遺品の古い写真を整理してみると、昔の人は風景を写すということはなかったようです。人を写すにしてもほとんどが集合写真、あるいは家族、知人、仕事の間のちょっとした時間に撮ったもの。明治、大正、昭和の戦前までの絵葉書は逆に人の写ったものは少ないようです。
ここに一枚のポートレート の・ようなものがあります。当時としては珍しく女の人が一人で写っているものです。
写真の裏を見ると小野曽組合 事務員 と書いてあります。背後の並んだ容器を見るとなんだか昔の煙草屋か駄菓子屋のように見えます。昭和三十年代頃は煙草も駄菓子もこういうブリキの蓋のついたガラス瓶に入れて売られていました。
なぜ鳥海山と関係あるかといえば、場所が小野曽だからです。小野曽と言ってもご存じない方ばかりでしょうけれど、小野曽は鳥海ブルーラインの入り口、旧料金所ゲートの手前の集落です。鳥海山の麓の開拓部落でした。そこの開拓部落の事務所で当時は商店というものもなくいろいろなものを売っていたのでしょう。この写真の女の人のことは全く分かりません。おそらくご存命ではないでしょう、八十年近い昔の写真ですので。
小野曽にも鳥海山をめぐる人々の一人がいました。この方もすでに鬼籍に入られております。
小野曽のSさんは鳥海山と酒が大好き。雪解けとともに根曲がり竹を採りに鳥海山に潜り込みます。大平からの登山道を登っていると遠い藪の中から聞き覚えのある大きな声が聞こえてきます。あーっ、Sさんまた山に入ってる。観音森へもしょっちゅう潜り込んでいました。百宅の法体の滝へ行った時もどこかで聞き覚えのある大きな声。ありゃ、また会った。
大清水での例年の山納にも毎回来ていました。いや、とにかく酒が強い。ある時大清水の小屋で夜中ふっと目を覚ますと、Sさんガスランタンのガラスの火舎の外側でガスを出しっぱなしでマッチに火をつけようとしています。あーっ、危ねーーっ。間一髪、夜中のガス爆発を免れました。
ある日、青森から帆立を送ってきたから飲みに来いというのであやしいおじさん一行は小野曽の酒飲みに行きました。朝送って夕方届いた産地直送の帆立です。刺身に煮物に、うまかった。飲むうちにSさん酔っぱらって「母ちゃん、お前(おめ、と読んでください。)は最高だー」奥さんすかさず、「馬鹿まだ、今更なに言うてんなだ」
ますます酒が進み、今度は外へ飲みに行こうと言い出す始末。小野曽に近い吹浦の山近くにですけれど、そのころそこにスナックがあったのです。店に入れば、飲め、歌えの大騒ぎ。
ふと周りを見渡すと、客のいないのはもちろんなのですが、窓側に客席が全くない。ボックス席が全然ないのです。???
Sさん曰く「ああ、これは、この店に二度ほどトラックが突っ込んだのよ。それで窓際の席なくしたんだ。」
Sさんの日焼けして真っ黒な顔の背景には鳥海山が大きく広がりを見せて浮かんできます。
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珍しく記念写真、Sさんを中心に。右はFさんの連れてきた美女連。Sさんはもてたのです。左後方もてない男二名。
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