理想国家日本の条件 さんより転載です。
偶発的戦争の危機と日本の運命
中国、逆に抗議「日本が侵入し中露演習を妨害」 戦闘機の異常接近で
せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』より転載
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/53047392.html
【北京=五十嵐文】中国国防省は25日、東シナ海を飛行していた自衛隊機2機に対し、
中国軍の戦闘機が異常に接近したことについて談話を発表し、
「自衛隊機が中露の合同軍事演習の空域に勝手に侵入し、危険な行動を取った」として
日本に抗議したことを明らかにした。
談話は、中国が東シナ海に設定した防空識別圏に自衛機2機が侵入し、 中露両国が
実施していた合同海上軍事演習を偵察、妨害したため、中国軍用機を緊急発進させて
必要な措置を取った、などと主張。日本に「一切の偵察と妨害活動を停止」するよう要求した。
http://www.yomiuri.co.jp/world/20140525-OYT1T50048.html
一昨年の末(2012年12月28日)に「偶発的戦争の危機」と題してブログを書いています。
それを先ずは紹介します。
年明けにも偶発的戦争の危機!
尖閣領空で空中戦は不可避の情勢
相次ぐ空自戦闘機のスクランブルに対して、中国国防省は軍用機の出動を示唆
【北京=五十嵐文】中国国防省の楊宇軍報道官は27日の定例記者会見で、沖縄県・尖閣諸島に
中国国家海洋局のプロペラ機が接近し、 航空自衛隊の戦闘機が緊急発進する事態が続発
していることについて、「中国軍は空自機の動向を注視、警戒している。 軍が海上法執行や
漁業などの活動の安全を守るのは当然だ」と述べた。
空自戦闘機の緊急発進に対し、中国も軍用機を出動させる可能性を示唆したものだ。
読売新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121227-00001273-yom-int
共産支那が挑発行為を繰り返しているから、遠からず尖閣列島で警戒の為に飛び立つ自衛隊機と
支那人民解放軍の戦闘機が衝突するのは最早時間の問題でしょう。我々はテレビの臨時ニュース
でそれを知ることになるかも知れません。
「中国軍の戦闘機が領空を侵犯したので、自衛隊機がその侵犯行為をやめるように
忠告しようとして近づいたところ、中国軍戦闘機がいきなりミサイルを発射、自衛隊機に
命中し自衛隊機は空中で爆発し海に墜落しました。パイロットの生死は現在のところ不明です」
こんな驚愕する報道を目にして多くの国民は慄然として立ちすくむのではないか。実際に支那と
戦争状態になるとは思っていないからです。しかし、それは甘い希望的な観測に過ぎず偶発的と
いう形での戦争は必ず起こります。
日本側からすれば偶発的でしょうが、支那人民解放軍からすれば、これはもう必然的なシナリオです。
彼らは日本と一戦交えることによって、本当に米軍が即座に対応するかを見ようとするでしょう。
日本側の戦闘機が一機でも撃ち墜とされれば、その瞬間から日米安保が発動され、米国は支那と
戦争状態になりますが、やはり当初は日本側に任せるのではないか?
日本側は自衛隊機が撃ち墜とされても直ちに反撃は出来ない。何故ならば彼らは直ぐにその場
から撤退します。現在の憲法下では支那が宣戦布告でもしていない限り、一機撃ち墜とされたから
といって、支那の領空深く侵入し中国軍機と交戦することは出来ない。
つまりはやられ損で一旦は収束してしまうかも知れません。人民解放軍が大挙して尖閣列島に
上陸しようとやって来た場合を除いては、一機やられたくらいでは米軍も本格的には反撃には出ないと思います。
これまで日本政府は憲法9条があるからと言って、まともに本格的な抗戦規定を作って来ていない
のではないか? 支那が本気で攻めてくることを想定して準備をすべきです。やられてからでは遅すぎます。
支那にいる日本人は直ぐに支那の警察によって捕らえられ人質にされます。湾岸戦争でイラクが
やったのと同じことが行なわれる筈です。このような状態でも支那大陸に滞在する日本人は
もう人質にされても仕方がないでしょう。
日本も直ちに支那人を監視下において、人質の交換要員として確保しなければなりません。
極めて乱暴な事を書いていると思う人も多いかも知れませんが、もう支那と日本は戦争状態一歩手前
まで来ているということを早く自覚すべきです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
