父の日や窓辺の椅子に父はなく
(父はいつも窓辺の指定席に座っていました)
1909年にアメリカ・ワシントン州のスポケーンのソノラ・スマート・ドッドが、男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、協会のの牧師ににお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。
彼女が幼い頃南北戦争が勃発。
父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。
以来男手1つで育てられたが、ウィリアムも子供達が皆成人した後、亡くなった。
最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われた。
当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。
1916年、アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンは、スポケーンを訪れて父の日の演説を行い、これにより父の日が認知されるようになる。
1966年、アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンは、父の日を称賛する大統領告示を発し、毎年6月の第3日曜日を父の日に定めた。
1972年になり、アメリカでは正式に国の記念日に制定される。
母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラ。
ソノラ・スマート・ドッドが、父の日に父親の墓前に白いバラを供えたからとされている。
1910年の最初の祝典の際には、YMCAの青年が、父を讃えるために、父が健在の者は赤いバラ、亡くなった者は白いバラを身につけたと伝えられる。
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我家は父の日の対象者が夫一人になってから数年経ちます。
今年は昨日たまたまいただいたビールもあるので、お寿司でも買ってお礼しようかな~。
息子夫婦は昨日お酒をくれたみたいです。