年々の桜
2022-04-02 | 日記
皆さま 土曜日の桜見はいかがでしたでしょうか?
午後遅くになってから、ちらっと近くの公園を覗いたら、ほとんど人が居なくて、
今日は氣温が低くて肌寒いためか、それともやはりコロナの影響なのか。。
昔は桜見と言えば必ず夜桜も随分と賑わっていた記憶がありますが、
何だか今年の桜は色も薄い感じでさみしい印象を受けています。
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最近古くからの私の知人で宇宙画をご購入いただいた方の訃報が相次ぎました。
下記の『ペンギン』
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そして下記の『タキ』の宇宙画です。
どうも桜が元氣の無いように思えた私の感覚もそのためだったかも。。
どちらの方ともほぼ25年ぐらいの長いお付き合いでした。
心よりご冥福をお祈りしています。
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このぐらいの年齢になると、次々に亡くなられる方がいるのは仕方の無いことではありますが、
特にスピリチュアルな仲間を失うのはとても残念で心惜しいです。
年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり 岡本かの子
という歌がふと胸に浮かんで来ます。
(ネット検索すると、冒頭が「年年の」となっていたり、歌の解釈についても
人によって「年々」という意味が少し違っていたりして、いろいろ調べたのですが
どれもあまり心にピタッとくるものが無くて。。)
私は、瀬戸内寂聴さんの『かの子繚乱』という岡本かの子の評伝を読んで、
初めて岡本かの子を知り、
この歌が出て来る『老妓抄』という岡本かの子の書いた小説も読んだりしました。
ただし、私はこの「年々」を「ねんねん」というふうに読み込んでいて、
正しくは「としとし」というのだということをかなり後になって知りました(恥)。
どれが正しい歌の解釈なのかということを、私は今も何も知らないままですが、
いずれにしても忘れられない好きな歌で、年を経るにつれ、この歌の意味がさらに深く胸に迫ってきます。
そして、生きている時だけでは無く、死んでその人が居なくなってからこそ
そのいのち(魂)が「いよよ華やぐ」ということも。。
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散る桜 残る桜も 散る桜
という良寛さんの辞世の句も有名ですが、ほんとうにこの歌も今の私には
まさに自分のことのように身に迫って感じられます。
またこんな時世で、紛争の絶えない時だからこそ、誰にとってもこの二つの歌が
いずれも「我が身」のこととして思われるのでは無いでしょうか。。
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本日も「光のチャレンジ」を最後までご覧くださってありがとうございます。
ちなみに桜のエネルギーが最も強いのは、満開の時よりもむしろ葉桜や若葉の出る頃
なのだそうです。
満開の桜はそれまでに溜まっていたエネルギー(古いもの?)を放出しているので、
新鮮な元氣なエネルギーは、若葉に変わる頃の方がずっと高くなるらしいのです。
そう考えると、もしかしたらいよいよこれからこそ、古い争いの時代が終わって、
新しい平和な世界になっていく最も素晴らしいタイミングなのかもしれませんね。。
亡くなった知人たちも、空の上から下界の桜見物を懐かしみながら、
( たくさんの「光の存在たち」と共に )
きっと私たちを見守り応援してくれているに違いありません。。