たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

農のあり方 <農業は甘くない>と<食×農×福祉>を読みながら

2018-02-21 | 農林業のあり方

180221 農のあり方 <農業は甘くない>と<食×農×福祉>を読みながら

 

なかなか宇根豊著『農本主義のすすめ』の続きに入っていけませんが、彼の説く「資本主義の限界」や「農の精神性」といったものとは少し違った視点で、今日は二つの記事を取りあげてみようかと思っています。

 

まず、<水説農業は甘くない=中村秀明>は当然の表現のようですが、いわば資本主義的農業の担い手である企業が繰り出すハイテク農業を対象にしているところが面白いです。

 

論説委員の中村氏は、野菜の高騰理由の一つに高齢化する農家の生産力の衰えを上げています。

<「レタスが423円かあ。買えないわね」

 スーパーの野菜売り場で子どもを連れた母親のため息を聞いた。野菜の高騰が長引いている。台風被害と日照不足、その後の寒波が原因だが、背景には野菜農家の生産力の衰えがある。

 生育状況を回復させ、寒さから守るにはビニールで畝(うね)を覆う「トンネル被覆」などの対策がいる。就農者の平均年齢が66歳を超えた現場では、わかってはいても素早くできる作業ではない。>

 

たしかにそうでしょう。若い世代が農地で見るのはそう多くないですね。70前後は普通でしょう。80台でも頑張っていますね。たしかにビニールを覆うのは大変ですね。私は自然農ですので、そんなことはしたことがありませんが、ほとんどの農家はやっていますね。

 

野菜作りは市場にだすようにするには、細かな作業が多いでしょう。(自家用であれば別です。宇根氏はだれもが自家栽培をと呼びかけているように見えます。)

 

では機械によって代替可能かですが、一部の農作物についてはオランダ当たりではまさにAIを駆使した工場管理農業となっていますね。わが国でもだいぶ進んでいるのかなと思っていたのですが、中村氏の指摘は逆でした。

 

<企業の農業参入として注目されるハイテクの「野菜工場」ならば、問題を克服できるという考えもあるだろう。ところが、20年近くに及ぶ各社の試みは挫折が目立つ。>

 

<制御機器製造のオムロンは1999年、北海道千歳市に海外の先端施設を持ち込んでトマト栽培を始めた。><東芝は神奈川県横須賀市で2014年から、人工照明を使ってレタス、水菜、ホウレンソウなどを作った><04年創業のベンチャー企業「みらい」は、千葉県などで野菜工場を稼働させながら、千葉大との連携で工場栽培や環境制御の最先端技術を他社に提供していた。>

 

ところが、いずれも数年もたないか、結局は法的再生を図っています。

 

興味深いのは、その理由が規制の壁ではなく、コストということのようです。

<いずれも農業にまつわる「規制の壁」に阻まれたのではない。野菜は収益性が低いのに、工場生産するには設備や光熱費にお金がかかりすぎ、採算が合わなかったのだ。>

 

<「大規模化と機械化」「法人化による効率経営」が農業活性化のカギと叫ばれるが、話はそう単純ではない。農業はたやすくもうかるものではないし、自然が相手なのでままならない面が多い。一方で、経験を積み重ね、知恵と勘を身につけた担い手の高齢化は止まらない。>

 

宇根氏は、こういった生産性や価格競争といった考え方に異論を唱え、天地自然を経済的価値から超越したものとして、農のあるべき方向として目指すことを訴えているようです。

 

それもありなんと思いつつ、次のようなあり方も多様なあり方の一つかなと思うのです。

毎日フォーラム・特集食×農×福祉 地域共生社会の構築へ>では、新たな統合?構想が語られています。

 

<政府の「地域における食と農と福祉の連携のあり方に対する実態調査委員会」座長を務めたNPO法人地域福祉研究室pipi理事長(前青森県立保健大学教授)の渡邉洋一氏から、日本の地域の状況と社会福祉が抱える問題を背景に、「食」を介した農福連携の可能性について>寄稿されたものです。

 

農・福祉はいずれも縦割り行政の下補助金に依存する状況と福祉施設での高額の内部留保と経営者の高額給与の半面、職員の低賃金といった不公正な状態、農業では高齢化で生産性の低下の中での補助金継続といった点を問題提起しています。

 

