たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

AIと人の未来 <『第4次産業革命の衝撃 日本企業の勝機と戦略』>を見て

2018-02-23 | AI IT IoT

180223 AIと人の未来 <『第4次産業革命の衝撃 日本企業の勝機と戦略』>を見て

 

BSフジのプライムニュースは私が好きな番組の一つですが、別の番組にも興味を持ってチャンネルを変えたり、なにかをやりながら見ていたりして、あまり記憶に残らないのがちょうどいいのかもしれません。そういうと関係者に叱られそうですが、中身は充実したものであることは確かで、反町キャスターの突っ込みは、節度もだいたいにおいてありますし、バランスもなかなかで、保守革新といった一義的切り口では測れない天秤棒をもっている感じを受けています。

 

ともかく昨夜は割合まじめに見ていました。ゲストスピーカーの話しがそれなりに面白いと、引き込まれます。昨夜のテーマは『第4次産業革命の衝撃 日本企業の勝機と戦略』というわかったようなわからないような「第四次」であり「産業革命」でもありますが、ゲストはいずれもその「革命」に前向きな方ばかりとはいえ、微妙にというか、かなり異なる視点で意見を述べており、それは対立軸がない点は少し寂しいですが、それはそれなりに「産業革命」が示す具体を少しでも理解する助けにはなったかなと思うのです。

 

さてそのゲストは以下の4名です。

<平井卓也 自由民主党IT戦略特命委員長、

村上憲郎 元グーグル米国法人副社長兼日本法人社長、

夏野剛 慶應義塾大学政策・メディア研究科特別招聘教授、

小林亮 浜野製作所営業企画部副部長>

 

平井氏以外は、私にとって初見の方ばかりでした。基本的にはAIIoTITの未来について、現在の状況や近未来として今後30年位をどうみるかといった長期スパンの話しでした。

 

いろいろな議論があったのですが、私にとって興味深かった一つは、AIが代替できる仕事は何か、あるいは、逆にできない仕事は何かといいうことについてです。

 

村上氏は、ITの超先端企業グーグルのトップに近い位置に長らくいたことから、AIの活用がどのくらい進展しているか相当の知見を持っていると思われます。とはいえ彼が割と力説したのはAIの超小型化と低廉化ということで、一個600円のAI基盤を使って若いスタッフがこれを使って、小学生などにさまざまな道具との接続をさせてみる教育実習をさせ、そのことで義務教育課程でプログラミングに親しむと同時に、スタッフが今度は企業に戻って新たな企画を実際にプログラミングできるようになるという話しでした。

 

村上氏がグーグルを日本に導入するとき、法規制というより、大企業から小企業まで、どこも理解できず、二の足を踏む状態が長く続き、IT革命(これを第三次産業革命というようです)にアメリカのようにはスピード感を持って参入できず、立ち後れたというのです。その主要な要因の一つが経営者層に新たな知見・技術について理解しようとする意識や理解できる能力を欠いていたともいうのです。それは日本の企業経営が年功序列で自社の中で育った役員、そしてトップが選ばれてきたことに大きな要因があるともいうのです。

 

最近、不祥事などがあり、社外取締役を導入(最先端だった東芝も企業存亡の危機に陥ったこともあり)、複数ないし相当数の導入が求められていますが、現実は一歩前進二歩後退とまでいかなくても、それに近い状態かもしれません。

 

現在のAIIoTの進行は、才能さえあれば、一挙に巨大な富を生み出す道を開くことができ、それは年齢に関係なく、また横並び式でない中で、生まれるとも言うのです。大学生はもちろん、高校生でも、長年にわたって企業慣行に従属するより、自分の才覚で起業するという考えが増えているとも言われています。この点は夏野氏が身近に大学生に接している印象からその割合が極めて大きいとも指摘していました。

 

ちょっと話しの核心に近づくのに手間取ってしまいました。要は、AIが代替できない仕事は何かということについて、夏野氏だったと思いますが、何もない、すべてが近い将来代替可能になるといったことでした。例外は創造的な、想像的なものだけというのです。

 

夏野氏だったと思いますが、まずあるデータで代替可能な職業が上げられていて、銀行窓口とか、タクシー運転手とか、機械的というか一通りのマニュアルがありそのとおりやればできる業務はすべて代替されるというのです。そういう仕事は、表現は失念しましたが、つまらないといった侮蔑的な言葉でAIに取って代わられると言うのです。

