たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

死と生の狭間 <麻央さんへ「勇気忘れない」 海老蔵さん「ママやります」>などを読んで

2017-06-24 | 人の生と死、生き方

170624 死と生の狭間 <麻央さんへ「勇気忘れない」 海老蔵さん「ママやります」>などを読んで

 

毎日朝刊は、沖縄慰霊の日を一面トップにあげつつ、小林麻央さんの死去をめぐる記事を大きく扱っていました。

 

いずれも重要ですが、個人的な意味合いで、後者を取り上げたいと思います。これまで海老蔵さんの奥さんということくらいしか知りませんでしたし、乳がんで闘病生活をされつつ、ブログで人生を日々明るく前向きに生きている姿を更新しているという情報は時折目にしていた程度でした。

 

ただ、TV報道や、毎日記事の<小林麻央さん死去麻央さんへ「勇気忘れない」 海老蔵さん「ママやります」 ブログに追悼、激励続々>や

最期に「愛してる」 海老蔵さん、麻央さんは「すごい人」

僕を変えた、すごい人 海老蔵さん、思いあふれ

はとても感動しました。

 

若い人の死は惜しまれるものですが、彼女の生き方、死への対処の仕方は、私にとってはたいへんな先達的存在です。死に向かうときの苦しみ、日常的に伴う激しい苦痛の連続、耐えがたいことばかりではないかと思うのですが、一部拝見したブログやビデオでしょうか、その苦しみやつらい状態を見せず、力強く生きる姿を最後まで示していたように思います。

 

私は彼女の年頃から死を考えてきましたし、いつ死にのぞんでもよいという考えをもってきたつもりですが、果たして死の宣告を受けたとき、あのような振る舞いが可能か、自信があるわけではありません。

 

海老蔵さんの舞台は、おそらく父親を見ていたとき、見たのかもしれませんがあまり印象に残っていません。その海老蔵さんが妻の死を語る姿勢もそのつらさの中になんともいえぬ夫婦愛を感じさせてくれ、言葉は適切ではないですが、すがすがしい別れの姿をみせていただいた思いです。麻央さんが最後まで彼を、子どもを、そして多くのがん患者などに励ましの言葉をかけ続けたからかもしれません。いい旅立ちという言葉が適切かわかりませんが、生死はいつも必ず起こりうることで、その旅立ちを美しくできれば、周囲の人にそういう思いを残せれば、悔いなしではないかと思うのです。

 

麻央さんの死亡とは直接関係ないですが、もう一つ、私が気になっているのが毎日朝刊で連載中の浅田次郎著『おもかげ』です。自分の両親も自分の出生も知らないまま児童養護施設を出て独力で有名大学、有名企業に進み、仕事に邁進し続けた後、退職祝いの宴会を終えて帰る途中で突然倒れ意識不明となった主人公が生死の狭間の中で、夢と幻のような、現在と過去を往復しながらも、わずかに意識が回復し、ベッドのそばで、婿や妻、ある看護師の言葉が聞こえてくるのです。それは死を目の前にした、意識下の妄想もあり、現実の会話もあるのですが、ある意味で死を生きる舞台を用意してくれているような気がします。浅田氏が今後どのように物語を展開させるのか、楽しみです。

 

一つは現実の悲しくつらい事実と、もう一つは小説の話を一緒に取り扱うのは不謹慎かもしれませんが、私にはいずれも重要な事柄でしたので、あえて取り上げました。

 

今日はこれでおしまいです。


大畑才蔵考その6 <木下晴一著『古代日本の河川灌漑』>の視点から見直してみる

2017-06-24 | 大畑才蔵

170624 大畑才蔵考その6 木下晴一著『古代日本の河川灌漑』>の視点から見直してみる

 

今日は土曜日、やはり少し気分にゆとりがあります。目覚めはいつものように夜明け前。早暁の明るさで読書して、FMクラシックを聴きながら朝食を済まして、花に水やりまではいつもと同じです。

 

それからわずかな時間ですが、ベランダから高野の山々を望みながら、デミタスで飲む味わいのある香りを楽しむのが私の優雅なひとときです。ウグイスのさえずりが麗しい音色に聞こえてしまうと言うのは少し大げさですが。

 

