たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

隠される事実 <加藤陽子・評 『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』>を読んで

2018-02-11 | 戦争・安全保障・人と国家

180211 隠される事実 <加藤陽子・評 『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』>を読んで

 

本書の著者・旗手圭介氏は、<2016年8月放映のNHKスペシャル「ある文民警察官の死」>を作製したディレクターとのこと。

 

私もこの番組を見ました。PKOの実態についてはさまざまな情報が流れていても、十分な根拠にもとづくのか疑問もありました。しかし、この番組では放映された、派遣された人たちが登場して証言する生々しい体験と現場の状況、そして事件の経緯・状況は、いかに厳しい実態であったかを丁寧に伝えるもので、深く感動しました。いまでも記憶に残っています。

 

加藤陽子氏による書評はいつも注目している一つですが、今回も的確な内容で、その書評を頼りに、私の感じたことを書いてみたいと思います。

 

いま北朝鮮問題を含め世界各地で新たな問題が勃発しています。新たな時代と加藤氏が述べている内容は私が描くものと同じではないでしょうけど、新たな時代が起こっている予感はします。

 

そのとき加藤氏は<ひとつの時代が終わろうとしている今、私たちがぜひとも思い出し、検証しておくべき、冷戦終結直後の一つの歴史が、本書によって解き明かされた。>と、本書の意義を指摘します。

 

<1992年、宮澤喜一内閣がPKO(国連平和維持活動)協力法を成立させ、カンボジアPKOに初参加した歴史>について、本書の上記タイトル自体が「告白」という形で真実を赤裸々に、また背後の国、国際社会の人、組織の問題性にも肉薄しています。

 

歴史の表舞台では、加藤氏が書いているように、PKOの見事な成果として世界的に報じられました。

<91年パリでカンボジア停戦協定が調印されたのをうけ、国連監視下での総選挙実施の援助者として、自衛隊、文民警察官、国連ボランティアが派遣された。93年5月末、懸案の選挙は終了し、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)代表・明石康は「自由で公正な選挙が行われた」と凱歌(がいか)をあげた。たしかに、有権者登録数470万人以上、投票率9割近くという数値を達成してはいた。>

 

しかし、事実は隠され、そこで派遣された隊員たちは、まるで戦時中の大本営発表で動かされた海外各地の戦場にいた兵隊のように生死を彷徨い、また沖縄では多くの民間人が自決を迫られたように、真実はこうだと言えないまま、PKO活動を行っていたのですね。

 

加藤氏は<日本から文民警察官として現地に赴いた、全国警察の俊英七十余名の肉声は、全く異なる事態を伝えていた。>として、本書の内容をいくつか引用しています。

 

<カンボジアの治安情勢について、いわく、「内戦中だったんですよ。パリ和平協定なんて全然守られていなかった」。兵站(へいたん)を軽視し違法な命令を強いたUNTACに対して、いわく、「明石氏に正解を聞きたかった」。>

 

このことはNHKの番組で、元隊員たちがリアルに銃砲が飛び交う様を切実に指摘していました。その事実はこの放映まで隠され続き、今なお事実として確定されていないのではないでしょうか。

 

それは<南スーダンに派遣された自衛隊部隊の昨年夏の「日報」>が戦闘状態にある事実を具体的に記述していたのを、ないものにしようとした防衛省はじめ政府のあり方と同一の根深い問題を感じます。

 

もう少し加藤評釈を引用させてもらいます。

<本書の中核をなしたものは、仲間の命を奪われた隊員らが保管してきた原史料や記録だった。彼らも一時は死を覚悟し、「正確にこのこと(現地の状況)だけは伝えよう」と互いに励まし合い、覚悟の上で記録を残していた。>というのです。

 