 

たしかにすでに都市銀行のほとんどがすでに窓口業務を大幅に減少し、銀行業務としての預金の払い戻し・預け入れを含めこれまで当たり前としてきた業務を減少、あるいはなくす方向に動いているように見えます。シェアドライブのわが国での普及とか、あるいは自動運転のEVの一般化が進めば、タクシーも必要なくなるかもしれません。

 

でも少なくともタクシー運転手が活躍するドラマや映画のように、個性的な運転手は残るでしょう。それは夏野氏も村上氏も認めていました。代替可能なような仕事でも、個性を発揮して独自性を発揮し人気を得れば、AIは叶わないでしょう。

 

それでいつも私が問題にする士業、たとえば弁護士とか、公認会計士、あるいは医師、看護師といった専門性・裁量性・創造性・情緒性(公認会計士は除外でしょうね)などが高い職業はどうかは、議論されたか、ここは聞き逃していますが、結論として残るのはないということであったかと思います。では人間はなにをするか、ということになり、「遊び」ということだったと記憶しています。

 

これが私の今日のテーマです。人間が仕事をしなくてもよくなったら、どうするかそれは遊びに向かうというようです。ま、「遊び」といってもいろいろあり、十人十色、百花繚乱でしょうか。私の場合、このブログを書くことは一種の「遊び」ともいえます。認知症防止対策ともいえますが、エンディングノートでもあり、評価を一義的にしないことに意味があると思っています。

 

さらに仕事、働くということは、私が興味を持ってフォローしている江戸時代の百姓で土木技術者である「大畑才蔵」が心得にしていた、一生懸命はたらくことで、安楽の境地に至ることではないかと思っているのです。

 

この点は、現代の百姓、宇野豊氏も似たような気持ちで農を日々行っているのではないでしょうか。草取りは、刈り払い機などの機械によって省力化したり、あるいは除草剤で代替できるかもしれません。空中散布でもドローンとAIを活用すれば、草の状態に応じて、空中監視しながら、適宜、必要に応じて散布するようなことも可能な時代はもうすぐかもしれません。

 

でも手で一本、一本、時間をかけて土という土壌の中で、草と向かい合い、さまざまな虫や蜘蛛などと触れあいながら、草の強さにおののきながら、いろいろな花の色合いや臭いを感じながら、疲れで他になにも考えることができないほどになりながら、天地を心と体全体で感じることができることも、安楽なのではないかと時折思うのです。

 

それは時間制限もない、誰かに言われたりしていやいややるものでもない、そこでの収穫の利益を考えなくてもよい、そんな生き方もあるのではと思うのです。それは遊びでもあれば、はたらくことでもあるように思うのです。一生懸命やれば、たいていの場合はたが楽になる、「はたらく」つまりは、自分自身が「安楽」にもなるのではと思うのですが、これは独りよがりでしょうかね。

 

おそらくAIはものすごい勢いで進化し普及するでしょう。ある有体物の所有という概念も変わってくるでしょう。それは自動車はもちろんのこと、あらゆるものがシェアという新たなコモンズ的な利用を想定した仕組みが相当の範囲で普及していくのではないかと思います。

 

それでも天地と人との触れあいを究極の目的とする人を含め、少なくない人種?は抗って別の多様な道を歩むように思うのです。

 

なお、第四次産業革命に関心のある方は、見出しのホームページにアクセスすれば動画放映していますので、ご覧ください。私はチェックしていないで記憶で書いていますので、間違いもあると思います。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。


仮想通貨の課題 <狙われる仮想通貨交換所>と<マイニングの消費電力はどのくらいか>を読んで

2018-02-22 | 金融経済と合理性・倫理性

180222 仮想通貨の課題 <狙われる仮想通貨交換所>と<マイニングの消費電力はどのくらいか>を読んで

 

昨日は久しぶりに3つのブログを書いたので、少々疲れたようです。とはいえ、手の痺れがさほど強くなっていませんので、調子は上向き気味でしょうか。ただ今日は体が重く、本来の仕事の作業がいまいち進まないまま、夕方になってしまいました。残り30分あまりでブログを書き上げるのに適当なテーマが見つからず、つい見出しのタイトルの記事でお茶を濁すことにしました。

 

