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天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

5/28 天地の計らい

2019-07-09 12:51:35 | 運命の認識


2019(元年)5・28、情と人間関係
[情とは血液と、その循環の如し]

抱え込んでいる悩みや苦しみは、いまさら戻ることのできない後悔だったり、誰も体験していない明日への不安だったりします。

その原因は[夫婦親子]や[他者との精神的循環作用が停滞する]と、とたんに、淋しさ、冷たさ、苦しさを感覚するようになっています。とたんに不幸せという即決、があらわれます。

それを[つい相手のせいにしてしまう]ので、余計に苦しさは、倍増するのです。
仕事の忙しさを理由に、物言いが荒々しくなり、平気で乱暴なことばを浴びせたりします。

『おしゃべりではあるが、口やかましい』おしゃべりがあります。まさに口を使った、毒物のたれ流しですね。

御神尊様は、ほんとうのおしゃべりは、《相手を認め、元気の出ることばのやりとり》といわれます。
それを重ねる努力こそ、精神的循環作用が順調に流れ、その瞬間に、ここでも幸せという即決が瞬時にうまれるのです。

すべて『天地の、計らいは平等』です。人と人のあいだに、情が循環している限り、笑顔の絶えない人間関係が生まれ、幸せはかぎりなしです。
情は常に我と人とのあいだに、循環しなければならない天地の慈悲ですね。
苦しさは、そのことを天地が教えてくれています。
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5/27 幸せの種

2019-07-09 08:45:49 | 人生


元年、5・27、神のご慈悲
[ひと粒のタネ]

『ひと粒の種』といえども、『自然の恵み』なくては、成長はありません。種にいのちあれども、種にひそむ力だけでは、どうにもならないのです。土に蒔き自然の恵みが加わるとき、この種は芽をふきます。

私たちも、同じように『自分の力だけ』では、『生きていく』ことはできません。『生きる力』として、『考える力、ものを言う力、働く力』があります。しかし、これだけでは生きられません。自分以外の人々、天と地、自然界 のすべてを対象に、そこから受ける恵みなしには、生きることはできません。
大きな力、大生命(だいせいめい)の手の中に包まれていることを、感ぜずにはいられません。

健全な身体に、恵まれていても人としての生き方に、多くの疑問を抱く場合があります。
いのちを、どのように永らえたとしても、すでに存在が無きに等しい生き方もあるのです。たとえ、身体は消滅しても、多くの人の心を捉えて離さず、幸せへとみちびく永遠のたましいの存在もあります。

このように、本来の私たちは、天地のめぐみの、いのちのはざまに生かされて、霊、魂(たましい)の神化(しんげ)をめざしています。
さあー〜、御神尊様のふところに抱かれ、すべてをお任せてましょう。そして、気になる人と偕に手をとりあい、祈りつつ歩ませていただきましょう。
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5/26 人生の師

2019-07-09 08:38:17 | 人生


2019、(元年)5・26、人間関係と運命
[人にすぐれたものを求めるのはよいが、完全なものを求めるのは間違っている]

何の世界でも、達人といわれる人はいるものです。最近のテレビでは、退職後の人生を紹介する番組があります。そこでは、そば打ち職人、作陶、陶芸、農家に憧れて野菜レストランを開くなど、人生を転換しています。

そこで、肝心なことは、まずは
❶師匠、先生を探すことです。次は、人生転換の成功の鍵は、
❷地域のコミュニティに受け入れられ、溶け込むことができるかです。
ここが、うまく行かず2〜3年で、壁が来てしまいます。

私の師匠[御神尊様]は、圧倒的な人格力と神格力をおもちでした。その方について、修行はスタートしましたが、やがて気を深めるために、40代から合気の修行も始めました。
その時に、『師匠は3年かけて探すこと』を、教えられました。
そこでの師匠もまた、素晴らしい方にめぐまれました。次々に現れる先生方に、素晴らしい技術を伝授していただきました。

