鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

南ノコマイ

2021年09月24日 | 鳥海山

 25000地形図を見るとポツンと南ノコマイという文字が目立ちます。

 コマイって何だろうと思いますよね。

 月光川ダムができる前の「山と高原地図 鳥海山」1976年版を見てみましょう。

 月光川ダム建設予定地と表記されています。ここで川が一本になっていますね。三つの俣に分かれているので三の俣といいます。此処にも南ノコマイが書かれています。次は1999年版の「山と高原地図 鳥海山」です。

 月光川ダムは完成しています。南ノコマイも記載されています。これが執筆者が斎藤政広さんに代わってからの「山と高原地図 鳥海山」2013年版では、

 南ノコマイは場所を変えて南ノコメとしてあります。かつての南ノコマイは西ノコメ、さらには中ノコメがその間に書いてあります。これは本来の三の俣に表記を戻そうとしたのでしょう。二の滝口狭霧橋の所には西ノコメと表記があるそうです。

 コマイの意味、文字は後にして、なぜこういうことになったかというと、本来三つの俣に分かれるところから見て藤倉沢から分岐合流点に向かってくる沢が南ノコメ、そして一ノ滝、二ノ滝のある沢を擁するのが西ノコマイ、真ん中が中ノコマイ。位置関係はこれではっきりしました。これはその昔、国土地理院が地図を作って文字を入れる際にどこで間違ったか、西ノコマイを南ノコマイと間違って記載してしまったのだそうです。ああいうお役所の作ったものは訂正は効きません。それが今も25000図には生きています。斎藤さんはそれらを知ったうえで訂正しようとしているのでしょう。それからこの地図、よく見ると蕨岡の本来の登拝道が記載されています。かくれ山分岐に続いている水ノミ沢と書かれた上に池があり、そのそばを通る道です。この池が水呑池。水ノミ沢というのは実際は存在しません。これは水呑池が溢れた時のオーバーフローのための流路だそうですので普段は水は流れていません。水呑池からはこの登山道沿いに月の原まで流れています。月の原に水を流すために作られた池ですから別の方向には流れていません。又往路1:30とも記載されていますが一般の登山道だと思ってはいけません。水呑池まではなんとか行けたとしてもその先はガイドなしでは迷うでしょう。(2013年当時の状況についてこれを書いた後、斎藤政広さんに示唆した方から連絡が来ましてこの地図の作製した当時は刈払いして間もなくでまだ道としての体裁はあったとのことです。いずれは破線になるのではないかとの予想でした。)

 

 さてさて長くなってしまいましたが、コマイとは川前と書いたようです。言葉にするとコマイ、あるいはコメ。川の前だからコマイといったのか、コマイという何らかを意味する言葉に川前という文字を当てたのかそこはわかりません。そういう音で其土地、地形を表現する人たちがその当時多く住んでいたと考えるのが妥当ではないかと思います。

 

 ※ 先日高瀬峡の先、登山道に熊さんの大きな糞がとぐろを巻いていたそうですのでお出かけの方は十分に注意をしてください。


2 コメント

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Unknown (向日葵)
2021-09-26 19:59:17
『南ノコマイ』、『南ノコメ』、気になっておりました。
地図を見るたびに、何故こういう名前なんだろう?
何故呼び方が微妙に違うんだろう?と。
謎が解けてスッキリしました(*^^*)

月山森へ直接登る道があったのが、びっくりです!
すごく大変そうですが(^_^;)
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Unknown (ayasiiojisann)
2021-09-26 20:14:48
出不精になってしまい、十数年ぶりに再会した鳥海山も今年は4回しか行っていませんん。蕨岡旧道、赤滝と人の来ないところが最高にいいです。ブログ内に記事がありますのでご覧ください。また、橋本賢助「鳥海登山案内」の記事も併せて読んでいただけると幸いです。
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