実のところ旧優生保護法の問題、新型出生前診断、性的虐待など、取りあげるべき問題が結構あったのですが、体と頭が重いので、今回はパスしました。

 

で、今朝の毎日記事<科学の森ブロックチェーンで相互監視 狙われる仮想通貨交換所 対策課題>は、580億円相当の仮想通貨盗難事件の後も人気が衰えない状況を踏まえて、その仕組みと課題をわかりやすく整理したものです。

 

これだけ問題が起こっている仮想通貨ですが、驚異的な勢いで取引が拡大し、すでに<仮想通貨は世界で約2000種類が確認され、流通総額は20兆円を超えるとされる。>

 

仮想通貨の仕組みと必須のツール「グラボ」

私も最近は仮想通貨のコインの種類がどんどん増えていることやその価格が大きく変動していることくらいはわかるようになりましたが、仕組みがなかなかぴんときていません。

 

この記事では仮想通貨が多くの人(若者が多いようですが)を惹きつける理由に2つあるというのです。一つは通常の金取引みたいに、仮想通貨を現金で買って値上がりを待つというのです。これはわかりやすいですが、なぜ高騰するかはこれだけではわかりませんね。もう一つはマイニングという方法です。

 

それは<仮想通貨を支える仕組みに参加する「マイナー」(採掘者)となり、新規発行される仮想通貨を報酬として受け取る「マイニング」(採掘)という方法もある。>それには上記のグラボが役立つというのです。

 

それは仮想通貨の仕組みが関係するわけです。<仮想通貨は企業や個人など複数のコンピューターが参加する「P2P(peer-to-peer)ネットワーク」で取引履歴の台帳が分散管理されている。peerは「立場が対等の人」という意味。参加者は全ての台帳を共有し、お互いに記録を監視し合っているため改ざんは困難とされる。各自のコンピューターで管理しているため管理用サーバーも不要で、低コストで運用できる利点もある。>

 

この相互監視システムが次のような説明でなされているようですが、これがよくわからないのです。

<こうしたネットワーク上の取引履歴を、チェーンのようにつなげて管理する仕組みが「ブロックチェーン」だ。仮想通貨の新しい取引が行われると、それを記録した台帳が「ブロック」の塊のように過去の台帳につなげられる。作業はコンピューターによる大量の暗号解読が必要で、処理が一番早いマイナーには手数料とともに、報酬として仮想通貨が新規発行される。>

 

以前のブログで紹介した外国人記者がこの問題を取りあげた番組では、一人だけ実際に経験してその仕組みを学んでようですが、やはり実体験しないとこの説明だけではぴんときません。

 

なぜ新しい取引が行われた場合、大量の暗号解読が必要となり、そのために処理が一番早いマイナーに手数料や報酬がはいるのか、メンバー全員に監視されていることの間に間隙があるように思えるのです。

 

ともかくこの早い処理のためにはグラボが必要のようです。それでこのグラボが人気沸騰しているようです。

<「金もうけの絶好のチャンス。自分も仮想通貨のブームに乗りたい」。東京・秋葉原のパソコン専門店で、客の日本人男性が取材にこう語った。男性が物色していたのは、グラフィックデザインの映像処理などで使われるパソコン部品「グラフィックボード」(グラボ)だ。データの高速処理が可能で、安いものなら1万円以下で購入できる。>

 

ま、鈴木理之記者も実際に購入して仮想通貨取引を体験していないのかもしれません。あるいはコンピューター処理の内容とかは文字で説明することが容易でないのかもしれませんが。

 

ともかく次は報酬がどのくらいかという肝心の話になります。

<どの程度の報酬があるのか。ビットコイン(BTC)の場合、現在の報酬は1回当たり12・5BTC。1BTC=約120万円(21日夕現在)とすると、約1500万円で、まさに現代の錬金術だ。グラボはこうした暗号解読処理に活用されており、仮想通貨を「金」に例えるなら、金脈を掘り当てるための「スコップ」に相当する。>

 

マイニングという表現自体がほんとうに実体を表しているのか気になるますが、現代のマイニング自体は科学的な知見や技術・機械などを駆使して、データに依拠しながらおこなうのでしょうが、この仮想通貨もPCに加えてグラボなる操作部品で高度処理をしながら新しい取引を見つけ出すのですから、まったく異質とはいえないかもしれませんが、共通性はないように思えます。

 

