たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

大畑才蔵考その15 <小田井用水路の世界かんがい施設遺産登録記念シンポ>に参加して

2018-02-08 | 大畑才蔵

180208 大畑才蔵考その15 <小田井用水路の世界かんがい施設遺産登録記念シンポ>に参加して

 

今朝も雪が残り、粉雪が舞っていて、結構外は寒そうに思えました。北陸の豪雪で長時間の車中泊から抜け出せない人たちに比べるべくもないですが、体調がいまいちだと今日のシンポはどうしようかと思ってしまいました。

 

ところが、次第に日差しが出て暖かくなると、下り気味の体も調子が戻り、仕事も一段落したので、出かけることにしました。なにせ<<小田井用水路の世界かんがい施設遺産登録記念シンポジウム>副題で<地域の財(たから)を未来につなぐ?>というタイトルも凄いですが、主催者として当事者の「小田井土地改良区」と並んで、わが「大畑才蔵ネットワーク和歌山」が名乗りを上げていますし、それにパネリストや司会なども仰せつかって、主力メンバーに加えて会長も挨拶を担当するというのですから、私も責任者の一人として参加しないわけにはいかないなと、多少義務感で出席したのです。

 

ところが、300人くらい入る会場でしたか、満員すし詰め状態で、とても盛況でした。やはり県知事、関係市町長も壇上で挨拶するということで、相当動員がかかったのでしょうか?

 

実際、講演内容もうまく整理されていて良かったです。トップは林田直樹氏という、全国農村振興技術連盟の委員長であり、また、今回の登録審査に関与した国際かんがい排水委員会の副会長をされているということで、まず「国際かんがい排水委員会」という組織の概要と、現在の登録遺産の状況について説明されました。

 

英語ではInternational Commission on Irrigation & DrainageICID)ということですが、かんがいと排水を並べて書くと、なにか異様な印象を感じてしまいます。むしろ国際「用排水」委員会の方が私にはわかりやすいのですが、Irrigationの訳としては「かんがい」が日本人には理解しやすいのでしょうか。おそらく世界的に見ても水田かんがい用水として使われてきたというのは日本を除けば極めて限定されるでしょうから、微妙なところでしょうか。

 

とはいえ、「かんがい」という日本特有の用語が登録数がダントツだということですから、世界的に周知され、「つなみ」並みに世界語になるのかもしれません。

 

続いて、<水土里ネット小田井>の事務局長でもあり、わが才蔵ネットワークの知恵袋の一人でもある米澤一好氏からは「「明治維新150年。高台の扇状地を潤す 小田井用水の施設の変遷について』と題して、小田井用水路の過去、現在を映像でわかりやすい解説がなされました。

 

驚いたのは、小田井用水が有名な龍之渡井を含む交差する川をまたぐ水路橋や、川の下をくぐる伏越(ふせこし)が思ったより多数あることでした。そうですね、たしかに30kmの用水路は無数の南北に流れる大小河川と交差するわけですから、勾配の少ない水路の建設の難しさに加えて、難儀な問題だったと改めて感じさせてくれました。

 

才蔵ネットワークからは最も才蔵研究に取り組んできた副会長の久次米英昭氏が、その功績について「大畑才蔵の功績~紀州藩の財政立て直しと農民のくらし向上を願って」と題して、紀州藩の財政逼迫に際して登用された才蔵が果たした役割を小田井用水をはじめとする灌漑用水路、ため池などの利水事業に加えて、災害復旧の調査・工事、各種普請工事の施工見積もりについての調査などなど、才蔵の功績を多角的に解説されました。

 

最後は、<水土里ネット立梅用水>(たちばい)の事務局長、高橋幸照氏が、「立梅用水における地域住民との協同活動 立梅用水の多面的機能の活用と町づくり」と題して、用水の現在、さらに未来に向けた活用策を見事に語っていただきました。

 

立梅用水は、三重県多気町にあり、当時は紀州藩の一部であったことから、才蔵が構想を考案したものの着工に至りませんでしたが、この構想を元に、200年前に地元の西村彦左衛門が発起人となり、約30kmの用水路を完成させて、現在も活用しているそうです。

 

高橋氏が解説する多面的機能は、あまりに盛りだくさんで、楽しく愉快に、地元と都会とあるいは外国人との交流がうまく描かれていて、地域共同体のコミュニティとしての復活再生にとどまらない活動を、用水路を活用することにより成功しているものでした。その多くは<水土里ネット立梅用水>のネット情報でよくわかるようになっています。

