180214 宮司世襲と女性 <宇佐神宮 世襲家解雇は有効>と<富岡八幡宮殺人事件>を読んで
富岡八幡宮で宮司が弟夫婦に襲われ殺害された事件、はや2ヶ月経ったのですね。元横綱・日馬富士による暴行事件をめぐる展開が大騒動となり、いつの間にか重大事件にもかかわらず話題から消え去っていった観もありますね。たしかに容疑者夫婦がすでに死亡していることもありますが、問題の背景・本質がなにかうやむやになったような晴れない気分です。
そこに今朝の毎日新聞に<宇佐神宮世襲家解雇は有効 神社本庁が勝訴 大分地裁支部>という小さな記事が掲載されていました。この宇佐神宮事件は、富岡八幡宮事件とは、宮司の地位をめぐる紛争が根源にあり、女性が宮司になることに神社本庁が反対したこと、いずれも離脱を試み、前者はできずに神社本庁との関係で対立したこと、後者は離脱したものの今度は弟との間で紛争が激化したことで共通問題が顕著かなと思うのです。
むろん今回の裁判は権宮司の地位をめぐる裁判ですが、その引き金は宮司職をめぐる対立です。
記事では<宇佐神宮(大分県宇佐市)で宮司を世襲していた到津(いとうづ)家の到津克子(よしこ)さん(49)が、ナンバー2の権宮司(ごんぐうじ)を免職され、神宮から解雇されたのは無効などとして神社本庁(東京)と宇佐神宮などを相手取り、地位確認と総額約1665万円の損害賠償などを求めた訴訟で、大分地裁中津支部は13日、解雇を有効とする判決を言い渡した。>と、神社本庁側に軍配を上げています。
この訴訟の引き金になったのは< 宇佐神宮の混乱の発端は2008年。責任役員会が到津さんを新宮司に推薦したが、神社本庁は拒み別人が宮司となった。法廷闘争となり13年に到津さん側敗訴が確定。>です。
富岡八幡宮の場合も、世襲の姉が宮司になろうとしたら、神社本庁が認めませんでした。いずれの宮司の場合も、神社本庁は経験が足りないとかのもっともらしい理由を挙げているといった記事があったかと思いますが、女性を就任させることを拒否したとみられても仕方がないように思います。
なかには神社・神宮は、天皇家のように世襲制が認められていて、寺の場合は違うといった見解もあるようですが、実態は、いずれもすべてではないですが、世襲制がかなり採用されているように思います。ただ、お寺の場合は女性住職も徐々に増えてきているのではないでしょうか。これに対し、神社・神宮の場合は女性の宮司はあまり聞かないですね。とりわけ宇佐神宮や富岡八幡宮のように社格の高いところでは。
では神社本庁は、なぜ女性を宮司にとして認めないのか、天皇制と関係があるのか、わかりませんが、性差別を理由に就任を認めないとすれば、宮司の就任を認めるか否かは信仰に関わることで、一般には俗を規律する宗教法人法の適用がないとしても、憲法上いかがかと思うのです。
では世襲制は問題ないのか、これも気になりますが、さすがにそこまでは憲法論としておかしいといえるかは信仰上の領域とグレーゾーンになるか、見解が分かれるかもしれません。ただ、信仰の世界において、世襲制は仏教をはじめ多くの宗教では宗教上の根拠を欠いているのではないかと思うのです。神社・神宮も変わらないと言いたいところですが、出雲大社などの例を見る限り、氏子などに支えられて、連綿と継承されてきているわけですから、こういった実態があれば世襲制は宗教上も確立しているといってよいのでしょう。ただ、すべての神社・神宮がそうかというと、それぞれの地域で異なるように思います。古い歴史のある神社・神宮ほど、世襲制が確立しているように思えます。
実のところ裁判では、太宰府天満宮、出雲大社などでは、しっかりその規則で世襲制を規定していることが、本件の前に訴訟となった宇佐八幡宮事件で明らかにされています。
