たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

お金と人と国家 <没落する地方国立大>と<スパコン助成金詐欺>などを読みながらふと考

2018-02-05 | 企業・事業・研究などの不正 適正な支援

180205 お金と人と国家 <没落する地方国立大>と<スパコン助成金詐欺>などを読みながらふと考える

 

アメリカの株価がトランプ大統領の自慢話に終始する一般教書演説の後、長期金利上げのせいか、急激に下落し、これを受けて日本の株価も見事に一蓮托生?となっています。

 

ま、これまでの強引な株高は、異常な金融緩和状態を受けた、砂上の楼閣に見える私には当然の流れに見えるのですが、あまり関心のない人間がここ数日をみて発言するのは控えた方がいいでしょうね。

 

それにしても全世界的な金余りで、どこにつぎ込むか困っている人(大金持ちはもちろん小金持ちも)は財布のひもが緩いみたいですね。内容も実体もわからない仮想通貨なるものに貴重なお金をたくさん投資でなく投機買いするのですから、なんか付和雷同の典型のように感じるのはあまりに嫌みな見方でしょうかね。

 

だいたい、信頼関係で価格が決まるといったって、その取引に参加している人がどういう人かわからないわけですし、信頼の基礎がどうみてもありそうに思えないのです。デザインがいいからとか、取引スピードがいいからとか、いろいろ理由はつけられるでしょうけど、価格が高騰すればそれでいいということで、金魚の糞のごとく、ただ次々とくっついていった印象をぬぐえないのですが、それは偏見でしょうかね。

 

ま、株式も同じようなところがありますし、不動産も似たもの同士ですね。お金を何にどうつかうか、いまそれぞれ個人が試されているのでしょう。国家がある意味で適正な監督をする必要がありますが、この前のプライムニュースで取りあげられたとき、議員のほとんどが仮想通貨を使ったことがなく、そのシステムもわかっていないのが実体で、これでは適正な取引規制に乗り出せないですね。ま、そういう私も使ったことがないですが、こんなリスクだらけでチューリップ高騰劇の再来のようなものにはくわばらくわばらですね。

 

お金が本来の必要以上に、過剰流通している状態で、株式も不動産も、金融資産のほとんどが、膨らみすぎた風船みたいで、いつ暴発してもおかしくないと感じるのは私だけではないように思います。

 

またまた前口上が間延びしてしまいました。本日の演題に移ります。

 

東洋経済の今日のウェブ情報で、

没落する地方国立大の何とも悲惨な台所事情

個人研究費年50万円未満の教員が6

という長いタイトルの見出しがあり、気になって読みましたが、うすうすは感じていたのですが、驚きですね。

 

次には<疲弊する国立大、捨てられる私大>しかも<大学が壊れる>というのです。週刊誌ですから、派手な見出しが必要なのでしょうけど、やはり気になりますね。

 

岡山大学と言えば地方大学とはいえ国立大として評判が高いと思います。

その研究室に支給されるのがわずか50万円というのですから、これで何ができるのとびっくりします。先日議員の政務調査費の問題を取りあげましたが、これと対比しても何かおかしいのではと誰もが首をひねるでしょう。実際の取材内容は具体的です。

 

<岡山大学で免疫細胞を研究する田中智之教授の研究室には、計15人の学生が所属する。

 「僕らぐらいの陣容の研究室だったら最低限の実験機材、試薬代などで年間500万円はないと回らへん」(田中教授)。だが、大学から定期支給される研究費(運営費交付金に基づく講座費)はたかだか年50万円しかない。日本学術振興会の競争的資金制度である科学研究費(科研費)助成事業に応募したり、民間の科学研究助成財団からかき集めたりするが、十分な資金を安定的に確保するのはなかなか難しい。>

 

これはこの大学の研究室だけの特異な例ではないのです。

<文部科学省が20167月に行ったアンケートで、国立大学教員の窮状が明るみになった。所属機関から研究者に支給される個人研究費は、「50万円未満」と答えた教員が6割にのぼったのだ。「年の終わりになる11月~12月頃になると、研究資金が底をついて開店休業状態になるラボが続出する」と、取材に答えたある地方国立大学理系学部の教授は話す。>

 

