180204 児童虐待とヒアリング手法 <司法面接 試行錯誤 虐待判断、分かれる現場>などを読みながら
虐待という言葉が紙面を賑わさない日がないような錯覚すら覚えるこの頃です。児童虐待は古くから問題にされてきたかと思います。最近は、困窮者、高齢者、障がい者に対する虐待と対象も広がりつつあるというか、報道で取りあげられる機会が増えたといった方が正確かもしれません。少し異なる局面かもしれませんが、夫婦間のDVも多様で人間の本性の一端かと思ってしまうこともあります。
それぞれの虐待について、その定義内容が実体に即したものになり、確立してきたかように思いますが、他方で、その事実を確認する、それにどのように対応するかは、被害を受ける人の類型によって異なる、法令やガイドラインがあります。私自身、それぞれを比較検討したことがありませんが、多くは共通する点があるとは思いつつ、現実の対応は相当違うのかなと考えています。
先日、高齢者虐待の研修を受けましたが、そのときに感じたのはこの分野では警察の対応がまだ全国的に確立しているとは言いがたい、地域によって千差万別に近い状態で、行政側は高齢者の立場で割合積極的に動き出したのかなという印象です。
家庭内の出来事として隠れていた虐待という問題が法的に違法の烙印を押されたことで、定義も明確になったことから行政側としては動きやすくなってきたのかもしれません。ただ、私のつたない経験では虐待を受けたという高齢者の発言は、成人とはいえ、身体への加害などで客観的な裏付けがあれば別ですが、そうでない虐待類型だと、慎重に対応しないと、家族間の軋轢の中で誤解を生じかねないと思っています。
ま、わかったようなわからないような前置きはこのくらいにして、本論の児童虐待に移ります。
毎日朝刊記事<司法面接試行錯誤 虐待判断、分かれる現場 児相・警察、男児証言を共に聞き>は、児童虐待に対して、重い腰をあげた警察とこれまで長い経験をもつ児童相談所との間で、新たな手続きをめぐって、齟齬が生じているようです。
<大阪市淀川区の自宅で男児(4)にけがをさせたとして義父(33)が傷害容疑で逮捕された事件で、市こども相談センター(児童相談所)や大阪府警が、一時保護された男児から一緒に話を聞いた「司法面接」を巡り、暴力の有無について両者の見解が食い違っている。センターは「あざができた経緯がはっきりしない」と判断、府警は「パパにやられた」との趣旨の証言を得たとしており、被害聴取や対応の難しさが浮き彫りになった。【山田毅、村田拓也】>
ある証言があれば、当然一つの事実が解明されると思うのは、人間の認識力というか、問題の状況、質問者・発言者・そして理解し評価する人の属性なりで、まったく見方が異なっても当然というのが普通のあり方ではないかと思います。毎日記事が<虐待判断 分かれる現場>と大きく取りあげていますが、それ自体は不思議なことでないわけです。むろん常にそうなるとは限りませんが、なるだけ一致した認識になるよう今後の検討・工夫・改善が必要であることは確かでしょう。
今回の司法面接では、児童相談所と捜査機関との間で、見事に判断が分かれたのですね。
<センターの虐待対応担当者は帰宅の判断について取材に「あざの経緯がはっきりせず、父親も関与を否定している。リスクが高い事案と認識していたが、総合的に判断した」と説明。府警とは面接の内容を別々に記録しているとした上で「虐待を受けていたという趣旨の発言をした記録はない。府警とは見解の相違がある」と話し、対応に問題がなかったとの認識を示している。>
ところで今回は「司法面接」という新しい手法が採用されています。
この定義について記事では
<検察、警察、児童相談所が、虐待を受けた児童から繰り返し話を聞くことで事件を再体験させる2次被害を防ぐ目的で、代表者が原則1回の面接で聞き取る方法。厚生労働省と警察庁、最高検が2015年10月に児相、警察、検察が連携を強化するよう通知を出し本格的に行われるようになっている。3機関を代表した1人が行う面接は「協同面接」と呼ばれる。関係者は別室モニターで観察でき通常録音・録画もされる。誘導的な質問は避け、自由に答えられるようにするなど子供の特性や気持ちに配慮することが求められる。記録の取り扱いなど具体的実施方法について明確な取り決めはない。>と解説されています。