今日も花の苗を仕入れて、事務所の花をほぼ総入れ替えしました。少々疲れてきた花たちはわが家の庭で自然の雨風に打たれつつも、自分にあった土壌だと、再び元気を取り戻します。

 

さて、本日のテーマは最近、話題にしていなかった才蔵考の続きを少しやってみようかと思います。早朝一時間くらい読むのは平行して読んでいる20冊くらいのどれかで、あまり継続性がありません。<木下晴一著『古代日本の河川灌漑』>はなかなか手強い内容ですので、毎朝の寝床リーディングで相手できません。デミタスのコーヒーを啜りながら、リクライニングの椅子にすわって読んでいます。

 

本書は歴史学、地理学、考古学のこれまでの成果に加えて最近の研究結果を取り入れながら、大胆に河川灌漑を古代、といっても古墳時代初期くらいにまで遡れることを論証しようとしているかと思います。私自身、なかなか読み切れていないのでが、断片的な理解でとりあえず本書を基に今日の話題を展開していこうかと思っています。

 

それ自体も興味深いですが、私にとっては大河川灌漑がいつから始まったのか、その取り入れ口を含む取水堰の構造・形態などはどうだったのかに関心があります。とりわけ紀ノ川です。

 

というのは、大畑才蔵が天才的な農業土木の先駆者であることは私も異論がないのですが、その評価の中には疑問を差し挟みたくなるものもあります。たとえば治水の神様とか、紀州流の祖であるとか、あるいは利水について優れた才能を発揮したことは確かですが、それは灌漑技術において歴史的に見てどのように評価が公正なのかをもう少し明確にしてみたいと思っていました。

 

治水については、たとえばウィキペディアでは<才蔵は、後に紀州流[注釈 1]を開発し、既にすぐれた測量技術や土木工法を習得していた。>と評しつつ、利水工事については具体的に言及しながら、治水工事については一切具体的な言及がありません。

 

それは研究者の論文でもあったかと思います。いますぐに引用できないので、別の機会にしたいと思います。とりあえずウィキペディアの見解に近いものはほかのウェブ情報でもあります。紀州流という治水技法として関東流と対比して論じられることが一般です。で、<上方流れを源流としたもので、堤防の強化と直線的に海に洪水流を早く流し、曲流部の旧河床や氾濫原を新田開発する一石二鳥の工法であった。とくに強固な二段に固めた連続堤防の構築が重要な技術として用いられた河川技術(才蔵日記より)>と注釈がされています。

 

ウィキペディアでは、才蔵日記に「強固な二段に固めた連続堤防の構築」に触れた部分があったとされているような書き方となっていますが、私がこれまで読んだ中では見当たりませんでした。というか、才蔵の残した古文書の中には堤防視察などを記載した部分もありますが、河川の治水対策として連続堤防といった構造物を築造するといったことに言及するものは見当たらないのではないかと思っています。才蔵は、ため池の堤防については相当繰り返し詳細に言及していますが、河川堤防については疑問です。

 

上司であり、技術的には弟子ではないかとも言われる井澤弥惣兵衛為永が、吉宗が徳川将軍に就任するにあたり、江戸に呼び寄せられ、見沼用水など多くの灌漑事業だけでなく治水事業をも行ったことから、それを紀州流というのかもしれませんが、そこで指摘されている航法を使った施工例を私はまだ知りません。

 

では利水についてですが、紀ノ川という大河川での灌漑事業を行ったことから、私はそれまでの小河川灌漑や、ため池灌漑の歴史を塗り替えたのではないかと、一時はかんがえていましたが、それも戦国期や江戸時代初期の段階で、相当な規模の河川での灌漑事業があったようですので(これがまだ確認できていません)、18世紀初頭に行った才蔵の灌漑事業が革新的なもので白眉だとまでいえないように思うようになっていました。

 

そんなとき、見出しの文献が紀ノ川における古代の灌漑実例を示してくれただけでなく、その後の河川灌漑における取水堰・取水構造を明らかにしてくれたのです。

 

現在、紀ノ川には多くの取水堰が作られています。そのうち才蔵が開発に関与したのが上流から小田井堰、藤崎井堰、六箇井堰ですが、現在六箇井堰はいくつかの井堰と統合して岩出統合井堰となっています。でその岩出統合井堰のある船戸という紀ノ川南岸には、宮井用水というのが南岸の平坦な平野部分を流れて、和歌山市内まで通っています。