《師匠、先生方》が求めてきたものを一心に学ぶ、ただそれだけの目的でした。そして、卓越した技術の習得に、心の炎を燃やしたものです。

人というものは、不思議な存在です。自分が少しでもその道に馴染(なじむ)と、不足不満が芽吹いてきます。師匠の足元ばかり見る人が出てきます。そして増上慢になり、すべて身に付けたと、その世界から出て行く人がいます。
師匠に出会った感動から、次に慣れが生まれ、そしてさらなる完全さを求め、批判して離れていくのです。

『今の感動は、今おわります』『次の感動は、学びの中から補充されます』そして、すぐれたものを受け継ぐのです。『人は、神ではありません』『完全さを求める前に、自分自身はどうなのか?』がなければ、何もできませんし、うまれませんね。
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5/25 因果関係

2019-07-05 09:11:43 | 人生


元年、5・25、人生と因果関係
[人を尊ぶことは、自分を尊ぶことになる]

『人は己が心の鏡』『相手の動作はすべて自分の心を移す映像』となると『自分の心の鏡』が、曇っていては、相手の良いところも、悪いところも、映像がはっきりせず、尊敬すべきところも、分からずじまいになりそうです。そこに『運命に影響』するところがでてきます。

『家の中の波風が、おさまらないとか』『仕事に貴賎は無い』とは、いいながら、『自分の人を見る目が、差別的に偏っている』ことも、見えないとか。私のように、両親の愛を知らないと、『その痩せた心は、人一倍ひがみが強く、周囲の家族関係や外の人間関係と衝突する』ことも、多くなります。

そこのところを、『祈りと人さまのお世話』によって、磨かれて、人間誰もが、同じ価値、能力、愛の力もっていることに、気付いていきます。それは、『妻を先に、あるいは夫を立て、家族とともに、人様と偕に歩くとき』いつのまか、『人の良きところを、発見できる』まなこが育っていきます。

『運命の善し悪し』は、つまるところ、『人間関係の善し悪し』でもあります。『人を尊ぶこと』は、まわりまわって、『あなた、自身も尊ばれる』ことにつながることです。とにかく、『目の前の相手を大切にする』ことの、『因果は、あなたにも、大切にされる気持ちが、よせられる』ということです。人生は、1日、1日が己を育むものです。偕に、乗り越えて行き ましょう。
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5/24 人生苦の意味

2019-07-05 09:05:28 | 運命の原理


元年、5・24、人生の苦楽
[苦労は、たんに人を苦しめるだけのものではない]

『幸せ健康は、ひとつですが、苦労は万態』つまり、数知れずです。その苦労は私たちを苦しめるためにのみ、日々、生まれてくるものでしょうか?

(忠言、耳に逆らい、良薬、口ににがし)というように、人の意見、忠告は受け入れがたいものです。そこで、前途を心配される、神は、さまざまな形で試練を与えるのです。それが、時として、あなたの考え方の範囲を超えて、大きな荷物とかんじられたときに、苦労、苦悩となっていきます。

それは、あなたを励まし、あなたを、何ものにもたえられる、強さを与えてくれるものです。もし、そのような、意味が人生に見出せないとすれば、『運命から、宿命になり、生きている限り、苦労から、抜け出せない』ことになります。

日々の苦労に、『何を神は求めているのか、』大きくいえば、まず、[❶自分のことばかり考えて、家族や人の責任を追求すること。][❷自己反省のない生活。]から、
『私たちは、ひとりでは、生きていけないので、まずは、自らが助け合いの手を差し伸べ、愛情を注ぐ側に回ること』
を求めています。

『神は、自分の力や、能力を過信せず』『いつも謙虚な気持ちで、人の言い分に耳を傾ける、そして、人に親しまれるための人生苦でありましょう』偕に手をとりあい、喜びの道を行きましょうね。

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5/23 目の前の幸せ

2019-07-05 09:02:40 | 運命の原理


元年、5・23、人生と運命
[幸福(しあわせ)は、遠きにあらず]

『しあわせは、遠きにありて思うもの』と、『しあわせ感』のカケラも、感じたことのない青春がありました。その家庭には、笑顔は存在していません。そのことが、『ふしあわせである』すら知らないのでした。

養父の病気で、運命の暗転により、家族全体があがき始めました。でも、『しあわせと健康を作る道』を知らず、『道具も知らない』なんて、なんと無知な人生を歩いていたのでしょうか?

