日記にも絵文字のふえてさくらんぼ
(たくさんありますし、もっと増えたらとも・・・)
1942年6月12日、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められた。
アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、アムステルダムの隠れ家に身を隠した。
日記は隠れ家に入る少し前の、この日の13歳の誕生日に父から贈られたものだった。
1944年8月1日、アンネらは隠れ家から連れ出されて、ポーランドのアウシュビッツに送られたため、日記はこの日で終わっている。
そして、1945年3月にドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死した。
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読んだことはありませんが、13歳の多感な少女が日頃の思いなど書き綴っていたのだと思います。
私は日記を書いても長続きしなくていつの間にか止めてしまうのが常です。
チョットしたテーマを見つけてそれに沿ったつぶやきを書く程度のこのようなブログは性に合あっているのだと思います。
それにしても同じ国民であるユダヤ人を迫害するなんて、戦争はいろんな罪を引き起こしますね。
アメリカ人がインディアンを、日本人が〇〇〇人を迫害することと同じ・・恐ろしい事です。
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父は手帳に毎日の出来事を書いていました。
書くということが生きていた証しになりましたね。
母が日記をつけているのは見たことがありませんが家計簿の隅にでも書いているのかもしれません。
骨折で入院中の母はもう書くことは出来ないと思います。
療養型の病院へ転院することになると思いますがこの先どうなるのか心配でもあります。
高齢者が多すぎて希望のところへは転院できないようです。