むろん公式記録ではないのです。日報はどうなったのでしょう。自衛隊員とは違いますが、日報は表現はいろいろな名称があると思いますが、なんらかの職務で仕事をする場合に最低限度の必須の仕事・作業でしょう。まして国連の重大な職務として派遣されているわけですから、公式に日報を日々作成すること、報告することは基本中の基本だったはずです。それは一体どうなったのでしょう。おそらく隊員たちが正確な記録を残すために書いた原資料と異なる、表向きの現地状況や作業内容を書いた、隠された事実の報告にとどまっているのではないかと思います。それが公式記録として現在も残っている、いやすでに廃棄してしまったのでしょう。

 

著者の乾坤一擲の思いで番組を作り上げたのも、この著作を書き上げたのも、加藤氏の次の引用から、こういった隊員たちの思いを受けて、NHK内外の圧力に打ち勝てたのではないかと思うのです。

<著者の旗手啓介が番組を作ろうと決意した動機も、文民警察隊長だった山崎裕人から、当時の手記や報告書を提供されたことにある。政府が公文書を適正に保存しないのみならず、廃棄する事例に事欠かない日本では、歴史の検証は困難を極める。それを思えば、本書の大事さが身にしみてよくわかる。>

 

一人の隊員の犠牲が真実から隠されたという憤激があるのではないかと思います。これは番組を見ていた私の気持ちも強く隊長たちの気持ちに揺り動かされました。

<命を奪われた仲間とは、93年5月4日、対戦車砲と自動小銃を持つ「正体不明」の武装勢力に襲撃され、死亡した高田晴行警部補をさす。高田を襲撃した相手はわかっているが、UNTACと政府は正体不明にこだわる。>

 

加藤氏が事実隠蔽の構造について、PKOの派遣の目的・前提要件として、本書を通じてわかりやすく解説しています。

<選挙と戦場。この二つは本来両立しないはずだ。PKOが可能なのは、PKO参加五原則のうち、(1)紛争当事者間で停戦合意が成立している、(2)紛争当事者の受け入れ合意がある、この2条件を満たす場所だ。だがカンボジアは、ある時点から、この条件を満たさない場所へと変貌を遂げていた。>

 

パリ協定の停戦合意が国内全域で成立していたわけでなく、一番危険なポル・ポト派が支配する領域では有名無実化していたというのです。しかし、このようなことは慎重に調査・検討すれば、容易に予測できますし、戦闘状態があり停戦合意が破棄されていることが確認されれば、撤退の大勢を整えておくべきことだったはずです。

<パリ協定に調印し、停戦に合意したのは四つの陣営だった。その最大勢力がプノンペン政府軍派であり、残りの反政府三派の一つがポル・ポト派だった。ポト派といえば、70年代半ば、一時的に政権を掌握した際、800万人の自国民のうち100万~200万人を虐殺と餓えで死に追いやった一派にほかならない。

 停戦から選挙までに、必ず完了させなければならないのが武装解除のはずだった。パリ協定も4陣営に7割の武装解除を要求してはいた。だがポト派は、選挙前に最大限勢力拡大を図ろうとし、武装解除せず、自らを武装した民警だとして、政府軍との戦いを続けていたのだ。>

 

そしてその一番危険なスポットに派遣されたのです。

<高田の配置された警察署の場所が、あろうことか、ポト派の新しい根拠地に最も近い場所だったことだ。この危険性にUNTACも政府もまったく気づけなかった。ある隊員の嘆き。「なぜだれも日本から、現場に話を聞きに来ないのか」>

 

しかも<93年3月の時点でポト派が、停戦合意を破棄し、選挙をもボイコットする決断を下していたことだ。その時からポト派にとっては、選挙支援に奔走する日本人は、敵として目に映じたことだろう。>

 

この点、番組ではポト派の隊長クラスが当初、好意的な接触をしていたのが、ある時期から状況が変わったといた証言があった記憶です。敵意を当初は見せていなかったのはカモフラージュだったのか、それともさらに上層部の判断が変更したため、敵視するようになったか、は明らかにされませんでした。

 