改めて今回のニュースを聞いて戦慄を覚えた。中国共産党独裁政権は現在非常に焦っています。
経済失速、幹部党員の腐敗、環境汚染、貧富の差の拡大、そして民族紛争の深刻化などです。
これらの対処を一歩間違えば共産党独裁政権は危機に瀕します。
習近平独裁政権はこの国内における失政を外部に向けて生き残りを図ることでしょう。
狙われるのは日本です。共産党の瓦解が始まればもう止めることは出来ない。
彼らは躊躇することなく、日本に対して牙を剥きます。
今回の出来事だって日本と共産中国の主張は全く正反対であり、このような経緯をへて
戦争に突入することになるでしょう。空中戦が始まれば人民解放軍の戦艦が動き出します。
先ずは尖閣諸島への上陸を目指すことになります。
一旦上陸を許せばもう奪還は極めて困難です。何故ならば中国共産党はこの時点で日本に
対する核攻撃の準備が整ったことを宣言する筈です。
米国は共産中国との核戦争を覚悟してまで尖閣諸島への再上陸作戦には出れないと思います。
更に共産中国は日本に送り込んでいた100万人近い支那人の暴動を引き起こします。
埼玉県川口市、東京池袋などで暴動は発生します。
もう警察官ではこの暴動を鎮圧できない。日本は仕方なく自衛隊の発動を決定します。
この段階になれば中国共産党は支那人の安全を図るという大義を掲げ、千葉県や茨城県などの
関東圏の地方の飛行場に大量の人民解放軍を送り込んできます。
民間機を装って緊急避難と称して次々に着陸してくる。
もう、日本はお手上げです。抵抗することも出来ずに占領されます。
共産党や極左勢力には武器が支給され、彼らは臨時政府を樹立して、戒厳令が敷かれ
我々愛国者は次々に逮捕されその場で処刑されます。
このような悪夢が現実となるのか? 恐ろしい近未来がもうそこまで迫っているのです。
転載、させていただいた記事です
「もう覚悟はしております」とパイロットは言った
転載、させていただいた記事です
スクランブル
スクランブル、というものをご存知でしょうか。航空自衛隊の戦闘機が緊急発進することです。
日本に対する領空侵犯を防ぐためです。領空侵犯とは許可無く日本の空に押し入ってくることです。
未確認機接近の知らせが入ると、空自の基地からただちに戦闘機が飛び立ちます。
パイロットがただちに戦闘機に飛び乗り、すぐさま離陸するのです。
飛び立った日本の戦闘機は未確認機に近づき、領空侵犯を防ぎます。
このまま進むと領空侵犯にあたるぞと注意し、誘導します。相手機がそれに
従わなければさまざまに警告し、それでも駄目なら機関銃の威嚇射撃をおこないます。
このような領空侵犯対処のスクランブルは1年に300回近く行われています。
このため航空自衛隊は24時間、即応できるよう常に備えています。夜中だろうと、
盆や正月だろうと、いまこの時も例外はありません。パイロットは待機し、戦闘機には
ミサイルを装着して、いつでも出られるようにしています。
ところが——ここからが今日の主題なのですが、
昔はスクランブルする戦闘機にミサイルを装着することが、禁止されていました。
手足を縛って送り出す
スクランブル機がミサイルを装着してから飛べるようになったのは1980年代初頭、
鈴木善幸内閣のころです。
領空侵犯に航空自衛隊の迎撃戦闘機が空対空ミサイルを装着して発進し、
海上自衛隊の艦艇や哨戒機が魚雷を積載して行動するようになったのも、この時からでした。
裏を返せば、それまでは迎撃戦闘機が空対空ミサイルを装着しないまま領空侵犯機に、
艦艇や哨戒機は魚雷を積載しないまま領海侵犯に対応していたことになるのです。
P124-125 黒木耐 著「戦うことを忘れた国家」
領空に接近してくる外国の戦闘機はもちろんミサイルで武装しています。それに対して
自衛隊側はミサイルなしで対応せねばなりませんでした。自衛隊側がそう臨んだ
わけではなく、政治側がそれを許さなかったためです。
欠けていたのはミサイルだけではありません。権限と、その根拠となる法律も同様した。
領空侵犯対処については自衛隊法で定められていません。任務のための武器使用が、
法で許されていないのです。この法の未整備問題は現在でもかわっていません。
80年代以前の自衛隊は現在よりもさらに批判的に見られていたので、武器使用に
ついては今以上に、不必要なまでに、慎重であることが求められました。
つまり80年代以前の航空自衛隊は、ミサイルを持たず、機関銃も撃ってはならず、
身ひとつで領空侵犯に対処することを求められていました。
ですが同時に、そのように手足を縛られた状態でも、日本の空を守ることは当然
求められました。そのための武器も、権限も、法律も与えられていなくとも、
しかし任務は果たされねばなりません。