 

昔、生物多様性国家戦略といった国家的方針が立てられ、省庁横断的に多面的機能を競い合ったことがあったと思います。それ自体は立派な内容であったかと思います。とはいえ、ま、一部の部署が担当して、手を上げた地域の活動を並べたものに近かったですが、それぞれの事業は意欲的なものであったことは確かですが、持続性・普遍性の面では物足りないものでした。

 

今日のシンポを終え、才蔵ネットも、才蔵の行ったことの顕彰にとどまらず、水土里ネット立梅用水のような現代的な、あるいは未来に向けた魅力ある活動につなげることができれば、より多くの関心と指示が得られるのではないかと、魅力的なモデルケースを見せていただいたと思う次第です。

 

なお、今日のシンポとは関係ないですが、最近ふとしたことで、玉川上水のことが気になってきました。実は、毎日新聞で連載中の高村薫著『我らが少女A』の舞台とダブってしまったのです。後者は野川なのに、なぜか玉川上水と勘違いしてしまいました。

 

どちらも東京にいる頃は、なんども訪れている私の好きな場所の一つです。とりわけ前者は玉川兄弟が江戸時代初期に、江戸の町中まで上水を引いたということで、すごいことをやったなと感心して、取水口の羽村の堰に出向いていったこともあります。

 

企画したのは伊那氏親子のようですが、実際の施工は玉川兄弟です。で、なにかの拍子に、多摩川という大河川に堰を作り、大量の上水を江戸まで通すということは、時代、技術、延長距離、勾配などの点で、才蔵の前に大河川での取水・用水路事業を行ったのではないかと思い、ウェブ情報で確認したら、その可能性が十分あると思うのです。

 

ウィキペディアで<玉川上水>を調べると、<多摩の羽村から四谷までの全長43km1653年に築かれた。>かんがい用水ではありませんが、その水量は現在の羽村の堰で見る限り、小田井用水を十分凌ぐものです。とはいえ、当時は小河内ダム(石川達三が『日陰の村』で水没する村の様子や民の悲劇を見事に描いていますね)もなかったので、それほどの水量がなかったとは思いますが。

 

いずれにしても、43kmで、高低差が100mしかなかったというのですから、相当な測量技術があったといえるでしょう。それでも最初は日野市辺りで堰を、次には福生町と、次第に上流に変更して、羽村でようやく成功したようです。羽村は私がカヌーを始めたはじめ頃によく練習に行きました。上流・下流とも渓谷のような場所があり、岩場も多く、小河内ダムの影響で水量も相当あり、しかも冷たいので、結構大変です。

 

この玉川上水と小田井用水路を比較検討するとなにか生まれるか、新たな興味です。いずれにしても戦国時代すでに相当な水理技術や土木技術をもっていた戦国武将たち、その配下の技能集団は、その技術を軍事秘密として一切秘伝にしていたことから、技術がいつ開発され、継承されていったかがわからない謎になっています。たとえば忍城(埼玉県行田市/鴻巣市)、備中高松城(岡山市)、太田城(和歌山市)の水攻めは、三大水攻めとも言われていますが、その方法はあまり明らかになっていないようです。すでに工区割など、工期を短縮する技法は取り入れられていたようですが、堤防や堰の作り方など、あまり明らかになっていないように思うのです。城研究者は石垣や縄張りなど築造には注目するようですが、水攻めの点ではどうなんでしょう。太田城の水攻めなどではいくかの研究書がありますが、あまりわかっていません。私が知らないだけでしょうかね。

 

そろそろ時間となりました。本日はここで打ち止め。また明日。


空海に学ぶ(6) <第六 他縁大乗心>と2つの判決<1票の格差 「違憲状態」><原発避難者・東京訴訟 東電に11億円賠償命令>を考えてみる

2018-02-08 | 空海と高野山

180208 空海に学ぶ(6) <第六 他縁大乗心>と2つの判決<1票の格差 「違憲状態」><原発避難者・東京訴訟 東電に11億円賠償命令>を考えてみる

 

空海の十住心論も第六住心まで形の上では到着しました。卑見のごとき浅薄な理解からすると、空海の弟子たちも、これを理解できるに至る人は少なかったのではと思ってしまいます。

 

