たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

文化財・観光と経営・文化 <「日本の文化財を守れ~アトキンソン社長の大改革~」>と<廃仏毀釈を問い直す>を見て読んで

2018-02-24 | 日本文化 観光 施設 ガイド

180224 文化財・観光と経営・文化 <「日本の文化財を守れ~アトキンソン社長の大改革~」>と<廃仏毀釈を問い直す>を見て読んで

 

実は一昨日の毎日夕刊に<廃仏毀釈を問い直す/下 今残る仏像が示す人間の愚>という記事が掲載されていて、その一週間前に<廃仏毀釈を問い直す/上 権力者や英雄、神格化の起点>と、明治150年を別の角度から見直す指摘がありました。

 

前者の記事がウェブにアップされれば、取りあげようと思ったのですが、なぜかアップされていません。ときどき不思議な記事漏れがあるように思うのです。普通、上があれば、下があるわけで、両方とも紙面記事になっているのですから、上がウェブ記事にアップされれば、下もなっておかしくないと思うのですが、なにか理由があるのでしょうか。ただ、毎日紙面ビューという、紙面と同じ体裁だと読めるのですが、コピペができないので、残念です。

 

昨日そう思いながら、帰宅してふと以前録画していた番組を思い出しました。というか録画のタイトルを見ていてふと見たくなったら、少し関連がありました。それが<NHK ETV特集「日本の文化財を守れ~アトキンソン社長の大改革~」>です。

 

今日はこの番組で紹介された、イギリス人で、元ゴールドマン・サックスのアナリストで、その後300年の歴史を持ち、国宝・文化財修復を手がけてきた日本を代表する小西美術工藝社の社長となった異色の経営者の言動に注目してみたいと思います。名前はデービッド・アトキンソンで65年生まれですから、番組放映当時は51歳でしたが、現在は52歳でしょうか。

 

いや、凄い人ですね。金融アナリストは、TV番組とか、著作でしか知りませんが、企業経営、しかも文化財の修復という特殊技能を持つ職人集団をもつ企業を経営するというのですから、それだけで驚きです。しかし、アトキンソン氏は、自然体で見事に職人であろうと、企業目標を明確にして、その目標に向かって企業経営の合理化を、しかも単に財務諸表といった収支計算にのみ注目するのではなく、その核心である修復作業の一から十まで詳細に現場で監督していくのですから、まさに本来の経営者の姿ではないでしょうか。

 

番組で取りあげたのは、春日大社、日光東照宮陽明門と二条城(これは修復そのものより観光事業としての見直し)が主なものだったと思います。

 

で、後で触れるかもしれませんが、廃仏毀釈で春日大社と興福寺が分離され、後者は多くの仏像が破壊されましたが、残された仏像の修復におり現在人気を取り戻しつつあるようです。前者は20年ごとの遷座が行われてきたものの、職人の高齢化や本来の材料が減少し、また職人の技能の継承も難しくなった状態にあるようです。

 

アトキンソン氏が社長を引き受けたとき、職人の平均年齢が50代~60代で、若い世代が入ってこず、ほとんどいない状態で、技能の継承が困難な事態におちいっていたというのです。まるで農林漁業のようでもありますね(むろん若い世代が意気軒昂な地域もありますが)。

 

その要因の一つについて、金融アナリストらしさを発揮しています(ま、そうでなくてもたいていの経営を担う人なら意識はありますが)。アトキンソン氏は、65歳定年制にして、給与をそれまでの半分にしたのです。彼曰く、ベテランの職人がいくら腕が良いといっても、若い職人の何人分もの給与をもらっていたら、若い世代を雇うことができないというのです。それはそのとおりです。それをわかっていて、実践するかどうか、それが普通の経営者とアトキンソン氏の違いでしょうか。彼は断固実践します。

 

当然、年配の職人は怒りますね。事前に説明を受けていて65歳になった途端、受け取った給与が半分だったことに驚き、怒りを覚えたという人もいました。でもそれは若い世代を育て文化財修理事業を維持するのに必要だと、適切に説明を受けていたこともあって、受け入れたというのです。アトキンソン氏の経営スタイルは、大胆な組織改革ですが、常に詳細に一人一人に理解してもらうよう説明を尽くす点です。