そしていま進展しつつある農福連携については期待されるものの限界があるというのです。

<農福連携への期待は、社会福祉の領域での脱・入所施設というノーマライゼーションの進展がある。そこには、高齢者の地域密着サービスへの期待や障がい者の地域移行や雇用機会への期待が背景にあって、農業と福祉を連携させることで、高齢化した農家を障がい者が援農することで解決を模索している。>

 

その限界は

<具体的には、国策の障がい者の就労支援事業のA 型の事業所では、最低賃金保障が期待されている。しかし、農業従事によって最低賃金を稼ぎ出すことは困難が伴う。実態は、施設職員が多くの労働部分を担い、しかも施設会計(補助金・寄付金他)から障がい者の賃金に加算していることが多いようだ。実態をみても、知的なハンディキャップがある人は、雑草と作物の区別が困難であるし、車椅子生活の方が農地に入ることも困難を伴うために、軽度の障がい者や職員に負担がかっている。このように農福連携の限界があることを指摘しておきたい。しかも、農福連携だけでは農の既得権益や福祉の既得権益の課題の解決にはならない。>

 

そこで食のもつ付加価値に期待が集まっているようです。

<社会福祉の領域では「食」への期待が多くある。それは、施設利用者による食品製造や販売による自立生活への期待である。例えば、ヤマトホールディング株式会社の「(株)スワン」によるパン製造と販売が著名であり、概ね月額10万円の賃金の支払いを可能としている。このように、農福連携だけではなく、「食」を組み入れることによって、地方独自の特産品を開発していくこと、自給自足・地産地消などを背景として「食の商い」という「小さな稼ぎ」が新しい期待となっている。>

 

これは拠点にとどまらず面的な広がりをもつ可能性をもつというのです。

<既存の政策や補助金の配分では解決しえない複合的で、包括的な対策となり「福祉施設をポンプ役にしたまちづくり」という地方創生モデルとなり得る可能性がある。>

 

さらに進んで<「地域における食と農と福祉の連携」>という着眼点で捉え直すというのでしょうか。

<特に「食」が持つ可能性が「農や福祉が持つ体質」を変革させて地域を活性化させる可能性が確認できた。そこには「食」が持つ伝統食や饗応の文化、本物の食い物による健康維持効果、食の場に参加することによる生きがいの創出や認知症の予防効果などがある。さらに「食の商い」という「小さな稼ぎ」は地域社会の活性化を促し、農林水産業や社会福祉の仕組みを変えて、効果的かつ効率的な経営や運営が期待できる。>

 

こういった相互作用は理解できるものがあります。

 

そして<このように、地域における食と農と福祉の協働によって、田園回帰へと巡っていき、地域活性化や都会再生や地方創生へとつながる可能性を有している>として、その代表事例を紹介しています。その詳細は関心のある方は記事をご覧ください。

 

で渡辺氏はいま検討されている2つの制度を連携させようと考えているようです。

一つは<通常国会に提出される見込みの地域再生法の改正案で「ビジネス活性化地区(BID)」が検討されている。地域の価値を高めるための住民や企業などによる地域経営を財政面で支援するため政府が制度を創設するための法律である。特定エリア内の関係者の合意などを条件に、地方自治体が地域経営の実施主体に代わって活動資金を徴収することになる。>

もう一つは<厚労省を中心とした福祉の地域包括ケアを進展させた“地域丸ごと”の住民参画型の政策において地域共生社会の構築を求めている。>

 

これらをどのように連携させようとしているかですが、

<そこで、地域共生社会という地域社会のあり方に、食(伝統食・饗応・食の商い・食による観光他)と農(農林水産の生業と役割)と福祉(相互扶助・保健医療福祉連携)によるコミュニティー(地域活性化)政策を提言したい。この「食の営み」は、小さな稼ぎやコミュニティービジネスへの期待となり、「食の饗宴」は、地域社会の活性化と絆の構築となる。しかも、BID制度を組み入れた「食の観光化」への期待としての地域共生社会のビジョンの核となり得そうだ。>

 

まだ言葉だけのイメージで、リアルな実態までは想定できていませんが、安易な合体なり複合事業でないように、さまざまな配慮が必要でしょうね。期待したいと思うのです。

 

それぞれ一時間弱で、今日は3つも書いてしまいました。その割には痺れはいまのところあまり強くなっていません。明日に影響しなければいいのですが。

 

本日はこれにておしまい。また明日。

 


