天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

10/11 絡んだ糸は、

2018-10-13 12:06:11 | 運命と心



私たちは、苦しいことにいきあたると、すぐに心配する動物です。

苦しみは、なかなか、喜んで迎えられるものではありません。

それは、我が身がかわいいからです。

そこから抜け出して、自分の姿を静かに眺めることができれば、乗り越えることができるでしょう。

ただし、御神尊様のこのお言葉の奥には《神を信じることにおいて、私とあなた方とは、天地の違いがある》と、述べられています。
苦しみに遭遇したときに、重いレンガを背う行のような心持ちは、日頃の合掌の積み重ねによるもの。

だから、後神尊様の、どんなに悪しざまにいわれ、そしられても、笑って受ける美しさは、格別です。

喜んで、難問の糸をほぐす。
もつれた糸は、ハサミで裁つ。
朗らかに処理する。

そんなあなたであれば、
すでに、幸せになっているはずです。
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10/10 心の掃除

2018-10-13 12:00:12 | 運命と心


家のなかの、掃除や片付けは、きちんとする方がいます。
時に、磨く人もいます。

独身時代、よそ様の家を訪問したとき、玄関から居間まで、ピッかぴかに磨かれていたのに、驚いたことがありました。

そして外からかえってきた、お子さんは玄関で着ているものを脱がせて、お風呂場いき、キレイに洗って居間にはいります。

そのお子さんはからだが弱く、食中毒にたびたびかかっていました。

のちに、何が原因か、道の勉強が進むにつれて、理解できるようになりました。

その子のお母さんは、キレイずき。
主人にも、つねひごろから、上から目線で物を言っていました。
加えて、親戚姉妹への批判が激しいものがありました。

家の掃除は、行き届いていましたが、心の掃除は〈心中の整理〉
わだかまりの掃除は、知らなかったのです。

そこに、〈幸福、健康〉の秘訣がありました。
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10/9 見ゆるもの

2018-10-13 11:29:35 | 運命と心


私たちの心は、隠そうとすると、色にでるなどといわれてきました。

善いことは、〈喜色満面〉
悪いことは、〈梅干しを噛む音きいて、しかめ面〉

隠しようがない〈心と体〉そして、〈人間関係〉に現れてくるものです。

合掌が身に付いてくると、
顔のかたさがとれ、
言葉の角がとれて、
体つきが柔和になってきます。

その人なりのバリアが生まれて、「友達になりたい」とか、「一緒にいると安らぐ‼️」と
云われる方がいます。

年齢を重ねると共に、夫婦がそうなると良いですね。

ご先祖様も、御神尊様も、見えませんが、向こうからは見えているのです。
見えない存在が、感じられたら幸せ者ですね。

そうなりましょう。 合掌!
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10/3 人生の卒業証書

2018-10-13 11:17:39 | 信仰



今朝の祈りは、義母の「私が死んだら祈ってくれる」を思い出しました。

18才で結婚。姑に鍛えられ、4才の私を育ててきました。
当時の教主様に、「息子(私)を差し上げます」と言ったことを、しきりにおもわれるのも、幽顕行でしょうか?

義母は、昭和33年を境に、苦海から喜びの世界にはいりました。

それまでの苦労は、御神尊様とのご縁のきっかけとなりました。

姑を見送り、主人も見送り、
実の子がありながら、私たち家族と暮らしていました。

義母は、祈りを軸に、大きなことはできずとも、人の話しに耳を傾けました。
〈ともすがり〉と、原田行場の献身行にも、定期的にまいっていました。

常に御神尊様と向き合う姿勢、
その背中は、今もはっきり思い出されるのです。

人を憎んだり咎めたりする心は、〈笑顔と笑い声〉を奪っていました。
手を合わせて、そのことが分かってきました。

義母は〈我の念〉を断ち、〈どんなときでも、にっこり、おはよう〉と云える人になって、人生を卒業しました。有りがたいことです。

合掌
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10/2 未完の人生

2018-10-02 12:31:39 | 信仰


考えてみれば、ひとの人格は、ほとんど未完成のままです。

よき家庭、よき社会人になるには、
学校や家庭教育に加えて、宗教教育によって、人柄の修養を神様は求めています。

体験的に言えば、〈祈りと奉仕の修行を積んで、いつも、明るく、みんなと仲良く〉です。
この世は修行であり、努力目標で完成することはありません。

しかし、
何もしない、努力しない人は、無責任では無いでしょうか。
そして何もしないと、人生不可解の苦で終わることになります

人生は、あの世とこの世の、《合鏡》あわせ鏡と教えられました。

未完の中に、なお努力を惜しまない人になって下さい。
そすれば、御神尊様、ご先祖様のみひかりに包まれ、やがて霊性の完成をみるでしょう。

平成9年、臨死体験から生還を見た。私の思いです。


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10/1 人生の保証

2018-10-01 16:40:29 | 信仰


変わった言葉。いのちの保証、生活の保証、幸福健康の保証など、どれも大切です。

人は常に、幸福健康が脅かされて、不安と焦燥に包まれています。

日夜悩みの絶え間がなく、〈憐れにも、悲しき生涯を終わらん〉とするのが、私たちの生きてゆくすがたです。

保証こそ、人間生涯の生命線です。
誰が保証してくれるのか?
それは何人でもなく、自分自身です。

保証する方法は、合掌礼拝、
信仰の人となり、その誠をもって、《天地自然の道に反逆せず》

その生き方に立つとき、〈人生の保証〉がなされるのです。
おのづから、生命 生活 幸福健康は保証されます。

朝の祈りのなか、霊名帳には、母方の祖母と、生母の妹が乗っていました。妹は16才でした。

天地の道を知らず、我が知恵でのみ生きようとして、生きられなかった。
その時を考えると、家族の歴史と運命が、手に取るように解るのです。

私の使命は、笑顔の川を孫の末まで流して、人生を保証するつもりです。
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9/30 無我能力とは

2018-10-01 16:32:04 | 信仰


自我に目覚めることは、大人になる入り口。
小学五年位になると、会話が成立するようになり、語彙もふえます。
今後は、教育、仕事の選択を通して、自我能力は育つのでしょうか?

自我の眼(まなこ)は、みづから我を束縛してしまう、とあり。

神様の心配は、社会のなかでは、〈にくみ、とがめ、とらわれ〉も、友人としてそばにいることです。

いっぽう宗教は、無我能力をやしない、無我の目は、自らを自由の天地で、のびのびと人生を楽しむことができるとあります。

つまり、合掌を身に付けて、《明るく 柔らかく 優しく》を目指して、玉ねぎの皮をむくように、日々をかさねたいものです。

私の、キイワードは「はい」にあります。
昨日は、意識的に、はいを素直にいえました。
玉ねぎの皮が、1枚むけました。
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