かなり昔の、もう10年ぐらい前の? テレパスアートだったかと思いますが、
ある男性のお客様が、過去生において中国で「神仙」として修行されていたかも?
というご縁 について描いたことがありました。
その「神仙」というのが、その時は「固有名詞」なのか、
神さまや仙人を象徴する一般的な呼称なのかはよくわからなかったのです。
絵は自動的に描いているので、そのままその「神仙」という言葉を説明に使わせてもらいました。
そしたら後日その方から「神仙」について検索したけれど、見つからなかった
というおたよりをいただきました。
私も調べてみましたが、その時は見つけることが出来ませんでした。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
ところが、つい最近のことです。
私の学んでいる「萬葉講座」で、「令和」の元号の元になった春の宴で詠まれた歌などが取り上げられ、
その中で大伴旅人が実際に自分自身が体験した出来事として、
中国の「仙女窟に遊ぶ」になぞらえて、「松浦河」(マツラガハ)に遊ぶという題で一文を作り、
大宰府より徒歩約12時間半ぐらい行ったところにある「玉嶋之潭」(タマシマノタン)の遊覧での体験談 を、
都の友人たちに書簡で贈呈したということを学びました。(原 漢文)
実にこれは、天平二年(730年 )四月六日のことです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
何と! この中に、「神仙」という言葉があったのです!!
僕 問ヒテ曰ク、
誰 郷誰家ノ兒等、若疑神仙ノ者カ、ト。
(イヅコノサト タガ イヘノ コラ、ケダシ シンセンノ オカタ カ、ト。)
この「僕」というのは大伴旅人のことです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
先生からいただいた資料には、「巫山(ぷざん)の仙女に逢う(君箋雅 図)」
という題の綺麗な彩色の絵が添付掲載されていて、
その絵にはこういう説明が書かれていました。
金城の西南、積石山(しゃくせきざん)への途次、碧潭千仭(へきたんせんじん)の地に到達。
古老、「此ハ是レ神仙窟」と言い伝う。
(通釈) わたくしは一人の娘が谷川の岸で着物を洗濯しているのをみて、
その娘に尋ねた。
「聞くところによると、このあたりに神仙の住む岩屋があるというので、
神仙にお会いしたくてやってきました。」
云々かんぬん・・(前後略)
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
(原文は全部漢文で書かれています)
大伴旅人が遊んだこの場所(玉島川から松浦川の辺りへ潟沿いに逍遥した)は、
福岡から唐津市へと向かう辺りのようで、資料には地図も添えられています。
(「虹の松原」という景勝地などが今もあるようです)
それで、これらの詳細をぜひ絵のお客様にお伝えしたくなったのですが、
描いたのがかなり前のことで、その方のお名前を失念してしまっていて、
原画のコピーも取り置いていないので、とっても残念!
もし、このブログをご覧くださって、「神仙」のテレパスアートをまだ保管されていたら、
ぜひご連絡いただけたら大変うれしいです♪
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
それから、この他にももう一件、
今年の3月頃に描かせていただいたテレパスアートの中にある和歌が出て来て、
その和歌のことでも後から解ったことがありました。
長くなりますので、このお話は次回に。。
(こちらの絵の方については、お客さまにもすでにご連絡済みです♪)
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
本日も「光のチャレンジ」をご覧いただきありがとうございます。
疑問に思ったことや氣になったことをずっと心にかけていると、
ある日ふと判ることもあるのですね!
とてもうれしい出来事でした♡