壮快にピンを倒して涼風も
そうかいにぴんをたおしてすずかぜも
蜻蛉とぶ涼風の中散歩する秋の風情の心地よきかな
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1970(昭和45)年8月21日、プロボウラー・中山律子選手が、女子プロボウラー初となるパーフェクトゲームを達成したことにちなんで制定された記念日の4「パーフェクトの日」。
TV中継されているゲームでのパーフェクト達成は、想像を超える大きなインパクトを世間に与えることとなり、以後ボーリングは社会現象と表現されるほどの一大ブームを巻き起こしました。
また、CM曲にもなった「律子さん、律子さん、中山律子さん」はその年の流行語にもなっております。
1969年6月に第1回女子プロテストが開催され、中山は3日目までトップだったが、終生のライバルとなる須田開代子に最終日に逆転され、結果は2位合格でプロ入りとなる。
須田とはアマチュア時代から面識があったものの、優勝・須田、準優勝・中山のパターンがアマ時代には多く実力的には須田の後塵を拝する事が多かった。
女子プロ誕生と共に中山も結果が付いて来る様になり、1969年9月に開催された女子プロ誕生記念大会で優勝。
1970年の第1回全日本プロボウリング選手権大会でも優勝。
1970年8月21日に府中スターレーンで行われた <女子プロ8月月例会> 海野房枝との優勝決定戦で、女子プロ史上初の公認パーフェクトゲームを達成する。
当日はテレビ朝日の『レディズ・チャレンジボウル』収録中であり、録画放送は夕食の時間帯だったので在宅率も高く瞬く間に列島を駆け巡った。
翌月のボウリング場オープン記念エキジビションでも『未公認』ながらパーフェクトゲームを達成する。
当時のVTRはで非常に高価だったため、各TV局は収録したビデオテープを保存せず、消去して再利用したりしていたケースが多く、中山律子の全盛期の映像で残っている物は少ない。
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私の20代前半の頃はボウリングが全盛でしたが、スポーツはあまり得意では無かったのでたまにしかボウリングに行ったことは無かったです。
高校生の時軟式テニスを一年ほどしてましたがそれも挫折、20才の頃テニスで肩を壊しそれ以来はしていません。
運動はたまに歩くことで、自宅から会社までの3Kmを数年朝出勤のため歩いたとか、たまのお散歩とか・・歩くことですかね~、登山は好きで50代前半まではよく行きました。
その他の運動と言えば、6年ほど前から筋トレに行く様になりほとんど毎日行ってます。
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昨日は母の施設に行き5分間だけ面会してきました。
次は病院へ行く30日です。
病院の日はお蕎麦屋さんでお昼を食べるのも母の楽しみのようです。
今月はコロナで外出禁止が続くので母も暇を持て余しているようです。