黍嵐過ぎるを待てり私の血
きびあらしすぎるをまてりわたしのち
お互いを尊重す日々時を経て差別区別の風潮になる
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1963(昭和38)年8月28日、アメリカ・ワシントンD.C.で公民権運動家の牧師 マーティン・ルーサー・キング・ジュニア氏らによって、人種差別撤廃を求める運動ワシントン大行進が行われました。
そこで立ち上がったキング牧師ら公民権運動家たちが、人種差別の撤廃を求めて、リンカーン記念堂前に建設されているワシントン記念塔広場への集結を呼びかけました。
当時はテレビやインターネットはなく、主にラジオや口コミによる呼びかけだったにも関わらず、ワシントン広場前には約20万人以上もの人たちが詰めかけました。
また、この行進の最中に行われたキング牧師の、「I Have a Dream」で始まる演説には、約20万人以上が静寂を保って聞き入り、演説が終わった際には、地響きが起こる程の熱狂と感動で包まれたとされ、今日でも多くの啓発本などで引用されております。
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ヒトはどうして自分と違うことを理由に人を区別するのでしょうか?
私は無智が生む悲劇もあるのではと思います。
大人になっても、人をいじめたり差別をしたりする人はいます。
歳を重ねても精神的に成熟しないまま大人になってしまった子供おばさん(子供おじさん)は、気に入らない人がいると意地悪なことをします。
なぜ、意地悪な行為をするのでしょうか。
また、意地悪された人は、どうしたらいいのでしょうか。
人が、いじめたり、差別をしたりするといった意地悪な行為をするのには、いくつかの原因があります。
その原因に共通することは、「心に闇がある」ということです。
そもそも、自分の貴重な時間と労力を使って、人に意地悪をするなどといった“建設的ではない行為”をするのは、もったいないことです。
しかも、心が健全な人であれば、どんなに嫌な相手であろうと、いじめたところで、心がスッキリするわけではなく、むしろモヤモヤすることが多いですしね。
つまり、心に闇がなければ、こんな行為はできないものなんですよね。
そうでなければ、自分の行為で人をかわいそうな目にあわせたくないものです。
結局、“人に意地悪できるような心の状態でいる人”というのは、それだけ「心がくすんでいる」ということなので、ある意味、かわいそうな人なのです。
では、自分が意地悪なことをされたら、どうしたらいいのでしょうか? 余程、ひどいことであれば、知恵を使って、2度と同じようなことをされないような手段をとった方がいいし、場合によっては、法的手段をとったほうがいいこともあります。
でも、それほどのことでもない場合は、「相手にしない」「反応しない」という手段がいいこともあります。
なぜなら、それが“相手が一番恐れていること”だからです。自分がやった行為が、相手に何のダメージも与えていないということは、「自分には、それだけの力がない」ということですしね。
これは、自分にとっても有益なことです。
なぜなら、「仕返しをする」という行為は、相手の心の闇を、自分に移すようなものからです。
いくら仕返しがうまくいっても、心がスッキリするかというと、そんなことはなく、モヤモヤが残るものです。
だから、仕返しをしてしまうと、むしろ自分自身にダメージを与えてしまうことも多いのです。
だから、本来は、「相手に関わらない」ほうがいいし、その代わり、怒りがおさまならないときは、「自分で自分の機嫌をとる」という方法をとった方がいいのです。
機嫌がよくなれば、相手にされたことなんて、どうでもよくなってくるものです。
そんなことを気にしている方が、時間と労力がもったいないことですしね。
そういった冷静な判断ができるようになるためにも、「人に意地悪をする人は、それだけ人として未熟で、心に闇を抱えているかわいそうな人なのだ」ということをきちんと認識することが大切です。
そうしたら、同じ土俵に乗ろうとは思わなくなるものですしね。
弱い人がいる限り、社会からいじめや差別はなくなりません。
せめて私たちは人に意地悪なことをしたり、仕返しをしたりして、自分の心を汚すことがないようにしたいものですね。
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父は子供たちには優しい人だったから、私も人に優しくできたのかも知れないと思うと、父に感謝の念が沸いてきます。
今思うと私は結構人と違うタイプだったからいじめられていたかも知れない。
でも人と迎合して私は生きてこなかっただけのことで、自分は自分、ヒトはヒトの思いが強いです。
叔母が亡くなる数日前に「〇〇ちゃんは変わっているよ」と電話で言っていたっけ。
直接言ってもらえて何となく嬉しかったことを思い出します。