 

その宮井用水が、木下氏によれば、古墳時代に遡ることができるというのです。この宮井用水の起源が条里地割施工時に遡ることは間違いないとされています。そしてこの用水が潤す水田地帯の南にある山麓には和歌山県最大の古墳群、岩橋千塚古墳群があり、それぞれは小規模な集合ですが類例を見ないほどです。木下氏はその古墳群の造営基盤となったと見ているのです。

 

たしかに流路延長が28km、灌漑面積は千町歩を超える一大用水です。それだけの大灌漑用水路であり、そのような大規模工事を成し遂げるだけの権力統合があった可能性は頷けます。そして紀伊国の一宮であり、国家的崇敬の対象であった日前宮および国懸社は、宮井用水の音浦樋がその東600mにあり、両社が灌漑用水を地域農耕神として存在していたとも指摘されています。

 

要するに、紀ノ川という大河川灌漑用水としては、すでに古墳時代に開発されていた可能性が十分にうかがえるのです。

 

では才蔵の大河川灌漑事業はさほどのものではなかったのでしょうか。そうではありません。木下氏も指摘していますが、宮井用水が作られた地域は、平坦で紀ノ川に流入する河川もなく、灌漑工事自体は割合単純なものだったのではないでしょうか。取水堰がどうであったかは明らかではありませんが、上流部に比べ下流の場合、その流速もさほど障害にならなかったのではないでしょうか。

 

他方で、才蔵が行った灌漑事業、とくに小田井は当時の技術水準からすると、とても困難な河岸段丘が幾層にも重なり、紀ノ川に流入する多くの河川を横切ることや、小田井から実際に灌漑を必要とする粉川周辺まできわめて長い用水路の開設を必要とするなど、問題山積でしたでしょう。そのため才蔵がさまざまな工夫をしてそれを克服したのです。それは以前に簡単に触れたところです。

 

もう少し木下氏の見解を紹介したい気持ちがありますが、今日はこの辺で終わりとします。


花の遺伝子 <組み換えペチュニア、廃棄を>を読んで

2017-06-23 | 自然生態系との関わり方

170623 花の遺伝子 <組み換えペチュニア、廃棄を>を読んで

 

私の毎日の小さな楽しみの一つが花の成長を見守ることです。と同時にその下の土壌生態系がいつか見事に形成されるといいなと思うのです。前の住所では、生ゴミコンポストを継続してやっていたので、当初はゴミや廃材が投棄されていて、とても生き物が生息できる状態ではない印象でした。それが数年もたたないうちに、土はふかふかになり、ちょっと掘れば大きなミミズがうようよいるし、なんでも大きく育つようになりました。花もたくさん植えましたが、どんどん大きくなるのです。まだ、実験段階でしたが、土は人間が多少でも心がければ、変わっていくんだなと痛感しました。

 

とはいえ、植物のことも土壌のこともほとんどわかっていません。いまは分譲地のやせた土に買ってきた花の苗をどんどん植えて、当然すぐに枯れるのもあれば、やせた土壌でもしっかり育つのもあり、花にもいろいろあるもんだとも感じてきました。その中で、ペチュニアは種類が多く、また花の色も多種多様で、割合多く植えていました。この貧相な土壌というか、土の塊のようなところでも、結構株分けして大きく育つので、お気に入りの一つです。

 

それが今日の新聞<くらしナビ・ライフスタイル組み換えペチュニア、廃棄を>によると、大変な事です。

 

<家庭の園芸栽培でおなじみのペチュニアに未承認の遺伝子組み換え品種が流通していることが分かった。直接的な害はないが、生物多様性の確保のため遺伝子組み換え生物の使用を規制したカルタヘナ法に違反し、農水省は回収か廃棄を呼びかけている。>

 

遺伝子組換え農作物の問題はよく取り上げられ、トウモロコシなど話題になるので、食品関係は注意していましたが、花までとは思っていませんでした。でも当然の事態でしょうね。

 

