知床の峰より時の日の昇る
(温かくなりそうな時の日です)
東京天文台と生活改善同盟会が1920年に、「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と制定。
「日本書記」の天智天皇10年4月25日(グレゴリオ暦換算671年6月10日)の項に、
漏刻を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。
とあることから。「漏刻」とは水時計のことである。
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飛鳥の水落遺跡に漏刻跡はあるそうですが漏刻そのものは出土していないようです。
漏刻・水時計そのものは、古く3500年前からエジプト・バビロニアで使われていたことが確認されており、中国でも前漢のころの文献にも出土品にも残され、この後多くの文献に図面や絵、また実物も残されており、この中国から伝わった知識のもとに日本でも作られたと考えられます。
それらの中国の文献などをもとに江戸時代の日本の文献にも描かれたものがあり、それらによって近江神宮の漏刻も水落遺跡の漏刻模型も推定され、製作されました。
なるほどね、古代のロマンですね。