この番組の取材で、元隊員と再会したときの友好関係にあったポト派の隊長の不自然な対応を見ると、少なくともある時点で、日本人を敵視していた、そして丸腰の隊員たちを餌食のように襲ったことにわずかな後悔の表れを感じたのですが、真相はわかりません。

 

一人一人の命は貴重で大切だと言うことはだれも否定しないでしょう。でも、国家としての目的、国連や国際社会での役割・地位を保つということに軸足を置いてしまうのが国家というものの必然かもしれません。大義のために死ねというのかもしれません。その大義が嘘・偽りを前提にしても、さらに将来を切り開くためといった目的のため、嘘も方便として、一人の気持ちや命を危険にさらすことはやむを得ないと、考える思考が自然に生まれてしまう危険を感じます。そして戦争やその危機を煽るとき、あるいは戦争を回避するという崇高な目的のため、その事実を隠すことが国家という制度の中で平気で生まれるようにおもうは邪推でしょうか。

 

真実が隠された理由について<停戦合意が破られているならば、文民警察官は撤退しなければならない。隊員を率いる山崎はそう判断した。だが、総選挙実施という成果を上げたいUNTACも政府も、撤退の上申を認めなかった。先に、「正体不明」の武装勢力と書いた。UNTACも政府もポト派だと明示できなかったのは、認めたが最後、PKO五原則の前提が崩壊するからである。>と加藤氏が本書により評しています。

 

いま私たちが住む日本は、ある国家目的が次第に醸成されているように思えることが会います。平和への危機を訴える切実な声に対して、平気でヘイトスピーチなり表現を拡散することが増えてきているようです。事実が隠され、それを告白しないといけない状況は、いま広がりつつあるように思えるのです。

 

事実を述べることを躊躇しないですむ社会の成立はおそらく人間社会には生まれないかもしれません。でもそれがより厳しくなるのではなく、できるだけ少なくなるような社会づくりが必要ではないかと思うのです。他方で、批判の自由もあって良いと思いますが、事実に基づかない批判は恥ずかしいことと思える社会に近づくことも努力していきたいと思うのです。

 

また今日も少し長くなりすぎました。冗長でした。もう少し簡潔さを心がけたいと思います。ともかく本日はこれにて終了。また明日。


空海に学ぶ(9) <第九 極無自性心>と<事実に反する“イメージ” 流されてはいけない>を読みながら

2018-02-11 | 空海と高野山

180211 空海に学ぶ(9) <第九 極無自性心>と<事実に反する“イメージ” 流されてはいけない>を読みながら

 

ようやく空海の第十心論も最後の一歩手前までたどり着いた、というか吉村氏が要約した字面を眺めて、無酸素状態で霧に包まれた地球の頂にいるイメージです。といってもTV画像で見る程度で実際に体験したわけではないので、そのイメージも空虚なものでしかないわけです。

 

ともかく第九の極無自性心(ごくむじしょうしん)という、いつものちんぷんかんぷんの言葉に少しくらいは吉村流説明で近づくことができればと読み進めました。吉村氏は副題で「『華厳経』の心」と銘打っています。むろん華厳経も仏教史では名前をよく聞くものの、中身はわかっていません。

 

吉村氏は最初の見出し「仏教の教えの二つの意味」で、空海の言葉を引用しています。

「水に自性なし。風に遇って即ち波だつ。法界は極に非ず。警めを蒙って忽ちに進む。」これでは水のもつ自由無限性のようなものが法界も似たもののような印象をうけるものの、よくわかりません。

 

吉村氏の解説では「水には決まった本性というものがありません。鏡のような水面も、風に会えば波立ちます。すべてが静まった法界は究極の境地ではありません。仏から呼びかけられ、さらにそこから進みます。」と。私がイメージしたようなもののようにも思えますが、といって内実はさっぱりです。

 

