たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

オリンピック考 <五輪壮行会、非公開・・・機運損ねる過剰な抑制>などを読みながら

2018-02-27 | スポーツ

180227 オリンピック考 <五輪壮行会、非公開・・・機運損ねる過剰な抑制>などを読みながら

 

平昌五輪は、日本としては冬季としては過去最大のメダルラッシュもあり、かなりの盛り上がりがあったようですね。開幕前は北朝鮮との緊張状態や、韓国内での人気が今ひとつで切符の売り行きも悪く、施設整備もどうなるかと不安が随所に聞かれていましたが、TV放映はとくに日本選手の活躍もあってわが国ではかなり熱狂したようです。

 

私自身は、TVはほとんどNHKを見るのですが、それがオリンピックムード一色みたいで、録画番組をほとんど見ていて、たまにニュースで選手の活躍を見る程度でした。とはいえスピードスケートなど一部の選手の放送は結構しっかり見ていましたが。とはいえ開幕式も閉会式もスルーしました。全体としてまるでTV放映のためにオリンピックがあるかのような演出が随所にあり、興ざめを感じてしまうからかもしれません。

 

それにしても放映権を中心に知的財産権をめぐるオリンピック運営のあり方には、疑問を投げかける人が少なくないですが、私も同感で、仕事が一段落した5時になったので、少し書いてみようかと思います。

 

アスリート・ファーストという言葉がなんどか聞こえてきました。私がたまたま見たスキー・ジャンプ競技の女子選手のとき、私も高梨沙羅選手を見ようと、かなり早い段階から見ていましたら、途中でなんどか競技がストップするのですね。風が強いとか、弱いとか、向かい風があると有利とか(私は前のブログで逆を書いてしまいました、よくわかっていないのです)。競技開始時間が結構遅いのですね。平昌はかなり寒さが厳しいところであるのに、深夜に実施するというのはなぜかと思うのと、放映権者の都合なのですね。深夜帯が欧米のちょうどよい視聴時間帯になるようで、それに合わして競技時間も設定しているそうです。これは東京オリンピック・パラリンピックも同じですね。今度は真夏の酷暑の中に競技させられるのです。

 

まるで、古代ローマの競技場で闘わされる戦士のように思ってしまいます。だいたい見たければ録画すればいいのですし、なぜ生放送を視聴することにこだわるのでしょう、なんてことを言うと、放映権者だけでなく視聴者の多くから袋だたきにあいそうでしょうか。

 

むろんアスリートは、どのような厳しい条件でも、選手同士は平等の条件で闘うからそれ順応するように訓練してきたのでしょうけど、ちょっとやり過ぎではないでしょうか。

 

でも、メダルをとった選手たちの、個々の口から出る言葉は、力強く、逞しく、そして多くの人への感謝を告げる、優しさ、気遣いの心など、多くの人に感動を与える物であったかなと思うのです。厳しい条件だからこそ、それに耐え抜き生まれる精神力、力強い個々の発言力でもあるのかもしれません。

 

だいたい、羽生結弦選手も、渡部暁斗選手も、ひどい骨折をかかえて、痛みに耐え抜いて競技に参加しメダルを獲得するのですから、こういった精神力・肉体力は、やはり多くの人に見てもらい感動を与えるだけの高い価値があることを否定する人はいない、あるいはほとんどいないと思います。

 

ただ、他国のアスリートたちの活躍や発言までフォローすると、時間がいくらあっても足りないでしょうね。

 

前口上が脱線して戻ってこれそうもなくなりそうになったので、この程度にします。

 

本題は上記の放映権の巨大化、オリンピック運営に対する支配力と関係することです。

 

毎日記事は、この点本日のクローズアップ2018で大きく取りあげています。<五輪壮行会、非公開 「応援」「宣伝」違い不明確 機運損ねる過剰な抑制>と。

 

