私たちは、どのようにして心の広さ狭さを実感するんでしょう。
狭さを実感するのは、
たぶん、自分の思う通りに相手がならないときでしょうか?
私は自分の短気を、病気の壁に突き当たり、初めて自覚しました。
だいぶ心の入り口が狭くて細くて、そこを通れない結果、キレていたのかもしれません。
しかも、他人にはキレてない風を装い、身内には遠慮なくキレていたように思います。
風を装う、罪。
私は何もしていません!と、いかにも、何事もないかのように作る。
でも、心底ではけっこう腹立てていますね。
その証拠に、家族を傷つけ、気を遣わせていますから。
自らの心の狭さに気づかず、常に事情をとりこみ、育てる事になります。
ああでもない、こうでもない。心のなかで、モンモンと揉んで、悩みが増します。
小さな出口、入り口で悩ましさだけに苦しむことになります。
そんな時は、ちょっと一呼吸!
やっぱり悪かったなあ!ごめんなさい!と言えると、
心の悩み玉が、ポンと飛びだす。
ああ、スッキリ! 思わず笑顔です。
こんな時が信仰心の生かしどころです。
この繰り返しで、心の出入口は鍛えられるのです。
合掌
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