農協の「不正」?会計 <コメの販売優先、会計後回し 56億円赤字のJA>を読んで

2018-02-21 | 農林業のあり方

180221 農協の「不正」?会計 <コメの販売優先、会計後回し 56億円赤字のJA>を読んで

 

今朝の朝日記事<コメの販売優先、会計後回し 56億円赤字のJA 秋田>を見て、巨額の金額に驚きました。一体どのような経緯で56億円もの赤字が発生したのか記事の内容を見ましたが、正確な事実ははっきりしません。

 

記事は冒頭で<全国の農協改革の「モデル」とみられてきたJA秋田おばこ(本店・秋田県大仙市)の失敗が波紋を呼んでいる。国による米の生産調整(減反)が昨年で終わり、農協の経営能力がより重要になる中、力を入れてきた卸会社などへの直接販売で約56億円の累積赤字を抱えた。販売拡大を優先し、適正な会計処理が後回しにされていた。>

 

巨額の赤字の経緯について記事はまず<巨額の累積赤字は、JA全農あきたを通さず、卸会社などに米を直接売る「直接販売」という取引で生じた。生産農家に「概算金」と呼ぶ仮払金を支払って米を預かり、その年のすべての米を売り切った後で精算する。販売代金の総額が仮払金や経費の総額を上回れば、おばこが農家に追加で支払う。逆に下回れば、農家から返してもらう。JAグループの米販売で広く採用されている仕組みだ。複数年にわたる収支をひとまとめにして精算し、JA本体の会計とは別に「共同計算会計」と呼ばれている。>と「共同計算会計」という特別方式をあげています。でもこれで累積赤字が生じる理由にはなりませんね。

 

その説明として記事は

< 2004年に始まったおばこの直接販売は年々拡大。当初は取扱量の6%だったが、ピークの12年には86%に。直接販売により産地のブランド力で高く売れれば、農家の収入を増やせるが、販売が振るわずに概算金が割高となり、農家から返金してもらうべき精算額が増えた。>と農家から返金してもらう金額が増えたとしていますが、それは返金してもらえばなんの問題もないわけですね。中途半端な解説に終わっています。

 

次に< さらに事務量が増えたのに電算システムが導入されず、職員数人の手作業では会計処理が追いつかなくなって、収支が把握できなくなった。その結果、正しく精算されず、累積赤字が膨らんだとみられる。>と今度は新たに導入した電算システムとか、人員不足で会計処理が間に合わなくなったと、なにか問題の本質を捉えていないように感じられます。

 

では経営組織はどうだったかですが、<理事会も、自ら定めたルールに沿って販売計画の審議や検証をしておらず、長年問題に気づかなかった。内部の調査委員会は「幹部職員や役員らのコンプライアンス(法令や社会規範の順守)違反があった」と指摘した。>つまりは形式的な理事会審議を繰り返し、決算資料の裏付けとなる原資料など具体的な収支をチェックしないできたということでしょうね。わずかな金額ならまだ許容範囲かもしれませんが、億円を超えるわけですから、100万円でも問題になるのに信じがたいですね。

 

記事の最後に指摘している<おばこは集めた米を期待した量や値段で売れず、精算を先送りした結果、赤字が膨らんだとみられる。>なぜ精算を先送りしたのか、それがなぜできたのかは、言及がないですね。

 

で、<米の取扱量が日本有数で、県内最大の組合員約3万人を抱える秋田おばこ。原喜孝組合長は20日、理事会後の記者会見でこう語った。おばこは20日、全容解明のため、弁護士と公認会計士計4人からなる第三者委員会を設置。今後、ずさんな販売管理の原因を調べ、役員の責任を追及する方針だ。>この第三者委員会の調査待ちとなりますね。

 

だいたい、JA秋田おばこ農業協同組合のホームページを見ても、一切、情報が開示されていません。3万人もの組合員を擁する組織がこれでいいのか、この状態がこういった「不適切」(ということは指摘されています)会計処理を長年継続してきた要因の一つではないかと思うのです。

 

この調査を命令した秋田県のホームページではさすがに<JA秋田おばこの不適正な会計処理について>と題して、概要が開示されています。

 

これによると、昨年9月には<9月上旬JAの内部調査で、宮城県の米穀卸売会社に対する未収金の存在と、他の取引においても多額の損失が生じている可能性のあることを確認>ということです。換言すれば、これらがそれまでの決算書類の中で隠されていたのではないかと推測できるのです。それは不適切な会計というより、不正な会計処理というべき可能性を疑っておかしくないと思うのです。