それは壮行会から始まっていました。<五輪壮行会報道公開中止相次ぐ JOC指針が背景に>では先月18日の記事で、<各地で開かれている平昌五輪代表選手の壮行会で、報道陣への公開が直前に急きょ中止されるなど混乱が相次いでいる。壮行会の開催告知すら満足にできず、人が集まらないケースもあり、関係者に困惑が広がっている。なぜ、こんな事態になっているのか。【平本泰章、福田智沙/東京運動部】>と問題提起しています。

 

<フィギュアスケート女子代表の坂本花織選手(シスメックス)が通う神戸野田高校は、9日に壮行会を開いた。報道各社には事前に案内を出していたが、直前に非公開とした。法政大も15日にアイスホッケー女子代表の3選手の壮行会を開いたが、当日朝に公開中止を決め、報道各社に連絡した。選手の記者会見だけ公開し、続いて行う壮行会は非公開にした例もある。>

 

ここでJOCの指針が取りあげられています。

<背景には、国際オリンピック委員会(IOC)の規則に従ってJOCが定めた五輪の知的財産保護の指針がある。五輪のマークや名称などを宣伝目的で利用できるのは、日本国内ではIOCのスポンサー13社と、2020年東京五輪のスポンサー47社に限られる。>

 

つまり、ポイントは、五輪のマーク・名称利用の制限をJOCが独自の方針を示している点で、それは次のような内容のようです。(ここで電話連絡があって、30分あまり中断し、ちょっと脈略があいまいになっています)

 

<それ以外の企業や学校が壮行会を開く場合、内部の関係者のみの参加で非公開とする条件で許されている。一般や報道陣に公開したり、写真や動画をホームページやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に掲載したりするのは、五輪の商業利用でスポンサーの権利を侵害するとみなされ、認められていない。競技団体や選手の出身地の自治体が主催する場合には公開できるが、「企業色、商業色がない」という条件付きで、所属企業や学校のロゴなどは見せてはいけない。指針に違反すると「選手の大会資格剥奪につながる恐れがある」と記されている。>

 

この指針は以前からあって、いままでは壮行会は把握できていなかったか、黙認されてきたようです。

<問題の指針は以前からあり、JOCから各競技団体を通じて選手の所属先に伝えられている。JOC広報・企画部の担当者は「浸透度に差があると感じている」と漏らす。JOCも一つ一つの壮行会の実情を把握しきれず、これまでは黙認したケースが多かった。しかし、20年東京五輪を見据えて指針の徹底を図っている。また、ある選手の所属先が昨年末に開いた壮行会が大きく報じられたことなどを機に、指針の再確認を呼びかける競技団体もあり、公開を控えるところが増えたようだ。>

 

この方針では壮行会だけでなく広範囲に利用制限が及ぶことが明らかです。

<五輪期間中に選手の所属企業や学校が開く応援行事や、五輪後の報告会も同様の扱いとなる。選手の五輪での結果や様子をホームページなどで発信することにも制約がある。>

 

で、再び本日のクローズアップ2018を取りあげますと、このJOCの指針について、<東京五輪・パラリンピックに向け、全国約800校の短大・大学は大会組織委員会と連携協定を結び、盛り上げに一役買っている。東京五輪・パラリンピックに向け、政府に非公開の改善を要望する日本私立大学協会の小出秀文事務局長は「公立、私立問わず、大学は連携して東京五輪に向け機運をもっと高めていきたいとしている。JOCの規制には義憤を感じる」と語る。>と不満があがっています。当然ですね。

 

で、JOCの方針はどのような位置付けなのでしょうか。

<JOCの指針はIOCが五輪憲章で定めた「五輪競技大会はIOCの独占的な資産」に基づいている。1984年ロサンゼルス五輪で商業化路線にかじを切ったIOCが規制を強化した。しかし、IOCのマーケティング責任者のティモ・ルメ氏は毎日新聞の取材に「ルールの目的はスポンサーの権利保護であり、非商業的、教育的な利用は合法だ。こういう事柄は各国に任せている。東京五輪に向けては、JOCの責任で判断して、何がベストか考えるべきだ」と柔軟な姿勢だった。>