ともかくびっくりするほどの巨額の報酬を得られるのですから、これはゴールドラッシュに匹敵する話しで、アラスカや西海岸を目指した開拓者たちの熱情がこの仮想通貨の世界に出現するのもわからなくもないです。

 

ブロックチェーン方式では、つなぎ目が改ざんされにくくしているため、不正が起こりにくいとされていますが、この仕組みも、つなぎ目の意味もよくわからないですが、そのまま引用します。

<ブロックのつなぎ目は「ハッシュ値」と呼ばれる数値に変換され、ブロックが一部でも改ざんされれば過去の取引履歴と整合性がとれなくなるために改ざんが発覚する仕組みだ。日本仮想通貨事業者協会の担当者は「高度な暗号技術が使われ、不正は極めて困難」と説明する。改ざんで得る利益よりも、改ざんの手間やコストが大きく、不正が起こりにくいというわけだ。>

 

で、鈴木記者は、この取引の課題として、仮想通貨交換所の「秘密の鍵」というパスワードのセキュリティを問題にしています。

<一般の人が現金と仮想通貨をやりとりする際に利用する「交換所」はハッカーの攻撃対象になりやすく、コインチェックでも外部からの不正アクセスで仮想通貨が流出した。コインチェックがネット接続した状態で交換所の預金を管理していたことや、取引に必要な「秘密鍵」というパスワードの管理がずさんだったことが原因とされる。>

 

それにはよく言われるネットを遮断する障壁を設けることが指摘されています。

<情報セキュリティー大手「トレンドマイクロ」の高橋昌也シニアスペシャリストは「仮想通貨の価値が高騰した昨夏以降、金銭目的の不正アクセスが増加傾向にある。ネットを遮断して通貨を保管するなど、一般の利用者も独自の対策が必要」と話す。>

 

関係者は、それでも仮想通貨の将来性に期待しているようです。

<日本仮想通貨総合研究所の米澤遼・代表理事は「仮想通貨はIT革命の一環ととらえるべきで、まだ開発の途上。国家がどれだけ規制しても、便利と思う人がいる限り普及は続くのでは」と話す。>

 

ところで、ここからがもう一つの重要なポイントというか、課題です。

 

すでにマイニングには高速処理ができるPCが必要であることは指摘しましたが、当然、そうなると消費電力が問題にならないかとか、CO2排出量はどうかということが意識されますね。

 

マイニングの消費電力はどのくらいか ビットコイン普及の課題>では、その点をあるデータを基に、膨大な消費電力を費消する点などが指摘されています。

 

ここではもう少しマイニングの詳細な取引の仕組みが解説されています。

<ビットコインではマイニングで報酬を貰えるのは10分に1名とルールが決められています。その1名に選ばれるには他者よりも高性能な設備(多くの設備)・それを動かす為の電力が必要になります。多くの投資(設備・電力)をかけると報酬を受け取る確立が上昇するルールとなっています。>(さらに詳細がありますが省略)

 

つまり競争原理が働いているのですね。それも時間制限付きです。その意味では分ないし秒単位で、PC操作を、しかも膨大で高速な処理をするわけですから、そればかりに集中しないとできないのでしょうね。これは株式投機以上なのでしょうね。

 

ともかくこの仕組みだと次のように消費電力は累積的に増大します。

10分に1度、報酬受け取り人が決定していきますがこれはずっと継続していきますのでなるべく多くの報酬を受け取る為に常にマイニングの為のコスト、特に電力を消費しなければなりません。>

 

その消費電力については、<Digiconomisthttps://digiconomist.net/bitcoin-energy-consumption)というサイトの統計によればビットコインのマイニングに使用される年間の消費電力は201712月の報告時点では35.77TWh(テラワット 1TWh1000000000kWh)とされています。>

 

この<数値は国の消費電力と比べてみると58位のカタール、59位のブルガリアの間に位置すると言います。>大変な量ですね、まだ参加者も取引規模もこれからという段階でです。

 

次に<これらの消費電力による年間CO2排出量は17,526kt(キロトン 1kt1000トン)と算出されます。これは世界地球温暖化防止センターの2014年の統計(http://www.jccca.org/chart/chart03_01.html)を利用すれば世界の約0.05%の排出量に当たります。><第14位のイタリアでも約1%>ですので、それに比べれば、たいした比率ではないといえますが、わずかの期間にこれだけの排出量ですので、今後の増大は飛躍的になる危険性がますます大きくなるわけですから、見過ごしにできません。