とはいえ、女性しか跡継ぎがいない場合、婿養子が宮司となって継承することもあるようですから、男系の世襲制といった強固な形態は、もしかしたら天皇制くらいでしょうか(とはいえ、記紀の天武天皇以前は実態がどうだったか気になるところです)。
さて、もう少し宇佐神宮について言及してみたいと思います。私もこのブログかfbでなんどかこの宇佐神宮については取りあげてきましたが、今回問題になっている解雇・パワハラ事件は知りませんでしたので、古代の宇佐神宮のいろいろの物語は別の機会に取りあげるとして、現代の問題を少し追ってみたいと思います。
まず判決内容は、大分合同新聞が<宇佐神宮訴訟 「権宮司の解雇有効」 パワハラは一部認定>として、より詳細に報じていますので、少し引用します。
<主な争点は▽宇佐神宮との雇用関係が継続しているか▽未払い賃金があるか▽パワハラなどの不法行為があったか―など。>
上記の争点について、<判決で沢井裁判長は「原告が約4年間欠勤した他、元宮司を宮司と認めず、業務命令に従う意思がなかった。(解雇は)客観的、合理的な理由がある」と判断。一方で「神職らによる無視など敵対的言動があった。元宮司らは就労環境を改善しなかった」などと指摘した。>として、前2つの争点は否定し、最後の部分の一部を認めたということですね。
もう一つ神宮側が請求した事件があり、<神宮側が境内にある到津さんが住む建物「職舎」を明け渡すよう求めた訴えについては、棄却した。>ということで、なお今後も引き続き境内の建物利用をめぐって対立したままの状態が残され、紛争はこの結論自体への不満もあるでしょうけど、継続することが明白です。
なお、<到津さん側代理人の岡村正淳弁護士は「一部認められたことは評価したい。ただ、正常な労働環境でなかったことを認めながらも解雇は有効との判断は矛盾している」。>と指摘していますが、上記の争点に対する判断はまさにそのとおりで、これだけ読むとあまり練れていない印象を抱きますが、適切に判断するのであれば、やはり判決文自体を丁寧に読んでからかと思います(むろん判決文には証拠の内容が明らかにされないので、話半分ですが、それでも一定の整合性がとれているのが普通ですから、そこは確認する必要があるでしょう)。
裁判の争点については<権宮司解雇巡る訴訟 13日判決 宇佐神宮>で、一覧表にして、より的確に示していますので、参考になりますが、引用はカットします。
で、これとは別に、毎日記事は判決直前に<宇佐神宮“内紛”10年どう裁く? 神宮と世襲社家側、免職・解雇で論争 13日、地裁判決 /大分>として整理しています。
ここでは紛争の発端から記事にしています。
<混乱の発端は08年。宮司任命権を持つ神社本庁に具申できる責任役員会は新宮司に克子さんを推薦したが、神社本庁は翌年「経験が少ない」との理由で別人を宮司に決めた。責任役員会は神社本庁に離脱届けを提出するなど対立。>
<訴訟になり、最高裁まで争われたが、13年に克子さん側敗訴が確定した。>とありますが、この訴訟は克子さんが世襲宮司家の慣習があるとして宮司の地位確認を求めたもので、なぜか富岡八幡宮とは違って神社本庁を離脱せず、とどまって、同庁に認めさせようとしたわけですが、結局慣習が認められず敗訴したのです。
パワハラの主張を読んでみますと(むろん主張だけでは真相はわかりませんが)、歴史のある神宮の中で、陰湿な争いが繰り返されてきた印象をぬぐえません。いくら美しく、飾り立てても、八幡宮といった立派な神様が鎮座していたとしても、神宮の祭祀を行い主宰する宮司や関係者が清浄な心でなければ、とても神様どころか、人も寄りつかなくなるのではと心配します。
いずれに応神天応や神功皇后の話をするときなどで、宇佐八幡宮も登場してもらおうかと思っていますし、聖武天皇や称徳天皇のときの事件でも考えてみたいこともあるので、それは別の機会にして、今日はこのへんでおしまいです。また明日。