今日もこのあと、実家の片づけに出かけます。
だいぶものが片づきつつあって、そろそろ業者に不用品回収の見積もりを出してもらおうと、昨日も娘と今残っているもののリストアップをしたのですが、これだけ処分しても
まだこんなに?というほどの数になりました。
いくらくらいかかるんだろう・・・・・・
ものの処分代は姉と折半して、と言ったものの、すごくかかるとなると懐具合がかなり厳しい。
結局のところ、粗大ごみとして処分できるものはそうせざるを得ないかもしれませんが、兄の病状があまりかんばしくないので、出来るだけ早く空にして家の解体まで持っていけると
兄の心配も少しは和らぐのではないかと思うのです。
もっとも家を解体しても、土地の処分にはまだまだ時間がかかりそうではありますが。
実家の片づけを始めた頃は、亡くなった姉へ思いをはせることが多かったですが、ここへきて親や祖父母などもその対象になっています。何というか、ルーツをたどっているような。
私はどちらかと言えばかなりドライな性格で、あまり感傷に浸るタイプではなかったのだけれど、年齢のせいもあるのか、親たちが残していったものを見るうち、なんとも言えない
気持ちになることが本当に多いです。
と同時に、子どもたちにはここまで世話をかけさせてはいけない!とも思いますね。でも実家同様、この家にも義父母やその親に関するものがまだまだたくさんありますので、
時間もお金も労力も、もっとずっとかかるはず。
残念ながら、ものは残してもお金は残せない可能性が高いので、今のうちからせっせと終活作業をしておかなければ!
それに、終活と言っても、死んだあとのためばかりではなく、今をよりよく生きるためにも片づけは必要だと思っているんです。
このところ実家から持ち帰ったものを可燃ごみなどとして大量に処分してきました。あまりに古いとリサイクルにはさすがに回せない。
ごみとして出すことに心が痛まないわけではないけれど、やむを得ません。ここはドライに割り切って。そういうの、得意なはずなので。
姉が亡くなった1月下旬から片づけのため通い始めた実家の辺りの騒がしさにも、だんだんと慣れてきた感じはしています。住めば?と問われたら速攻お断りですが。
でも騒がしさの差はあるものの、ご近所とのつながりのある雰囲気は好ましいと思います。
立派なお屋敷ばかりの閑静な住宅地の付近を通るとき(あまりそういう機会もないけど)、お隣同士で顔を合わせることってあるのかな?とか、回覧板なんて存在するんだろうか?
などと想像したり。
若い頃はそんなところに住んでみたいと憧れたけど、今はそこまでの気持ちはありません。いわゆる生まれも育ちも下町の、根っからの庶民なんですね。