講座日本の歴史は、たしか半世紀前に通読したきり、それ以外に歴史書をまとめに読んでいないので、曖昧な記憶に頼るしかないのですが、空海の高野山も最澄の比叡山も、上は上皇・天皇家、摂関家から下は末端の人々まで、末法思想が蔓延する中、適切な解を提供できなかったように思います。空也や源空、あるいは覚鑁も一定の道を示したのかもしれませんが、多くの理解を得るまでには至らなかったのではないかと思うのです。

 

他方で、人間社会という支配制度の中では、争いが絶え間なく、当時の権威なり政治システムでは解決策を示せず、領地争いなどを中心に台頭してきた武家が裁判による解決策の提示を求め、鎌倉幕府を擁立したのでしょうか。といっても多くの庶民の苦しみを救うものではないため、鎌倉新仏教が次々と台頭していったのかしらと思うのです。

 

とはいえ、人間社会の紛争解決手法として、権威を持った判断が尊重されてきたのも、17条憲法で指摘されているように、6世紀以前からわが国にも仏教思想と平衡して一つの秩序維持の手法として、あるいは権威の維持基盤として機能してきたのではないかと思うのです。

 

前口上はこの程度にして、第六 他縁大乗心(たえんだいじょうしん)について、昨夜一読した、印象を書いてみます。理解できていないので、印象としか言えないのです。

 

吉村氏は、この段階を「唯識(ゆいしき)の心」として、「自身が仏陀となることを目指す」という小見出しをあげて、その詳細をさらに小見出しを次々と出して解説していますが、これを引用しても、私には解説するだけの能力がありませんので、省略します。

 

ただ、この部分はなんとなくイメージできるような気もします。

空海の言葉でしょうか、「無縁に悲を起して、大悲始めて発る。幻影に心を観じて、唯識に境を遮す。」ということについて、吉村氏は次のような現代訳をしています。

 

「特定の対象ではなく、一切衆生に対して苦しみから解放されるようにという気持ちをおこすことで、大悲の心がはじめて生じます。実体であるかのように映っている現象は心の現われであると観じて、心だけが真実である〔唯識〕として、対象の実体視を断ち切ります。」と。

 

 

大悲の心とか、唯識とか、よく聞く言葉ですが、すべての生命体にたいする気持ちと、心だけによりどころを求めるというのは、無理難題ではありますが、なんとなくわかったような気がします。

 

そのほかたくさんの仏教用語が登場しますが、ただ一つ興味深いというか、少しだけ理解できそうなイメージを持ったのは「四無量心(しむりょうしん)」です。

 

吉村氏はこれを「他の衆生が幸せとその原因を得るよう願ういつくしみ()の心、苦しみとその原因から離れるよう願うあわれみ()の心、他の喜びを自分のことのように喜ぶ随喜()の心、自分と親しい/親しくないなどの差別をしない平等()の心の四つです。四摂法は、実際に利他をなす時の心のあり方です。」と解説しています。

 

「四無量心(しむりょうしん)」という心の持ち方ですか、この第六の中で唯一、なんとなく理解できたような感覚と、理想的な心のあり方を感じました。とはいえ、現実世界で、人の支えになるのか、気になるところです。私のような凡夫にはときどき意識して心の洗濯をするときの効果的な洗浄剤になれればと思うくらいです。

 

ところで、現実世界は、価値観の対立、トラブル、紛争が数限りなく起こりますね。裁判による対応はその一つの対応策ですが、現代社会では仏教を含めた宗教よりも大きな影響を持つことも少なくないかもしれません。

 

今朝の毎日記事<1票の格差「違憲状態」 名古屋高裁、昨年衆院選で初>と<東日本大震災 福島第1原発事故 原発避難者・東京訴訟 東電に11億円賠償命令 ふるさと喪失分、示さず>が2つの異なる事件について、大きく取りあげていました。

 

前者は、先の衆議院議員選挙について初めての違憲判断を示した名古屋高裁判決を取りあげています。

<「1票の格差」が最大1・98倍だった昨年10月の衆院選(小選挙区)は投票価値の平等を求める憲法に違反するとして、弁護士グループが愛知、三重、岐阜3県の計24小選挙区全てについて選挙無効を求めた訴訟の判決で、名古屋高裁は7日、小選挙区の区割りを「違憲状態」と判断した。藤山雅行裁判長は「最大格差は極めて2倍に近く、見過ごせない」と述べた。その上で請求は棄却した。>

 

これまで同種訴訟が16件提起され、10件が合憲とされ、違憲判断が初めてなされたのです。

 