 

創業者経営者ならともかく(しかし、稲盛和夫氏もとことん社員と議論したというくらいですから、本当に経営者ならみな同じスタイルではないでしょうか)、雇われ経営者としては、徹底した経営合理主義を、アトキンソン氏は発揮するのです。

 

この結果、職場は、若者が一杯、画面ではほとんどが20代、30代くらいの職人に見えました。また女性職人も少なからずいたように思います。

 

もう一つの重要な問題として、修復技術の施工管理が彼が就任した当時杜撰になっていたようでした。一年前に修理した住吉大社の天井の梁でしたか、朱塗りしたものが剥げて垂れ下がっているということで、苦情がきていました。それは相当数あったようです。こういった場合、新たな注文をとるため営業に走る経営者もいますが、アトキンソン氏は、あくまで負の遺産を放置せず、謝罪にあちこち出向き無料で問題のある箇所の塗り直しなどをさせて、会社の信用回復に努めたのです。その結果、徐々に営業に走らなくても注文が増えていったというのです。これまた商いの本道をいくものでしょう。渋沢栄一も常に強調していたと思います。

 

この技術的な面で注目するのは、彼はベテラン職人が行った春日大社の白壁に描かれた絵馬の塗り直しについても、わずかの線にこだわるのです。彼は観光客の目線で、その狩衣のシワを示した線の濃さ・太さを問題にしたのです。神宮の守り人の力強さを表すために、そのシワは明確でないといけない、淡い下地の白が見えていると指摘するのです。

 

その職人(副社長でもある)は、彼なりに、日本人好みの淡いグラデーションを独自につけたかったようで、そのことに自負を持っていましたが、アトキンソン氏の観光客の目線という視点からの変更申出を、受け入れました。この二人の対立はどちらがいいかは私にはわかりません(ま、私の好みは職人さんに軍配ですが)。しかし、このように現場で一つ一つの作品について、微細にこだわり、職人と議論することにより、作業を進めていく姿勢は見事と言うほかありません。

 

若い職人さんも、最初は素人が何を言うかと、内心馬鹿にしていたようですが、アトキンソン氏の細やかな質疑という会話のやりとりを通じて、何を目的にして修理・修復するかを、それぞれの箇所で、彩色、部材などを目的に適合するかを話し合うことにより、お互いが具体の目的を明確化して、それにあった作業を進めていくことが自然に、組織全体で理解されていっているように思えるのです。これまたすばらしいです。

 

それはこの中では、金融アナリストの数字ばかりを追っているといった姿は一切みえないのです。

 

むろん経営合理性として、収支計算で黒字化をする必要がありますが、アトキンソン氏の視点は多様であり、短期・長期のバランスを見ながら、しっかりとした計算の下に費用をとうじていることを納得させられてしまいます。

 

神社・大社の色は朱に決まっていますね。でも本朱というのがあるのだそうです。多くの神社では、本朱を作る鉱物が限られていて、普通の朱の10倍くらいの値段があるとか、この塗り方が乾きやすく塗り直しが困難とかで高い技量を擁するため、本朱を使わないそうです。でもアトキンソン氏は、春日大社では本朱をあえて使い、多額の費用をかけています。それはむろん神官の理解を得ないといけませんが、未来に向かって国宝の価値を継承してもらう、伝統技術の継承の必要性を理解してもらい、実施するのですね。

 

こういった修復の話しの他に、二条城の修理保全を依頼されたとき、その費用確保のための観光事業のあり方を、アトキンソン氏は力説するのです。

 

阪神大震災で、二条城の一部の屋敷壁が傾いてしまい、多くの丸太で支えて暫定的な措置をとっています。また鬼瓦の一部でしょうか、いくつか落ちてしまったままでいます。熊本城ほどひどい破損状態ではないですが、それでも修復には100億円かかり、国と京都市で半分ずつ負担するということですが、その費用をどのようにして工面するか審議会らしきもので議論するのです。

 

ここでアトキンソン氏は、世界的な視点で、わが国の国宝や文化財の保全・維持費用が少なすぎることを問題にします。たしかに国を含めて累積赤字で出せるものはないというのが国でもあり京都市でもあるのでしょう。

 

