180223 AIと人の未来 <『第4次産業革命の衝撃 日本企業の勝機と戦略』>を見て
BSフジのプライムニュースは私が好きな番組の一つですが、別の番組にも興味を持ってチャンネルを変えたり、なにかをやりながら見ていたりして、あまり記憶に残らないのがちょうどいいのかもしれません。そういうと関係者に叱られそうですが、中身は充実したものであることは確かで、反町キャスターの突っ込みは、節度もだいたいにおいてありますし、バランスもなかなかで、保守革新といった一義的切り口では測れない天秤棒をもっている感じを受けています。
ともかく昨夜は割合まじめに見ていました。ゲストスピーカーの話しがそれなりに面白いと、引き込まれます。昨夜のテーマは『第4次産業革命の衝撃 日本企業の勝機と戦略』というわかったようなわからないような「第四次」であり「産業革命」でもありますが、ゲストはいずれもその「革命」に前向きな方ばかりとはいえ、微妙にというか、かなり異なる視点で意見を述べており、それは対立軸がない点は少し寂しいですが、それはそれなりに「産業革命」が示す具体を少しでも理解する助けにはなったかなと思うのです。
さてそのゲストは以下の4名です。
<平井卓也 自由民主党IT戦略特命委員長、
村上憲郎 元グーグル米国法人副社長兼日本法人社長、
夏野剛 慶應義塾大学政策・メディア研究科特別招聘教授、
小林亮 浜野製作所営業企画部副部長>
平井氏以外は、私にとって初見の方ばかりでした。基本的にはAI、IoT、ITの未来について、現在の状況や近未来として今後30年位をどうみるかといった長期スパンの話しでした。
いろいろな議論があったのですが、私にとって興味深かった一つは、AIが代替できる仕事は何か、あるいは、逆にできない仕事は何かといいうことについてです。
村上氏は、ITの超先端企業グーグルのトップに近い位置に長らくいたことから、AIの活用がどのくらい進展しているか相当の知見を持っていると思われます。とはいえ彼が割と力説したのはAIの超小型化と低廉化ということで、一個600円のAI基盤を使って若いスタッフがこれを使って、小学生などにさまざまな道具との接続をさせてみる教育実習をさせ、そのことで義務教育課程でプログラミングに親しむと同時に、スタッフが今度は企業に戻って新たな企画を実際にプログラミングできるようになるという話しでした。
村上氏がグーグルを日本に導入するとき、法規制というより、大企業から小企業まで、どこも理解できず、二の足を踏む状態が長く続き、IT革命(これを第三次産業革命というようです)にアメリカのようにはスピード感を持って参入できず、立ち後れたというのです。その主要な要因の一つが経営者層に新たな知見・技術について理解しようとする意識や理解できる能力を欠いていたともいうのです。それは日本の企業経営が年功序列で自社の中で育った役員、そしてトップが選ばれてきたことに大きな要因があるともいうのです。
最近、不祥事などがあり、社外取締役を導入(最先端だった東芝も企業存亡の危機に陥ったこともあり)、複数ないし相当数の導入が求められていますが、現実は一歩前進二歩後退とまでいかなくても、それに近い状態かもしれません。
現在のAIやIoTの進行は、才能さえあれば、一挙に巨大な富を生み出す道を開くことができ、それは年齢に関係なく、また横並び式でない中で、生まれるとも言うのです。大学生はもちろん、高校生でも、長年にわたって企業慣行に従属するより、自分の才覚で起業するという考えが増えているとも言われています。この点は夏野氏が身近に大学生に接している印象からその割合が極めて大きいとも指摘していました。
ちょっと話しの核心に近づくのに手間取ってしまいました。要は、AIが代替できない仕事は何かということについて、夏野氏だったと思いますが、何もない、すべてが近い将来代替可能になるといったことでした。例外は創造的な、想像的なものだけというのです。
夏野氏だったと思いますが、まずあるデータで代替可能な職業が上げられていて、銀行窓口とか、タクシー運転手とか、機械的というか一通りのマニュアルがありそのとおりやればできる業務はすべて代替されるというのです。そういう仕事は、表現は失念しましたが、つまらないといった侮蔑的な言葉でAIに取って代わられると言うのです。
たしかにすでに都市銀行のほとんどがすでに窓口業務を大幅に減少し、銀行業務としての預金の払い戻し・預け入れを含めこれまで当たり前としてきた業務を減少、あるいはなくす方向に動いているように見えます。シェアドライブのわが国での普及とか、あるいは自動運転のEVの一般化が進めば、タクシーも必要なくなるかもしれません。
でも少なくともタクシー運転手が活躍するドラマや映画のように、個性的な運転手は残るでしょう。それは夏野氏も村上氏も認めていました。代替可能なような仕事でも、個性を発揮して独自性を発揮し人気を得れば、AIは叶わないでしょう。
それでいつも私が問題にする士業、たとえば弁護士とか、公認会計士、あるいは医師、看護師といった専門性・裁量性・創造性・情緒性(公認会計士は除外でしょうね)などが高い職業はどうかは、議論されたか、ここは聞き逃していますが、結論として残るのはないということであったかと思います。では人間はなにをするか、ということになり、「遊び」ということだったと記憶しています。
これが私の今日のテーマです。人間が仕事をしなくてもよくなったら、どうするかそれは遊びに向かうというようです。ま、「遊び」といってもいろいろあり、十人十色、百花繚乱でしょうか。私の場合、このブログを書くことは一種の「遊び」ともいえます。認知症防止対策ともいえますが、エンディングノートでもあり、評価を一義的にしないことに意味があると思っています。
さらに仕事、働くということは、私が興味を持ってフォローしている江戸時代の百姓で土木技術者である「大畑才蔵」が心得にしていた、一生懸命はたらくことで、安楽の境地に至ることではないかと思っているのです。
この点は、現代の百姓、宇野豊氏も似たような気持ちで農を日々行っているのではないでしょうか。草取りは、刈り払い機などの機械によって省力化したり、あるいは除草剤で代替できるかもしれません。空中散布でもドローンとAIを活用すれば、草の状態に応じて、空中監視しながら、適宜、必要に応じて散布するようなことも可能な時代はもうすぐかもしれません。
でも手で一本、一本、時間をかけて土という土壌の中で、草と向かい合い、さまざまな虫や蜘蛛などと触れあいながら、草の強さにおののきながら、いろいろな花の色合いや臭いを感じながら、疲れで他になにも考えることができないほどになりながら、天地を心と体全体で感じることができることも、安楽なのではないかと時折思うのです。
それは時間制限もない、誰かに言われたりしていやいややるものでもない、そこでの収穫の利益を考えなくてもよい、そんな生き方もあるのではと思うのです。それは遊びでもあれば、はたらくことでもあるように思うのです。一生懸命やれば、たいていの場合はたが楽になる、「はたらく」つまりは、自分自身が「安楽」にもなるのではと思うのですが、これは独りよがりでしょうかね。
おそらくAIはものすごい勢いで進化し普及するでしょう。ある有体物の所有という概念も変わってくるでしょう。それは自動車はもちろんのこと、あらゆるものがシェアという新たなコモンズ的な利用を想定した仕組みが相当の範囲で普及していくのではないかと思います。
それでも天地と人との触れあいを究極の目的とする人を含め、少なくない人種?は抗って別の多様な道を歩むように思うのです。
なお、第四次産業革命に関心のある方は、見出しのホームページにアクセスすれば動画放映していますので、ご覧ください。私はチェックしていないで記憶で書いていますので、間違いもあると思います。
今日はこのへんでおしまい。また明日。