私はこの制度の根拠や制度の内容自体を知りませんので、この説明が妥当なものか、コメントできません。ただ、3機関といても、検察、警察は捜査目的をもつ同種の機関で、児童福祉の観点を担うのは児童相談所のみですね、ちょっとバランスを欠いている印象をぬぐえません。
ついでにこの「司法面接」についての日弁連意見書<子どもの司法面接制度の導入を求める意見書>が2011年に発表されていますので、これを参考に少し問題点を言及してみたいと思います。
今回の面接者は検察官です。これが児童のために適切であったかは少し疑問があります。日弁連意見書では、導入を認めた「司法面接」について<一般に,いわゆる「司法面接」(英語でforensic interview)とは,専門的な訓練を受けた面接者が,誘導・暗示に陥りやすい子どもの特性に配慮し,児童虐待等の被害を受けた子ども等に対し,その供述結果を司法手続で利用することを想定して実施する事実確認のための面接をいう。>としています。
ま、こういった一般論は、国も承知して、ようやく導入したのでしょう。ただ、問題は司法面接の実施方法です。日弁連意見書では次のように第三者機関、それも児童心理を理解した専門家による面接手法を求めています。そのとおりでしょう。
<司法面接は,児童福祉に関する機関や捜査機関も含めたMDTチームが必ず連携してチームを組んで行うべきものである。具体的には,関係機関が虐待等の捜査・調査の端緒を得た場合,MDTチームとして,独立した第三者機関を実施場所として,専門的資格を有する面接者に司法面接の実施を委嘱することが考えられる。>と基本的な組織の確率を求めています。
そして重要な面接者については
<司法面接において行われる子どもからの聴取りは,誘導や暗示を排し,子どもの任意の発話を促すものでなければならず,そのための専門的技法を訓練し修得した面接者が行うべきである。
専門性の担保のため,新しい国家資格の創設及び研修の義務化等が検討されるべきであろう。また,司法面接技法のプロトコル(又はガイドライン)を作成するプログラミング等が行われる必要がある。>
そんな予算はないとか、児童の心理について通暁している、あるいは児童の捜査(被害者として)経験が豊富な検察官なりがいるから、それで十分と法務省は言うかもしれません。
しかし、いくら被害児童の立場を理解している検察官なり捜査官であっても、基本は犯罪摘発を主眼として面接するのに長けていても、その児童の家庭環境のあり方を含めその将来にわたる福祉的視点では捉えきれないでしょうし、児童心理自体についても十分とは言えないと思うのです。被害者の代理人となって支援する国選弁護人制度が導入された一因も被害者、そして児童自身の立場に立って見ることができる面接者が必要だと思うのです。
こういった日弁連の意見は今回の導入では採用されませんでしたが、司法面接が導入されたこと自体は、児童にとってプラスになると思います。そしてすでに動き出した司法面接制度、今回のケースを参考にして、よりよいあり方をそれぞれが模索していくことで、よりよい改善が見られるのではないかと期待したいと思います。
それには、折角司法面接で可視化して記録に残したわけですから、個人上保護を確保しながら、このDVDにより研修を積み重ねるなどして、面接者の質問のあり方、その評価の仕方などを関係者、それは今回の3機関にとどまらず、児童心理や家庭環境に詳しい専門家の関与を得て、研鑽を積んでもらいたいと思うのです。
たしか捜査の可視化を進めてきた英米?では、可視化されたDVDを通じて研修を重ねることなどにより、質問の改善など、捜査方法自体が効果的になったという話しを聞いたことがありますが、そのとおりだと思うのです。
今日はこのへんでおしまい。また明日。