私が購入する花の苗は、彩りが豊かで、土壌が育っていない貧相な土でも生き抜く力強い種が多いのですが、これらはほとんど外国から輸入されたものではないかと思うのです。彩りがきれいだとか、形がきれいだとか、そんな感覚で次々と買ってきてはその埋め立て地のような土で育ててきました。日本の野草なんて育ちそうもありません。田んぼのそばに生き生きとしている日本の野草なんて生きていけそうもないんです。それが見事に花を咲かせるのですから、花栽培の農家のたゆまぬ努力と、外来種の交配がうまくいっているからでしょうか。

 

でもそのような花栽培の競争の中で、遺伝子組み換え種が組み込まれるのは当然の流れではないかと思うのです。

 

意識をしないほうが、生物多様性に対する意識の鈍磨というか、感覚の鈍さのあらわれなんでしょうね。

 

販売したタキイ種苗は<組み換え技術を使った品種改良を行っていないが、自社販売のペチュニアを調べたところ、他に3品種が組み換えだった。「海外で入手したペチュニアと国内の品種を交配させて、さまざまな色合いのものを育成してきたが、まさか親品種が組み換えとは」と驚いた様子。

 4品種は昨年5月から今年4月までに約60万粒の種子が販売され、苗も1万株以上が販売された。タキイ種苗はホームページに組み換えペチュニアの写真と品種名を載せ、回収を呼びかけている。>とのこと。

 

組み換え種への対応は<組み換えかどうかは4社が販売したペチュニアの品種名を販売時の名札で確認すれば分かる。農水省農産安全管理課は「プランターなどに植えている人は、新たに種子を取ることはせず、抜き取って生ごみとして処分してほしい」と呼びかけている。>とのことですので、名札が残っているのは確認しないといけないなと思っています。が、生き物を殺すというのかわいそうで、枯れた段階で抜き取ることで勘弁してもらおうかと今のところは考えています。

 

未承認の遺伝子組換えペチュニアの取扱いについて(第2報)>に具体的な品種が特定されているので、明日でもみてみようかと思います。

 

今日はこれで30分過ぎました。もう一つの記事は、少々力尽き、今日はこれでおしまいとします。


健康寿命 <健康寿命、どう延ばす 食事と運動で「フレイル」対策>を読みながら

2017-06-23 | 人の生と死、生き方

170623 健康寿命 <健康寿命、どう延ばす 食事と運動で「フレイル」対策>を読みながら

 

今はすでに6時半になりました。今日は珍しくわが事務所としては千客万来(大げさですが)で、5組の打合せが続き、いまようやく最後が終わったところです。

 

そんなわけで、今朝がどうだったかといった記憶もあいまいとなっています。普段のんびりした仕事をやっていると、5組も打合せが続くと、むろん全部まったく異なる事案ですので、頭が回らなくなってきます。

 

若いエネルギッシュなときだと、この程度はなんでもないでしょうが、一時は農作業に埋没していた時期もあったこともあり、高齢者の一員でもあるので、とてもこれからもう少し仕事をという気にはなれません。

 

へとへとといった感覚でしょうか。それでも千日ブログの自分で決めた事を続けてみようかと、タイピングしています。

 

朝、新聞を読んでいるとき、いくつか気になった記事があります。その一つが見出しのもの。<くみ換えペチュニア、廃棄を>と、<厚労省、全国に第三者機関設置へ 子どもの権利、侵害監視>も書いてみようかと思っていましたが、それだけの気力が残っているか、わかりませんので、とりあえず、見出しのものを書き始めたいと思います。

 

論点健康寿命、どう延ばす>では、最初に、沖縄県の事例で、<伝統食回帰でよみがえれ沖縄 大屋祐輔・琉球大医学研究科教授>と、長野県の事例で、<長野、地域ぐるみ減塩運動 山本英紀・長野県健康福祉部長>の話が紹介されています。前者は「長寿の島」と言われていた沖縄県が<厚生労働省の2000年の平均寿命調査>では男女ともその地位を落とし、その原因がアメリカと日本の食の影響があるとして、沖縄の伝統色を取り戻そうという動きを取り上げています。後者は<2010年都道府県別生命表で、平均寿命が男女とも全都道府県で1位(男性80・88歳、女性87・18歳)の「長寿県」となった>要因として、地域的な減塩運動の取り組みとして取り上げています。

 