これではなんのための研究室かと思います。こういった評判の高い国立大や有名私立大に合格するために、私立の中高一貫校に行かせたり、いくつもの受験塾に行かせる保護者がすくなくないようですが、その費用は一人当たりでこの研究費の何倍にもつぎ込んでいるかもしれません。そういうお金の使い方、大学に入り、研究者の道に入ったときに、必要な研究費もでないのは、なぜかと皆さんが考えないと、変わらないでしょうね。これは長い間にわが国のお金の使い方がどこかに偏りすぎた結果ではないかと思うのです。

 

研究費の減少・偏りの原因について記事は次のように指摘しています。

<多くの国立大教員は2004年の国立大学の独立行政法人化が転機になったと話す。国は、国立大学へ定期配分する基盤的予算(運営費交付金)を年々削減し、研究資金は公募・審査を通じた競争的資金で取ってくる形に変わった。しかも、その競争的資金の配分は、しばしば最新機器があって人数の多い大規模研究室や、学会の有力者がいる研究室に有利となるバイアスがある。結果として、研究資金は東大・京大など一握りのトップ大学に過度に集中する形となった。>

 

それではトップ大学なら、適切な使い道となっているか、あるいはそのようなチェックができているかが問われるわけですが、ご存知の<スパコン助成金詐欺>はどうみたらよいのでしょう。

 

いちいちこの事件の最初から掘り起こすのは避けますが、3本だけ取りあげます。

12月の<文科省系法人JSTが52億円融資>では、

 

<東京地検特捜部は5日、経済産業省が所管する新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)から助成金約4億3100万円をだまし取ったとして詐欺容疑で、ペジー社の社長斉藤元章容疑者らを逮捕。>

 

さらにこのペジー社について、<林芳正文部科学相は12日、文科省所管法人の科学技術振興機構(JST)が、これまで同社の関連会社に開発委託費として52億円を融資したと明らかにした。>どんどん怪しい金額が膨らんでいます。

 

この点<林氏は「開発は着実に進展していると評価されていた。今後、JSTが会社にヒアリングし、対応を検討する」と述べた。融資した全額に担保が付いているという。JSTは「不正な申請との認識はないが、詳しく調べる」としている。>とのことですが、その後情報が明らかになったのでしょうか、気になります。

 

ついでこの種の詐欺がらみでよくある脱税でも逮捕されましたね。

先月の記事<スパコン助成金詐欺社長3度目逮捕 法人税2億円脱税容疑>によると、

<逮捕容疑は、ペジー社を設立した2010年以降の5年間、斉藤容疑者が役員を務めていた電子部品開発企業「ウルトラメモリ」(同八王子市)などへの外注費を水増しする手口で約8億5000万円の所得を隠し、法人税約2億3100万円を免れたとしている。隠した所得には、国側から受給した助成金が含まれていたという。>

 

で、この問題研究者、詐欺するだけあり、使い方もあくどいですね。

<特捜部は、斉藤容疑者が手掛けたカーレース事業で発生した損失の穴埋めに、隠した所得を流用したとみている。レースでは、斉藤容疑者自身がハンドルを握ることもあったという。当時、レース用の車両のメンテナンスを依頼された業者は取材に「(斉藤容疑者は)メンテナンス代を踏み倒したまま、音信不通になった」と証言する。>

 

当然ながら、助成金を出す国側に問題がなかったかが問われるべきですが、次の記事は気になります。

融資上限超え 文科省所管団体、ペジー関係会社に>では、<文部科学省所管の科学技術振興機構(JST)が同社の関係会社にだけ、原則「50億円以下」との上限基準を上回る無利子融資を実施していたことが判明した。>というのです。

 

50万円、あるいはそれ未満しか支給されないで困っている多くの研究者がいる一方で、50億円の上限を超える金額を無利子融資したというのですから、どういう根拠で公正な判断があったといえるのでしょうかね。

 

<JSTによると、融資額は原則として「1億円以上50億円以下」とし、過去5回の公募ではエクサ社を含め30件の融資を認めたが、50億円を超えたのは同社のみだった。

 浜口氏は、募集要項に50億円を超えた申請も受け付けるとの記載があったことに触れ、「超えたケースを認めたものはないが、(他の企業から)超えた申請はあった」と答弁。「審査は厳しくやっている。専門家による評価委員会に判断していただいた」と述べ、手続きに問題はなかったとの見解を示した。>