<藤山裁判長は「最高裁判決は議員1人当たりの有権者数をできる限り平等にすることが求められるとしており、2倍未満なら容認するとの趣旨ではない」と指摘した。さらに国会が、人口比をより正確に反映できる「アダムズ方式」の導入を決めながら作業を20年国勢調査後に先送りしたため、1人別枠方式は完全に廃止されておらず、なお憲法の要求に反する状態にあったとした。

 一方で、国会が格差縮小やアダムズ方式導入決定をしたことなどを挙げ「かろうじて、合理的期間内に是正がされたと言える」と述べ「違憲」判断は避けた。>

 

この藤山コートについて毎日の別の記事では<1票の格差違憲状態判決「奇跡に近い」>として、原告弁護団の<伊藤真弁護士も「政治に過度な配慮やそんたくをすることなく、司法がその役割を果たした」と述べた。その上で「地方でも1票の価値が低い所があり、都市と地方の問題で考えてはいけない。日本のどこに住んでいても『1人1票』を持たなくては」と強調した。>としています。

 

藤山氏については、このブログでもなんどか取りあげたかもしれません。この記事でも次のように言及しています。

<行政敗訴判決、度々出し注目…藤山裁判長

 担当した藤山雅行裁判長は名古屋家裁所長などを経て、2015年から名古屋高裁部総括判事を務める。

 東京地裁時代は裁判長として行政訴訟や医療訴訟を担当し、行政敗訴の判決を度々出して注目された。工事中の公共事業で初めて、小田急線高架化の国の事業認可を取り消す判決(01年)▽東京都の外形標準課税(銀行税)を無効とする判決(02年)▽騒音を理由に首都圏中央連絡自動車道の国の事業認定を取り消す判決(04年)--などがある。

 現在64歳で4月に定年を迎える。【金寿英】>

 

藤山氏は優秀な裁判官ですが、どうやら名古屋高裁の裁判長、あるいは最後にどこかの高裁長官を務めて退官されるのでしょうか。どうも最高裁の人事上は、これだけ行政を敗訴させているので、お眼鏡にかかる裁判官とはいえなかったかもしれません。

 

とはいえ、退官直前だから、こういった思い切った違憲判断をしたというほど、狭量な方ではないですね。まだ若いので、最高裁まで上り詰められると日本の最高裁も変わるような気がするのですが。

 

次の<東日本大震災福島第1原発事故 原発避難者・東京訴訟 東電に11億円賠償命令 ふるさと喪失分、示さず>も、原告・弁護団からすると不満でしょうけど、現在の裁判所の状況からすると、頑張った判断ではないかと思います。

 

記事は<東京電力福島第1原発事故に伴い、長期の避難生活を強いられたとして、福島県南相馬市小高区(おだかく)の元住民ら321人が東電を相手に「ふるさと喪失慰謝料」など総額約110億円の賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は7日、請求の一部を認め、東電に総額約11億円の支払いを命じた。水野有子裁判長は「原告は、憲法が保障する居住・移転の自由や人格権を侵害された」と述べた。【近松仁太郎】>と、「ふるさと喪失慰謝料」と明記してみとめていませんが、憲法上の権利として「居住・移転の自由や人格権」の侵害を指摘して、間接的に一部認めたようにも思えます。

 

むろん、ふるさと喪失の苦しみは、想像以上のものでしょう。旧来の慰謝料基準を前提にした中で、水野コートは少しだけ配慮したと思いますが、正確にその痛みを把握できたか、これは改めて問われるのでしょう。

 

<ふるさと喪失慰謝料 >については、福島第一原発事故によって初めて主張された概念です。毎日記事を引用します。

 <原発事故に伴う長期の避難生活で、故郷の人間関係や豊かな自然などを永遠に失ったとして避難者らが求める賠償金。東京電力は2013年12月に国が示した方針に基づき、原発がある福島県大熊町や双葉町など帰還困難区域からの避難者に「故郷喪失に対する慰謝料」として1人700万円支払うとしたが、今回の原告は対象外。千葉地裁が17年に独立した慰謝料として初認定した。>

 

仏教は苦しみを、あるゆる人、生命体の苦しみを救うことが大悲なのでしょうか。裁判は本質的な解決になるわけではありませんが、裁判所も、裁判官も、新たな事実を認識することにより評価や評価基準を変えてきたかと思います。それは個々の裁判官の良心というものに依拠するのでしょうが、その努力は職務の公正さの担保なのだと思います。仏教世界とは異なる訴訟の世界を生きてきた一人として、この二つの事件の判断は考えさせるものがあります。