがあります。
また同じ病気でも人によっては、わずかの時間で全快するし、長年月の療養を要するものがあります。

人次第で病気が長かったり短かかったり、そのよってきたる原因はどこにあるのでしょうか。
もう病気の母体は人それぞれにあることは述べてきた通り、その人の性格の使い方に根本原因があります。

『死んでも忘れるものか!』という根性。『この恨み墓の中まで持っていくぞ』とか。

執念を心の奥深く食いこんでいるような人は、病気の方も命がけでついていきます。
簡単にはいきません。それに比してアッサリ型(短期型)の性格の人は、例え病気になっても、すぐ病気を忘れる人、病原の性分を捨ててしまいます。

だから、病気もさようならしてしまう。
病気、病名に囚われるより、アッサリした性格を目指すことにあります。やります!



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