 

この後1225日に米穀販売調査委員会(以下、調査委員会)の設置され、その調査の結果、<宮城県の米穀卸売会社との取引における未収金は約17億5千万円で、うち5億円

は9月に回収済み>と上記内部監査で指摘され、ようやく一部返済を受けたようですが、残額約12億5千万円については、上記会社から疑義を指摘され、回収見込みが不透明とのこと。この未収金の有無、これまでの会計処理自体が疑問視されるでしょう。

 

で、<直接販売を開始した平成16年産米から28年産米に係る共同計算の累積赤字は、約

56億円。>で、その<主な内訳は、平成25年産~27年産が約12億円、23年産、24年産がそれぞれ約9億円、約22億円。>とそのほとんどがここ56年の間に持続して巨額の赤字を出しているわけですね。

 

その発生原因についてはまだ十分な調査ができていないという前提で、次の事由をあげています。

<過去に約1億円の未収金が発生したにもかかわらず、特定の者だけが情報を有し、内規に反する事務処理により取引を継続していたこと。

・集荷量の増大を優先する中で、米販売に関する帳簿等が未整理で、必要な電算システムも導入されず、不適正な会計処理を長年続けていたこと。

規約や職制規程等を軽視・無視した業務執行を許容していた幹部職員、役員らのコンプライアンス違反があったこと。

・理事会は機能不全の状態で、適正な内部統制が著しく欠如していたこと。>

 

こういったことは不適切を通り越して、不正に会計処理をしていた疑いが濃くなっているように思えるのです。

 

ところで、朝日記事では、農家に対して返金請求すべき金額が増えたことが巨額赤字の要因の一つになっていましたが、この問題については、どのように処理されてきたのか、調査結果では一切触れていないような県の配付資料となっています。一番肝心なところが伏せられている気がするのは私の偏見でしょうか。

 

また発覚の契機が、平成298月末に実施された<JA全国監査機構の期中監査において、米の直接販売事業で不適切な事務処理の指摘>ということですが、平成27年度までは毎年赤字を累積していて、平成28年度は赤字額の記載がないので、なかったのでしょうか、それなのによく気づいたな、それまでは逆になぜ気づかなかったのかも、気になります。

 

いずれにしても第三者委員会の調査報告を期待したいと思います。


特集ワイド 紀行作家・バードが称賛した日本 富国強兵と違う明治 貧しくとも「豊饒」 「相互扶助」根付いていた時代

2018-02-21 | 日本文化 観光 施設 ガイド

180221 バードの魅力 <紀行作家・バードが称賛した日本・・・「相互扶助」根付いていた時代>を読んで

 

今日も手の感触が芳しくないようです。とはいえ昨夕の毎日記事は、私が好きなイザベラ・バードを取りあげていましたので、少し無理して頑張ってみようかと思うのです。

 

その記事<特集ワイド 紀行作家・バードが称賛した日本 富国強兵と違う明治 貧しくとも「豊饒」 「相互扶助」根付いていた時代>は小林祥晃記者が紀行先を訪れるなどして熱い思いで書いたもののように思えます。

 

私もこれまでバードについては何度もこのブログあるいはfbで取りあげてきました。原書初版本の翻訳『完訳 日本奥地紀行』全4巻を含めなかなか全部を読み切れないでいますが、随所に彼女の鋭い洞察やユーモア、差別的取り扱いへの鋭い観察などがちりばめられていて、感心させられています。

 

さて記事ではバードの紀行文が改めて注目されているそうです。

 

<「日本奥地紀行」は、46歳の時、東北と北海道を約3カ月かけて馬や人力車で旅した記録だ。米沢盆地では、豊かな自然や農業の繁栄ぶりを絶賛した。>

 

<積雪は1メートル近いが、白壁の日本家屋の町並みが美しい。バードは道路脇に石造りの水路が設けられたこの集落を気に入り、著作でこう表現した。<低い山並みの麓(ふもと)に金山は夢に誘われるような感じで広がっていた>と高く評価しています。

 

他方で<バードは、日本の称賛ばかりではなく、山深い地方の生活や文化は「文明開化に程遠い」とリアルに描く。<(宿の部屋の)蚊帳は完全に蚤(のみ)の巣だった><男たちは何も着ていないに等しい><女たちも上半身は裸で、腰から下に身につけているもの[腰巻(こしまき)]も非常に汚く>といった具合だ。>