 

といった内容からは、一つとして合理性があるとは思えないのですが。

 

で、文科省は、これはスポーツ庁を中心にかもしれませんが、オリンピック・パラリンピックなどの代表選手やアスリート育成のために、どんどん予算を増やしているようです。たしかにスポーツは、多くの人に感動を与えますし、障がいのある人が頑張っている姿は共感を呼びます。そういった選手なりの支援のために費用をつぎ込むのはある程度やむを得ないとは思いますが、今回の施設建設や開催費用の予算は一体全体、国のあるべき姿として、望ましい使い方なのでしょうか。いまさら公憤的に言っても始まりませんが、つい研究者一人50万円未満に、一言言いたくなりました。

 

一時間がいつの間にか過ぎてしまいました。予定していた電話を待っていたのですが、ないようですので、頃合いのよい時間ということで、今日はおしまいとします。また明日。


空海に学ぶ(3) <第三 嬰童無畏心>と<子宮頸がん予防接種論争>を考えてみる

2018-02-05 | 空海と高野山

180205 空海に学ぶ(3) <第三 嬰童無畏心>と<子宮頸がん予防接種論争>を考えてみる

 

昨夜は吉村均著『空海に学ぶ仏教入門』の第3段、<嬰童無畏心>(ようどうむいしん)を読んだのですが、まったくその文字内容が頭に入ってきません。空海の言葉も吉村氏の兵役な解説もどうも仏教の基本を理解していないせいか、ただ文字を追っても、ある種の空というかなんにもない、へんてこな空でした。要は凡人の理解の限界を超えてしまった印象です。

 

それより録画していたNHKBS1スペシャル「わたしの“奥駈道”をゆく~山伏修行の5日間~」などにとても感情移入してしまい、午後かいずれ少し書いてみたいと思っています。これで満足したせいか、吉村氏が指摘する熟睡状態で朝は何にも残らない空なのか無なのか、そういう状態で寒さだけを感じてしまう即物的な感覚でした。

 

そんな中、NHKおはよう日本で、<「子宮けいがん」の予防が期待させるHPVワクチン。このワクチンを接種すべきか否か、その論争>について接種しなかった患者の悲哀、接種して後遺症が残った患者の苦痛、この間の問題を調査した厚労省による医師・患者向けパンフの内容をめぐる混乱が浮き彫りにされていました。

 

私自身は、20年近く前子宮体がん・頸がんについて、ある医療事故の依頼を契機に関連で勉強したことがあり、とくに後者のがん診断やワクチン接種に問題が大きく指摘されていたことを思い出しました。

 

その中で、子宮頸がんの発見は子宮体がんのそれに比べて、その構造・位置から割合容易であること、手術もさほど難しくないといった一般的な医学知見が当時あったように記憶しています(昔の記憶ですのでちょっと怪しいですが)。

 

子宮頸がんを発症し、摘出手術を受けて、子どもを産めないなど女性の重要な機能を失った事による喪失感を味わった女性は、ぜひとも原因物質のヒトパピローマウイルスを予防するのに効果があるワクチン接種をすることで自分と同じような不幸を避けて欲しいと言った訴えをされていました。その気持ちは理解できるものです。

 

他方で、ワクチン接種により多様な痛み、倦怠感などで起き上がれない、一時は生死をさまようような状態となり、10年以上経過した現在でも後遺症で普通の生活を送れない女性はワクチン接種の危険性を強く訴えています。とても深刻な問題ですね。彼女の訴えは的確で合理的だと思います。単にさまざまな副作用があるだけでなく、その治療方法がいまだ解明されていない事態を問題にしていますが、厚労省ではそこまでの指摘はないように思われます。

 

番組で登場した医師は、厚労省が先月発表したパンフ<HPVワクチンに関する情報提供について>では、患者に判断を求めるものであるが、選択の根拠が明らかでなく、医師としても協議・対応できないと苦難の様子を示しています。

 

厚労省はさらなる検討を加えるようですが、この子宮頸がん問題は若い世代で発症の増加傾向があるようで、早期に対応が迫られているように思いますが、現状とわかりやすい表現と予防策・対応策・適切に整理して、また統計資料も全体像の中で誤解を招かない形で提示していく配慮を望みたいと思います。

 