で私が着目したのは最後の<食事と運動で「フレイル」対策 荒井秀典・国立長寿医療研究センター副院長>の話です。

 

だいたい「フレイル」ってなんでしょうね。荒井氏いわく<フレイルとは、加齢に伴って筋力や活動量、認知機能が低下した状態だ。>ですって。<「健康」と「要介護」の間に当たり、そのままでは要介護になる危険性が高い一方、適切なケアで健康な状態に戻ることも可能とされる。要介護になるか、健康に戻るかの重要な分岐点だ。>

 

ちょっと危うい健康状態でしょうか。私もそんなところかと思いながら、まだ大丈夫かとも思い直し、読んでしまいました。

 

なぜフレイルを取り上げるかというと、荒井氏いわく次のような事のようです。

 

<日本人の健康寿命(自立して日常生活を送れる期間)は平均寿命よりも男性は約9年、女性は約13年も短い。残りの期間は要介護状態ということだ。最近の研究で、「フレイル」という状態と上手に付き合うことが健康寿命の延長に重要であることが分かってきた。>

 

健康寿命が長いほどいいけど、人間そう簡単にいきませんね。といって突然、要介護や認知症になるわけではないので、その前駆症状というか、暫定的なステージがあるのでしょう。それがフレイルと一応思っています。

 

年齢を重ねていけば、次第にフレイル、そして要介護ないし認知症になるわけですが、フレイルの段階でうまく対処すれば、健康寿命に戻れなくとも、次のステージに進むのが遅くなるというか、健康に近い状態で維持できることなんでしょう。

 

その方法として、荒井氏は< フレイルの改善では一人一人の努力がカギを握る。重要なのは食事と運動だ。高齢になると食が細くなり、70代のエネルギー摂取量は60代より1割程度も減る。必要なのが食事に占めるたんぱく質の分量を増やすことだ。普段の食事に魚、肉、乳製品などたんぱく質を含む食品を1品増やす「ちょい足し」が取り組みやすい。60代まで「太るな」と言われたかもしれないが、70代になったら「体重を減らさないこと」が目標になる。>というのですね。

 

そして運動については<体を動かしておなかをすかせ、たんぱく質の「ちょい足し」に取り組んでほしい。>というのです。

 

いまのところどっちも心がけはあるのですが、運動はいまいちかもしれません。ウォーキングは山道を歩くのは好きですが、このブログをはじめやることがそれなりにあって、なかなか時間がとれない気分です。千日ブログを達成したら、山道を歩こうかと思いますが、それまではオルタナティブを考えてみたいと思います。

 

フレイルの話は、あまりぴんときていませんが、ここで30分なので、別の話題を別立てでやりたいと思います。

 


ある株主総会 <東芝 厳しい再成長 半導体、原発 大幅縮小>を読みながら

2017-06-22 | 企業活動 コンプライアンス 公正取引

170622 ある株主総会 <東芝 厳しい再成長 半導体、原発 大幅縮小>を読みながら

 

今日は珍しくある上場企業の株主総会に出席しました。株主になって25年くらいになりますが、初めて出席しました。昔は株主総会の運営指導の一端を担っていたので、いろいろな株主総会に株を買って参考に出席していたことがあります。当時は30分、いやもっと短い時間で終わらせるのが総務部の腕の見せ所、それを補佐する弁護士の腕と思われていた節があった時代です。基本的に総会屋対策が一年かけて準備して対応してきたように思います。

 

で、今日一度もいったことがない企業の株主総会に出席したのは、この間会社制度は大きく変わり、私自身はほとんどフォローできていませんが、総会屋といった問題もいつの間にか議論のまな板にのらなくなったので、だいぶ欧米型の総会運営が行われているのではないかと、半分期待して会場に入りました。

 

昔は議長を含め役員席のある演台の前は、何列かは総務部を中心に固めていたように思いますが、普通の株主が座っている感じです。というのは総務部関係だと、スーツ姿でびっしとしているのですが、普段着がほとんどでした。その点はいい感じかなと思ってしまいました。

 

ただ、議事運営は、総会の招集通知に記載された議事内容を、定款で定まっている議長の社長がたんたんと読み上げるもので、その点はあまり変わっていない印象です。私はソニーの株主総会をTVなんかで垣間見たことがありますが、さすがに当時の社長は自分で企業を引っ張っていくという姿勢で、中身のある説明をしていたように思います。