 

では、JOCのガイドラインはどうなっているのでしょうか。JOCのホームページを探したのですが、<オリンピック等の知的財産の保護について>のみで、これではガイドラインになりませんね。結局、見つからなかったので、毎日記事がコンパクトに整理した表を引用します(表はコピペできませんでしたので省略、毎日記事を参照ください)。

 

上記の3段目に、<選手の所属企業による壮行会、報告会などの外部への公開の禁止>が上げられていますので、これに該当するということでしょうね。

 

しかし、その上の<マークの使用など五輪をイメージさせる広告やPR>とは明らかに異なる形態ですね。むろん知的財産権の専門家からのアドバイスを受けて、異なる類型を取りあげたのでしょうから、当然ですが、このマーク使用などは知的財産権の核心ですから当然ですし、それを含む五輪をイメージさせる広告やPRは、まさに知的財産権の保護に抵触するものとして、だれもが異論ないと思うのです。

 

ところが、壮行会とか報告会などが外部に公開されることをもって知的財産権の不正な利用と言えるのでしょうか。便乗商法とレッテル貼りできますかね。疑問です。

 

<日本オリンピック委員会(JOC)が所属先の学校、企業の壮行会やパブリックビューイング(PV)などが宣伝目的にあたると指導していた。>

これも方針に則った指導でしょうけど、おかしくないでしょうか。「宣伝」の定義を拡大しすぎていませんか。たしかに選手事態がオリンピックをイメージしますし、ユニホーム姿であれば、まさにオリンピックのマークなども表示されているでしょう。それを所属先の学校、企業の宣伝と断じるのはいかがなものでしょう。裁判で争ったとき勝てますかね。

 

オリンピックが商業化し、巨額の費用でしか実施できなくなってきた状況の中で、その支援団体のよりどころとなる知的財産権を保護する姿勢は、半分わからなくもないですが、極端すぎませんかね。

 

<五輪マークや名称を使用できるのは、IOCスポンサー13社と東京五輪・パラリンピックのスポンサー47社となる。スポンサー料は選手強化や大会運営費に充てられており、アンブッシュマーケティング(便乗商法)の規制は過去の五輪でも課題だった。>

 

この問題提起自体どうでしょう。マーク・名称の使用という概念の一人歩きではないでしょうか。「使用」という場合、やはり中核はマーク・名称であって、選手個人は知的財産権の対象ではないはずです。むろん壮行会や報告会で、たしかに五輪マークを掲げて、それを明示的に示すといったことになれば別ですが、あくまで選手個人が主体の壮行会であり、報告会ですから、それをルール違反というのはいかがなものでしょう。

 

<組織委も昨夏、超党派のスポーツ議員連盟にアンブッシュマーケティングの制限について法制化を要望している。規制と機運醸成の両立のため、鈴木俊一・五輪担当相は「みんなが納得できる基準を示さなければいけない」と指摘している。>

 

結局、現在のガイドライン中、少なくとも壮行会や報告会については、原則自由として、仮にどうしても制限するというのであれば、マークや名称を利用することを禁止すれば足りると思うのです。垂れ幕ではマークなどは使わないでやればいいのです。五輪の宣伝にはなりませんが。そんなけちくさいことをやめて、壮行会や報告会、パブリックビューイングくらい、自由にやらせてあげる度量が欲しいですね。

 

私個人は、アスリートの素晴らしさを感じますが、そういったものに参加するつもりはありません。でもそういう感動を一緒にしたい人のために、知的財産権の不当な行使は、そのあり方として疑問です。

 

とくにマイナー競技といわれるパラリンピックの選手の場合、こういった制限は中小規模の支援が多いと思われる中で、厳しい事になることは予想されますので、そういったアスリート・ファースト、障害者ファーストのパラリンピック支援のためにも、新たな前向きのガイドラインをつくってもらいたいと思うのです。

 

本日はこれにておしまい。また明日。