吉村氏は「空海は第九住心の冒頭で、この境地をあらわす「極無自性心」には、表面的な意味と秘密の意味の二つがあると述べています。」として、表面的な意味を顕教としての華厳経をここで取り扱い、第十で秘密の密教を分けて取り扱うとされているようです。構成上は第八、第九を一緒に扱い、最後に第十としているのですが、どうやら第九と第十は深い関わりがあるようにもみえるのです。

 

それから「『華厳経』の概要」として、その趣旨や内容を語っていますが、あまりに仏教的すぎて、パスします。入門だからしっかり紹介しろと言われたとしても私には荷が重すぎます。

 

ただ、この説明の中で、「江戸時代の東海道五十三次、東海道に五十三の宿場町が設けられたのは、この『華厳経』「入法界品」に基づくといわれています。」ということで、53という数が華厳経に依拠したものだというのは面白いです。

 

それは華厳経の中にある第一会から第八会まである最後の「第八会は祇園精舎で、善財童子の求法遍歴、文殊の勧めにより様々な菩薩を尋ね、五十三人の師から教えを授かる旅が描かれます。」というのがあり、53人の菩薩の師から教えを授かり実践する、ということからきたようです。ですから東海道は53の宿場で師に会って教えを受け、最後に京の都で成就するということでしょうか?

 

次は「さとりを聞いた仏陀の側からの視点」という小見出しで、仏陀の全知全能者が描かれているようで、ちょっと違うのかなと言った解説のようにも思えます。

 

「私たちの心は煩悩によって常に波立っています。」という書き出しは納得です。続いて、「仏陀はその波が完全に収まった状態で、鏡のような海面はすべてを映し出します。仏陀は一切智者といわれますが、私たちが身近なことは知ることができても、遠くのことは知覚できないのは、私中心の捉え方をしているためです。ですからそれから解放された仏陀は、すべてを知ることができるのです。」

 

私たちは見たとか、知ったとか言っても、一面的であったり、刹那的で会ったり、本当の実態を知ると言うことはないというのも理解できます。では仏陀だと具体的には何がみえるのか、興味深いところです。

 

よくわかりませんが、第八、第九ではまだ不十分だと言うことを指摘しているようです。

「第八住心や第九住心の世界では、「色即是空」、日常意識で捉えられる世界と深い膜想の境地で体験される空性が別ではない世界が、仏の世界として描かれます。しかし、言葉を超えた境地にある、教えを説かない仏陀と、それを言葉にする菩薩たちには、「色」と「空」を分ける視点がわずかに残っています。」

 

色即是空が行き着いたところのようにも思うのですが、吉村氏は「修行が完成された仏陀の境地においては、瞑想中と瞑想後の差がまったくなくなる、といわれています。」として、瞑想を基軸にしつつ、その前後に差異がなくなる、瞑想を不要にすると言うことでしょうかね。

 

それが最後の小見出し「心の仏」になるようです。

その心の仏について、吉村氏は「『華厳経』では「仏と心と衆生と、是の三つは差別なし」と説かれています。心の仏とは、私が対象的に捉える「私の」心ではありません。「私」「私の」は分別する心の働きで、それから解放されたのが(チベットの伝統で「心の本質」と呼ばれる)心の仏です。ということのようですが、ま、この後もいろいろと解説が続くのですが、私は相変わらず文字を追うだけです。

 

事実を捉え、表現することの困難さといったこと、事実の認識をめぐって言い争う世の中の不条理というか、カオスというか、これが人間の俗人としての宿命みたいなものは、この吉村著作によって、改めて感じるのですが、それ以上には一歩も進みません。

 

個々で話を変えて毎日朝刊記事<時代の風事実に反する“イメージ” 流されてはいけない=藻谷浩介・日本総合研究所主席研究員>を少し紹介しつつ、上記との関連性?を少し心に抱いて、書いてみたいと思います。

 

藻谷氏は、<筆者はブログやフェイスブックやツイッターなどの、いわゆるSNSに手を付けない。一番の理由は、思い込んだままにうそを書くのを避けるためだ。新聞や雑誌への寄稿、それにきちんとした出版社からの出版であれば、校閲がファクトチェックをしてくれるので、文字での発信はもっぱらそっちに絞っている。>として、事実を正確に捉えること、それにはSNSでは問題があるとの指摘です。