御神尊様に道を学び、道をしめされて、初めて家族がひとつになり、『しあわせ街道』を走りはじめるのです。『しあわせは遠きにあらず』では、どこにある?それは、『我が家にあって、家族ひとりひとりの心』にありました。難病に侵された養父の心は、『何に囚われていたのか?』まわりの『家族は、それを理解して、手を差し伸べていたのか?』

『無知は最大の罪なり!』お互いの心は、『愛情を注ぐより、さばきあっていたのではないのか?』お互いの反省と懺悔の中で、人間は生きている、そして、生かされて生きている、ことを知ったとき、感謝の気持ちがうまれるのです。

そして、『親、夫婦、子ども、の関係が繋がり、目の前のしあわせを体感できる』のです。『しあわせは、遠きにあらず』です。『心のまなこを、大きく見開いて見よ。』
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5/22 因果の道

2019-07-05 09:00:34 | 運命の原理


元年、5・22、因果の理法
[求め心は、人生の毒薬]

人の心というのは、面白いもの。『自分が相手を理解せずに、偏った気持ちで見ている』と、『相手もそれと同じ気持ちでこちらを見ている』から、おどろきです。

そこから考えてみると、『夫が冷たい』『妻が理解がない』と言う前に、『夫が妻が、それぞれの立場で、どれだけ愛してきたか。』たとえば、『愛されたいと求めるばかり』で、『相手の気持ちがどこにあるのか。』とは、思いません。

『私が、こうしてほしい』と思うようなことを、『すこしでも、できたなら』また、『愛されるためには、何がたらないのか?』『相手を直したい』の、『求め心』の前に、『自分の足らないところ』に気付けば、妙なことに、『相手に、その波動は通じて変わる』から不思議です。『因果の道』をつかさどる方が、さまざまな課題を与えて、『人生の毒薬を良薬に変えて、道を開いてくれますね。

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5/21 自然な生き方

2019-07-05 08:57:17 | 運命と生活


元年、5・21、生活と人生
[不自然な生き方をしていませんか?]

先日、将棋の羽生善治永世名人が、インタビューに答えていました。『負けたあとの気分を、翌日に持ち越しませんか?』ときかれました。すると、『勝っても負けても、忘れます。』『どれだけ忘れられるか』『忘れる力が問題』です。と返ってきました。これは、暗に切り替えのことをいってますね。

では、私たちは、どうなのか。御神尊様のお陰で、レベルは羽生名人クラスが、ウヨウヨしています。特別な人、学者、アスリート、財界人、関係ありません。『神は、天地の公道』を素直に受け止め、歩む人には、無差別平等に、楽しく嬉しい道を与えられるのです。

けさの、『不自然とは、どんな生き方』を指しているのでしょう。当然、『古きは、過去の事』『不自然』とは、『自然に反する生き方』になります。『天地のことを自然』と言います。この『自然の働き』には、『新陳代謝という、古きを去って、新しき命の再生』があります。『古いとは、過去、』姿なき過去は、意識の中、記憶のなかにしかありません。そこを忘れられず、引きずる人。まず、『不自然な生き方の代表』です。つぎは、『愛の生活』があります。過去は、現在とつなぎようがありません。『愛とは、人と人の繋がり』にあります。『今に生きなければ、繋がる方法』はこれもありません。

つまり、『不自然な生活』は、『天地の運行に反する姿勢』です。これでは、(神の差し伸べる手を、振りはらって)『心配しないでください』『自分で勝手に生きますから』古き過去のこだわりは、今とずれて、人間関係が切れて離れます。必ず、結果は、『病苦、貧苦、争苦』に見舞われます。とにかく、『相手を受け入れ、愛の復活、新陳代謝』で過去と訣別(けつべつ)すべきです。そこにすくわれがあります。

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