久し振りの雨(Today, I walked in the park.)Today, I walked in the park.The wind was a little strong.The leaves were falling down ......
久し振りの雨(Today, I walked in the park.)Today, I walked in the park.The wind was a little strong.The leaves were falling down ......
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
辛口の添削でテレビでもお馴染みの俳人・夏井いつきさん。
本日は、『致知』最新号(特集:『古典力入門』)に
ご登場の夏井さんの記事の一部をご紹介します。
****************************
私たち俳句を詠む人間にとって吟行(ぎんこう)は日常の一部です。
仲間と一緒のピクニックなどはもちろんですが、
例えばタクシーに乗っている時もご飯をつくっている時も、
その心持ちさえあればすべてが吟行です。
目や耳など五感から入ってくる情報で
アンテナに触れるものがあれば、
すぐに掬い取って句帳にメモし、
その五感を頭の中で変換し文字に変えていきます。
(中略)
俳人の世界ではよく
「生憎(あいにく)という言葉はない」といわれます。
「きょうは生憎の雨で桜を見ることができない」。
これは一般人の感覚ですが、俳人たちは
「これで雨の桜の句を詠める」と考えます。
雲に隠れて仲秋の名月が見えない時には
「無月(むげつ)を楽しむ」、
雨が降ったら「雨月(うげつ)を楽しむ」と捉えます。
これは日本人ならではの精神であり、
俳人の心根にあるものなのかもしれません。
その精神で俳句を続けていくと、
個人的な不幸や病気、悲しみ、
憎しみなどマイナスな要素のものが、
すべて句材と思えるようになるのです。
私たちの仲間でも、病気や家庭の事情などを抱えながら
頑張って生きている人がたくさんいます。
引きこもっていた人が俳句に出合って外に出歩けるように
なったとか、視覚障害を得て落ち込んでいた人が
元気になったとか、大切な家族を亡くされた人が俳句仲間に
支えられて立ち直ることができたとか、
そういう例は枚挙に遑(いとま)がありません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日の歌
吟行に(句作りに) 生憎と言う 言葉なし
~ここまででもいいのですが、続けるなら・・・~
すべて恵みの 句材となりて