 

たしかにそういった見方はある種、正鵠を射ているともいえるでしょう。しかし、SNSだから事実に基づかないとか、出版物だから事実の裏付けが一定程度確保されているとか、といった割り切り方も相対的なものではないかと思います。

 

私自身、事実に関しては、自分の実際の見聞を大事にしますが、それでは限られるので、マスコミの報道に依拠します。しかし、私がよく引用する毎日新聞やNHKなど、大手マスコミにしても、一定の信頼があるものの、限界があること承知して、出所だけはその引用文の正確性を評価する材料として提供してきたつもりです。

 

たしかに藻谷氏が指摘する<ファクトチェックなきネット言論の形成する“イメージ”>は、ここで議論している事実が何かとは離れた評価なり考え方、あるいはイメージですから、これ自体は論外でしょう。

 

次に挙げている<「日本は2016年、中国(+香港)から3兆円の経常収支黒字を稼いだ」>は、SNSの話題とは少し局面が異なり、出版社の校閲担当からはじまりその他TV解説者、政治家幅広くありうる誤解なり、偏見的な見方であり、事実認識の拙劣さではないかと思うのです。

 

もう一つあげた<沖縄県名護市長選で、辺野古沖海上への軍用滑走路新設反対を明確にした現職が、「経済活性化」を掲げた新人に敗れた。>ことに関する名護市の景況です。やはりこれまた現地を知り、経済的なデータを確認するなど、この問題にしっかり根を下ろした事実認識の上で議論をする必要を感じさせる指摘であり、納得です。

 

私自身、四半世紀以上前、日弁連の調査で名護市役所を訪ねたり、名護市周辺を現地調査したことがありますが、とても地産地消を考えた市庁舎づくりをしたり(丹下健三氏でも評価するのではと思ってしまうほど沖縄独特の文化を反映しています)、それぞれの伝統文化芸術を大事にしているように思えました。その後移転問題がクローズアップされた20年くらい前にも、今度は東弁のメンバーとして当時予定地であった辺野古の海を地元の案内で透き通った美しい海をずっと船上から見つめたことを思い出します。

 

名護市を含め、多くの沖縄人は豊かな自然を活かした観光立県を形成してきたと思います。その成長を阻んできたのは米軍基地であることは疑いようがないと思います。日本の防衛のためなのか、アメリカの防衛のために行われてきたか、そこの主従関係も適切に事実を直視し、判断がされる必要があるように思います。

 

しかしながら、より重大かもしれない藻谷氏指摘の<新設予定の海上滑走路は大地震の巣・沖縄トラフに正対する。「津波リスクのある沖縄東岸の洋上に、軍用滑走路を設けるのは無謀だ」>との点は、なぜか議論の中心課題になっていません。

 

沖縄本島をはじめ南西諸島は、プレートテクトニクスにより隆起陥没などを繰り返してきたと思うのです。南海トラフと一体ではないでしょうか。屋久島にある数100mの高さのある花崗岩はマグマだまりが上昇した結果だといわれています。紀伊半島南部の古座川にある一枚岩は高さ150mもあり、巨大カルデラの一部で、1400万年前に紀伊半島で世界最大級の火山噴火があり、日本列島に山脈が生まれたといわれています。しかし、屋久島のそれはその何倍も巨大です。それくらい大規模な圧力がかかっているのではないかと思うのです。

 

南海トラフ地震の発生確率が30年間で70%から80%に引き上げるとの発表が最近ありましたが、まったく南西諸島に影響しないといえるか私にはまだ疑問です。

 

事実の認識は、仏教の考え方でも容易でないようですが、私たち実社会においても、科学的知見というものが政治経済の影響を受けて、正確な情報提供ができているか懸念するところです。