 

バードの凄さは、殿様が宿泊するような立派な本陣宿もあれば、蚤シラミが縦横に走る、食事もまともに出ない宿とも言えないようなところでも、それを受け入れ丁寧な観察を続けるところでしょうか。むろんアイヌの集落への道程やそこでの宿泊もとても英国貴婦人が行くようなところではなかったのです。

 

最近注目を浴びていることについて、<なぜ、注目されるのか。バードに関する論文がある文芸評論家、川村湊さんはまず、異文化に飛び込み、見たまま感じたままをつづった体験記としての面白さを挙げる。「女性芸人のイモトアヤコさんが未開の地を体当たりで旅するテレビ番組が人気ですが、バードの著作とつながりがあるように感じます。未知の土地での新鮮な驚きや発見こそ旅の原点。ネット上の観光情報に飽き足りない現代人は、そこに魅力を感じるのでは」>という解説を上げています。おそらく小林記者はそれも否定しないけど、違うと思っているのではないかと推測します。私もそうですから。

 

まず、バードはそもそも日本が平和で安全なところであることを自ら証明しようとして、女性一人(通訳の若い身勝手な男性一人が付きそう)でも、西欧人の誰もが訪れない東北の奥地へ、さらにアイヌの集落へ、訪れるのです。

 

そこはどこも西欧的な文化的・衛生的な生活環境がまったくないところでしたが、それにひるんだり、もうやめたなんて言わないで、頑張り抜くのです。話し相手も、文句を言う相手もいない、助けを求めることもできない中、新天地を目指すのです。通訳とは相性が悪く、まともに一緒に同行できる状況ではなかったと思われますが、他にそんな奥地に連れ添うような通訳は一人もいなかったのでしょう。

 

そのうえ、バードは重い持病をもちときには馬にも乗れないほどの苦痛に耐えながら、あるいは馬も登れないところでは歩いて進みながら、決して旅行をあきらめないのです。

 

バードの生きた19世紀中葉から後半は、ビクトリア時代でイギリス全盛期でしたでしょうが、ジェーン・オースティンが『高慢と偏見』で描いた18世紀末から19世紀初頭と女性の地位はあまり変わらない冷遇された時代であったと思います。それはバードより少し遅れて登場したあのピーターラビットで有名なビアトリクス・ポターも女性の自由な活動が許されない中で、自立の道を童話を書くことにより獲得したのと同じくらい大変だったことを忘れてはいけないと思うのです。

 

でもバードは断固として、一人の女性、一人の人間として、未開の土地を、ある種宣教師的な気持ちで臨んでいたのかもしれません。彼女の視線は客観的に冷静に対象を観察し、しかも背景事情をも考慮しながら、記述しており、その内容は極めて高い価値をもつと思うのです。

 

小林記者は<民俗学者で学習院大学教授の赤坂憲雄>の言葉で、バードの重要性を次のように書いています。

<バードも横浜で<印象的だったのは浮浪者が一人もおらず(中略)みな自分の仕事をもっていること>と書いている。>とか、バードは<子供の顔も、大人の顔も、すべての顔が穏やかで、満ち足りた感じがした!>と、人々が貧しくとも笑顔で生きていることにも感銘を受けた。赤坂さんは「当時の社会は、緩やかな相互扶助の仕組みを持つ、安心感のある社会だったのだと思います。乞食もいたのでしょうが、排除するのではなく、食べ物を分け与えるなど、見えないセーフティーネットに守られていた」と見る。>とか。

そして<「長い間、人々の間に根付いていた独自の相互扶助のシステム、それを壊してきたのがこの150年だったのではないでしょうか」>

 

政府が喧伝する<「明治150年」事業を行う内閣府は「明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要」>ということに対する異なる視点をバードが提供しているというのです。<バードが見た「日本の強み」は、日本人が生活の中で培った文化のように思える。>

 

得るものがあれば失うものもある。得たものだけに注目し、その原動力の輝きだけに焦点を当てるのでは、二の舞になってしまうでしょう。その失ったものをしっかりと認識し、今後の私たちのあり方にどう活かすか、が問われているのでしょう。

 

最近バードを読んでいませんので、あいまいな記憶で書きましたが、読むたびに引き込まれてしまいます。また、別の機会に違った視点で考えたいと思います。