なお、厚労省の<子宮頸がん予防ワクチンQ&A>は割合わかりやすく解説されていると思いますが、これを普通の方、まして20代前後の若い人が理解しやすいように、義務教育課程の中で、丁寧な説明により理解を得る必要があるのではと思うのです。これをすべて教師に委ねるのではなく、医師を含め外部の専門家が出張講座を提供するなど、工夫してもらいたいと思うのですが、どうでしょう。

 

たとえば上記Q&Aでは<ヒトパピローマウイルス(HPV)と呼ばれるウイルス・・・は、子宮頸がんの患者さんの90%以上で見つかる>とされていますが、<100以上の種類があります。粘膜に感染するHPVのうち少なくとも15種類が子宮頸がんの患者さんから検出され、「高リスク型HPV」と呼ばれています。>とHPVのすべてが原因物質というわけではなく、その一部です。しかも<1020%程度の方がヒトパピローマウイルス(HPV)に感染し>、そのうえ<90%以上の場合、2年以内にウイルスは自然に排出されるとされています。>

 

こういった統計上の意味を的確に理解して、他方で、ワクチン接種により副作用が相当程度で発症している、しかもその治療方法として確立したものがあまりない状態について、的確に説明するには、このQ&Aだけでは十分とは言えないように思います。私の上気理解も、ザッと読んだ限りですので、批判に耐えないものかもしれません。

 

かなり本論からそれた一つの子宮頸がん論争に肩入れしすぎたように思いますが、この問題を取りあげたのは、吉村氏が解説する第3の意味合いを私なりに、こういった局面も一つ、第三というのは想定できないかと勝手に思った次第です。

 

<嬰童無畏心>(ようどうむいしん)は、これだけでは意味不明ですが、吉村氏の解説では「天の神々の世界に生まれることを目指す異教徒たちは、天に生まれて一時的な安らぎを得ます。それは乳幼児や子牛が、母親に守られているようなものです。」というのです。

 

嬰童というのは、乳幼児や子牛のことのようです。胎児を指しているようにおもうですが誤解でしょうかね。嬰児は生まれたばかりの子供、赤ん坊ですから、子牛と並べて表現していることから、胎児は対象ではないのでしょう。しかし、なぜ胎児を除き、嬰児や幼児を第三の段階の心とするのか、わかりません。胎児では独立性がないというのでしょうか。おぎゃーと自発呼吸しないと対象とならないという識別基準は今ひとつ理解できません。私自身は、胎児の母への依存状態の中での独立性を大事にしたいと思っているのですが。

 

いずれにしても、まさに母親に守られている状態、それが無畏心ということでしょうか。おそれる心がない、安楽に浸っている状態でしょうか。とはいえ胎児も母親のおなかを蹴ったりして意気軒昂ともいえ、ほんとに安楽かは神のみぞ知るでしょうけど。

 

ま、おそらく第二の段階で「実践によって心が変わることが実感できると、今よりすばらしい天の神々の世界があると聞くと、修行してそこに生まれたい、と願うようになります。」と善の心の実践なのでしょうか。

 

それは吉村氏いわく「仏教以外の教えでは、天の神々の世界を最高の境地とするものもありますが、それは永遠のものではなく、原因が尽きれば、他の世界に生まれ変わらざるを得ません。」と他の宗教が目指すものは一時的なものとするのです。そしてそれは赤ん坊が母親に抱かれているときの一時の安楽というようです。赤ん坊は一時的なもので、いずれは成長し混沌の世の中で善悪を切り開いていかなくてはならないからなのでしょうか。

 

この後、吉村氏は仏教の世界構造や他の宗教との違いなどをいろいろと解説されて、話しを進めるのですが、どうも私の頭の中に入ってきません。仏教理解は時間がかかります。ここは無理せず、わからない内容はちょっと飛ばして、いつか戻ってきたいと思います。

 

そして子宮頸がん論争を引き合いにして、ある問題の解決は、人間の狭い見方であって、その解決には問題の本質の一部しか対応できず、逆にその解決法が副作用におりより大きな悪影響を及ぼすことがあることを、私なりに、この第三<嬰童無畏心>(ようどうむいしん)をとりあえずの理解としておきます。適切な例でないことは確かですが、一理くらいはあるのではと勝手に思っています。