しかし、アトキンソン氏は、入場料が少なすぎるというのです。600円というのは、文化財を破壊している(といったような記憶です)と激白するのです。私も賛同です。

 

私自身、それほど世界各地の文化遺産などに行ったわけではありませんが、基本的に立入制限を設け、他方で入場料はかなり高いものだったと思います。アトキンソン氏はイギリスの場合だったか、世界平均だったか不確かですが、入場料は2000円近くするということでした。彼は数値に明るいので、1円単位で話しを進めますが、私は田中角栄みたいな頭脳とは違いますので、大ざっぱな記憶の数値で勘弁ください。

 

私の各国の施設入場料の記憶もそんなくらいかなと思っています。ただ、イギリスはナショナル・トラスト制度が庶民の間で普及し確立していて、私がお友達になった家族もトラスト会員で、年会費いくらか払っていたと思いますが、そういう会費による収入も文化財保護(もちろん自然遺産もあります)に役立っているようです。

 

日本の場合ナショナルトラストというと、知床の保全が端緒になったと思いますが、イギリスに比べるとその普及度は微々たるもので、とくに建築物といった文化財については管轄もあり、極めて限られている印象です(ここは確認していませんので誤解があるかもしれません)。

 

アトキンソン氏は、従来の文化財行政の立場からするとびっくり仰天するような議論を熱心に行っています。入場料は庭だけ見るのなら600円、建物内に入る場合は600円を付加し、さらにイベントに参加する場合はさらに600円とか、といった入場料の付加価値を高めるというのです。個別の案内人が付く場合はそれだけ観光の価値が高まるのだから、その分余分にいただくというのです。現在の入場料は、修学旅行生を相手に設定した、「修学」のためのもので、「観光」のために合理的に設定されていないというのです。私も賛成です。

 

むろん、これまでの文化財のように単に展示物を見せるというだけでなく、案内板も単に名前を記載した表示だけでなく、その歴史的意義や背景、建築的・美術的価値の解説などを記載した表示を掲示することを提案して、すでに二条城では実現されています。また、当時の天皇が行幸されたときに行われた式典の再現など、その場所にあったイベント企画を行うことも進めています。これらも次第に実現されているようです。

 

国宝や文化財は、単にそのものを見るだけで理解できる面もありますが、やはり多くは長い伝統芸術・技術の蓄積が随所に含まれていて、また歴史的な場所の意義も重畳的にあると思われるのです。そういったサービスを提供するとすると、北米などで通常ガイド役として登場する、インタープリターが不可欠だと思うのです。私などは英語のヒアリングが十分でなくても、その説明があることでずいぶんと違った印象、そうですね対象の価値の重さを、そして観光の価値の深みを感じさせてもらいました。

 

そういうインタープリターを育てる状況は、最近の新観光戦略で醸成されつつあるというか、すでに一定部分が具体化しているようですが、まだまだ地方では目に見えた変化は感じられないのです。

 

入場料無料にするとか、低額にするとか、が当たり前という考え方がまだまだ岩盤としてあるように思えます。むろん国民だれもが文化財にアクセスできることは大事なことです。しかし、一方で少なくとも景気上昇期間が戦後最大とか、ベースアップ3%とかいうのであれば、文化財を守り活用するために、この入場料を相当額に設定する必要があるように思います。むろん低所得者対策は当然、別の形でしっかりとるべきでしょう。

 

スマホにしても、いろいろな興業にしても、興味を惹けば、いまは小学生から若者まで、多額のお金を出してもいいと思っています。文化財の価値を魅力あるものにする努力が求められていると思います。アトキンソン氏の提案は、まだ緒についたばかりで、より具体的に各地のそれぞれについて競争してはどうでしょう。インスタ?というのでしょうか、よければスマホであっという間に流行するでしょう。悪ければ無視されるでしょうけど。それは仕方がないですね。

 

ま私のブログもそんな感じで、少数の方は多少は賛同していただけているのかなと思いつつ、独り相撲のようなものですから、勝手な言い放題というところもありますが。

 

問題の廃仏毀釈の話しに入る前に、5000字を超えてしまったようで(饒舌すぎました)、少々疲れてきましたので、今日はこれにしておしまい。また明日。