この矛盾を押し付けられていたのは、現場のパイロット達でした。
「もう覚悟はしております」とパイロットは言った
パイロットたちはどんな気持ちで飛び立ち、任務に向かっていったのでしょうか。
自衛隊の高官であり、後に更迭されることになる栗栖氏が、そんなパイロットたちとの会話を本に書いています。
私は、パイロットたちに、「緊急発進してソ連機のそばにいったことがあるのだろう」と
聞くと、みんな、「ある」という。その時、どんな気がするのかと尋ねたら、「悲壮な感じになる」という。
ソ連機が弾丸を撃ってこなければいいが、撃たれた時はどうするのかと聞くと、
「われわれは弾丸を撃ってはいけないことになっている」という答えが返ってきた。
確かにその通りなのである。
そこで、私はなおも話を続けた。「しかし、現実にソ連機が撃ってこようとしたり、撃ってきたらどうするのか」
この私の質問に対して、第一線の日本の防衛を担っている彼らは、一言こういった。
「もう覚悟はしております。弾丸を撃っていけないのなら、ソ連機に体当りする以外にないと考えます」
p210-211 「仮想敵国ソ連 われらこう迎え撃つ」 栗栖弘臣 講談社
なおこの本の著者である栗栖氏は、この会話のしばらく後、罷免されます。
ある雑誌でした発言が原因でした。自衛隊法に穴があるため、日本が奇襲を受けて
防衛出動命令が間に合わないときには、現場の自衛官が超法規的行動にでる場合がある、
という事実を述べたのが原因でした。
栗栖氏は罷免され、彼が指摘した法の欠陥はその後も放置されました。
リソースは小さくても、大きくてもいけない
自衛隊はその後も、過小なリソースしか与えられない状態で、
さまざまな任務を与えられ続けえました。
そこには常に現場の犠牲がありました。現場の自衛官が不必要な命の危険を
看過したり、万一のときには全責任を現場指揮官がかぶって、程度の差はあれ、
超法規的に動く覚悟が必要でした。
これは現場の自衛官にとってものみならず、一般市民にとっても危険なことです。
なぜならば現場の善意による暴走を許す恐れがあるからです。現場指揮官の独走によって
軍事力が運用されたとき何が起こるか、そのほとんど最悪の例を私たちは知っているはずです。
かといって、現場が必要だと主張することは無制限に認めればいいのかというと、
必ずしもそういうわけでもありません。あまりにも過大な権限を与えられた軍部は、時に
政府の思惑を超えて国の方向性を捻じ曲げます。そのような例は日本に限らず、
多くの先例がありますし、その一部はこのブログでも取り上げました。
政府が軍事当局に与えるリソースは、それが任務に対して大きすぎても小さすぎても、
市民と軍の双方にとって危険なのです。
対話によるシビリアンコントロールが必要
よって、政治的にも軍事的にも妥当で、適切なシビリアンコントロールがなされるためには、
政治の都合と現場の都合をすりあわせることが必要です。
まず政府が意向を示します。それを受けて自衛隊側が「その任務を果たすなら、
これこれのリソース(兵力、装備、権限など)が必要です」と答申します。それが政治的に
「それはムリだ」という要求であれば、政府は意向を修整し、与える任務を縮小するべきです。
例えば、どうしても必要な武器使用権限を認められないなら、その任務は与えない、
または与えられる権限内で果たせる任務だけに絞る、といった具合です。任務の縮小によって
必要なリソースを減らし、政治的に可能な程度に収めるのです。
これを政軍双方が納得するまで行ってから、命令を下します。ひとたび命令されれば、
自衛隊側は確実に政府の命令に従い、その範囲内でのみ活動します。また、現場は
常に変化しますから、この対話は任務の遂行途中においても繰り返されるべきです。
このような政治と軍事のいきいきとした対話があってこそ、シビリアンコントロールを
より良く機能させることができるのではないでしょうか。さもなくば、その矛盾がまずは現場に
押し付けられ、いつかは国民に返ってくることになるでしょう。
…緊急発進を命令する指揮官や統制官の悩みも大きい。指揮官は、たとえ危険が
迫ってもパイロットたちに”敵機を攻撃しろ”という命令を出すことはできない。
また、指揮官がそういっても、正当な命令とは言えないから、
パイロットはそれに従ってはいけないと法律に書いてある。
そこで、「しかるべく、やれ」という。おまえたちは、わかっているだろうという意味である。
パイロットは、もちろん攻撃することを決意している。以心伝心というものであろう。
これと同じような場面が、第二次大戦の特攻隊の出撃である。
p212 「仮想敵国ソ連 われらこう迎え撃つ」 栗栖弘臣 講談社