私達は、毎日の仕事や生活におわれて、
多忙のなかで、我を忘れてしまうことがよくありますね。
ともすれば、感情的に切れてみたり、心が何かに囚われ悩ましい日々を送ることになりかねません。
そうなると、冷静に過ぎ越し方を見つめる余裕もなくなり、
たまには病気になってゆっくり休みたいと、ワガママがでるもの。
それは、まるで自分の力だけで生きているかのようです。
努力して忙しく働いても、不幸せになっては元も子もありません。
毎日朝が来て、何の疑問もなく起きて、当たり前のように食事や仕事の準備にすぎていきますね。
でも、当たり前に見える世界も、神様のまなこを借りて見渡すと、
不思議にも、生きているから、生かされていることが見えてきます。
自然の働きの中にある自分の力の小さいことが分かると、
感謝が生まれ、感動が胸を満たしてくれます。
それにより、ストレスが発散され、心のアカも洗われて、生命力をいただくのです。
この自覚があって、信仰心にめざめたといえるでしょう。
自分ひとりで生きている。そうかんがえるのは勝手ですか、
良く良く考えると、違う事が分かるはずです。
天地自然の働きのなかで、正しい努力を重ねていけば、
末代までの幸せを作ることができるのです。
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