 

今日私が参加した企業は、私が買った株価から10分の1,いや20分の1くらいには値下がりしていると思いますが、あまり株価に関心がないので、それはどうでもいいことで、事業運営に関心があったのですが、それもあまりぱっとしない表面的な説明だけでした。私が以前株式を買った多くは環境関連事業を熱心にやっているところでした。この会社も世界一のシェアをもつ事業がありながら、どうもぱっとしない感じを受けます。それは環境関係の事業を展開している企業には少なくない印象を受けるのです。廃棄物処理や下水道処理など、どちらかというとインフラでもマイナーなイメージが世間的な評価としてあるのでしょうかね。それは企業の広報スタイル、また企業トップの姿勢に問題があるのかなと思っています。

 

で、株主の質問に入ったら、しばらく誰も手を上げず、最初に手を上げた人は自分のパワハラ被害などを蕩々としゃべってコンプライアンスとの関連で質問するのですが、議案と関連性なしと最終的には処置したのですが、総会議事運営のあり方としても議長として手早く対応してもらいたい気がしました。最初の質問から制限するとまずいといった意識があったのかもしれませんが。その後は株価を心配した質問など、あまり議案の内容に食い込むようなものもなく、株主の力量にも問題があるかなと思ってしまいます。

 

さて、序論が長くなり、すでにブログ書きが1時間半となってしまいましたので、簡単に切り上げます。

 

上記の企業も選択と集中で、本来の事業を切り捨て、新たな環境事業を中心に資本の集中と分離を展開していますが、いまはやりのIoTやビッグデータの活用をうたってはいるものの、独自の差別化・企業戦略といったものを感じにくい印象です。

 

そして毎日朝刊記事<東芝厳しい再成長 半導体、原発 大幅縮小>ですね。東芝は元々の白物家電から撤退し、将来の有望事業として、原子力事業と半導体事業に投資を集中してきたと思いますが、前者はすでに撤退し、後者も売却を進めています。赤字体質を改善するためには、半導体事業を売却しないといけないという財務状態の中、ほぼ出資額の半分を保有しているWDを無視して売却を進める手法は、企業のあり方として、また日本企業の礼儀として、疑問を感じます。

 

WDの訴訟提起は当然ではないかと思います。しかも<クローズアップ2017半導体売却、優先交渉決定 東芝窮余の日米韓連合 国が関与、選択肢狭まり>では、東芝は経営者側の意思で売却先を決定できず、首相官邸の意向で売却先を決定してしまったとのこと。このような経営判断は、半導体の技術輸出によって国益が害されるおそれを心配するのは政府としてわからなくもないのですが、漠然としているようにも思えるのです。WHを買収することはアメリカの原子力事業という国益を脅かすおそれはなかったのでしょうか。むろん日米と、いま問題になっている日中とは異なりますが、相手は台湾企業です。シャープが持つ技術とは異なるというかもしれませんが、それもどうかなと思うのです。

 

とくに鴻海が買収したシャープは、見事にV字回復の様相を示し、黒字を達成しています。わずかの間にそのような事業改変が可能なのか、それだけシャープの事業展開が急激な経営環境の変化に追いつかず、赤字事業を温存し、収益性のある事業に集中できていなかったのかと思ってしまいます。むろん一期だけの黒字化では簡単に評価できませんが、東芝の現経営陣では経営の立て直しは容易ではないように感じるのは普通の受け止め方ではないでしょうか。

 

東芝に立ち直ってもらいたいですが、決算報告もできない体質も含め、とても現経営陣に任せられない状況にあるように思えますが、いかがでしょうか。

 

いろいろ書きましたが、東芝という企業自体、ほとんど統括できないできたWHという海外の原子力事業に進出する暴挙に出て、今度は共同事業を行っていたWDの意思を無視して半導体事業を売却する、このような経営判断の合理性はどのように説明されているのでしょうか。

 

東芝の株主総会は628日と、総会集中日に行われますが、株主の多くの疑問・質問に、適当な回答では逃れられないように思うのです。

 

中途半端な議論になりましたがこの辺で終わりとします。