 

その他ここではさらなる言及がなされていますが、私としては、金儲けの手段として参画している多くの若者に、もう少し環境や地球を考える視点をもって欲しいと思うのです。金儲けは、汗水垂らしてとはいいませんが、さほど人生にとって有意義なものではないと思えるといいのですけど。法定通貨代替機能として使われるようになれば、その範囲で一定の増減はあってよいと思うのですが、このマイニング手法は、将来的に持続性のあるものとは言いがたいと思っています。

 

今日はこれにておしまい。また明日。

 

 


農のあり方 <農業は甘くない>と<食×農×福祉>を読みながら

2018-02-21 | 農林業のあり方

180221 農のあり方 <農業は甘くない>と<食×農×福祉>を読みながら

 

なかなか宇根豊著『農本主義のすすめ』の続きに入っていけませんが、彼の説く「資本主義の限界」や「農の精神性」といったものとは少し違った視点で、今日は二つの記事を取りあげてみようかと思っています。

 

まず、<水説農業は甘くない=中村秀明>は当然の表現のようですが、いわば資本主義的農業の担い手である企業が繰り出すハイテク農業を対象にしているところが面白いです。

 

論説委員の中村氏は、野菜の高騰理由の一つに高齢化する農家の生産力の衰えを上げています。

<「レタスが423円かあ。買えないわね」

 スーパーの野菜売り場で子どもを連れた母親のため息を聞いた。野菜の高騰が長引いている。台風被害と日照不足、その後の寒波が原因だが、背景には野菜農家の生産力の衰えがある。

 生育状況を回復させ、寒さから守るにはビニールで畝(うね)を覆う「トンネル被覆」などの対策がいる。就農者の平均年齢が66歳を超えた現場では、わかってはいても素早くできる作業ではない。>

 

たしかにそうでしょう。若い世代が農地で見るのはそう多くないですね。70前後は普通でしょう。80台でも頑張っていますね。たしかにビニールを覆うのは大変ですね。私は自然農ですので、そんなことはしたことがありませんが、ほとんどの農家はやっていますね。

 

野菜作りは市場にだすようにするには、細かな作業が多いでしょう。(自家用であれば別です。宇根氏はだれもが自家栽培をと呼びかけているように見えます。)

 

では機械によって代替可能かですが、一部の農作物についてはオランダ当たりではまさにAIを駆使した工場管理農業となっていますね。わが国でもだいぶ進んでいるのかなと思っていたのですが、中村氏の指摘は逆でした。

 

<企業の農業参入として注目されるハイテクの「野菜工場」ならば、問題を克服できるという考えもあるだろう。ところが、20年近くに及ぶ各社の試みは挫折が目立つ。>

 

<制御機器製造のオムロンは1999年、北海道千歳市に海外の先端施設を持ち込んでトマト栽培を始めた。><東芝は神奈川県横須賀市で2014年から、人工照明を使ってレタス、水菜、ホウレンソウなどを作った><04年創業のベンチャー企業「みらい」は、千葉県などで野菜工場を稼働させながら、千葉大との連携で工場栽培や環境制御の最先端技術を他社に提供していた。>

 

ところが、いずれも数年もたないか、結局は法的再生を図っています。

 

興味深いのは、その理由が規制の壁ではなく、コストということのようです。

<いずれも農業にまつわる「規制の壁」に阻まれたのではない。野菜は収益性が低いのに、工場生産するには設備や光熱費にお金がかかりすぎ、採算が合わなかったのだ。>

 

<「大規模化と機械化」「法人化による効率経営」が農業活性化のカギと叫ばれるが、話はそう単純ではない。農業はたやすくもうかるものではないし、自然が相手なのでままならない面が多い。一方で、経験を積み重ね、知恵と勘を身につけた担い手の高齢化は止まらない。>

 

宇根氏は、こういった生産性や価格競争といった考え方に異論を唱え、天地自然を経済的価値から超越したものとして、農のあるべき方向として目指すことを訴えているようです。

 

それもありなんと思いつつ、次のようなあり方も多様なあり方の一つかなと思うのです。

毎日フォーラム・特集食×農×福祉 地域共生社会の構築へ>では、新たな統合?構想が語られています。

 

<政府の「地域における食と農と福祉の連携のあり方に対する実態調査委員会」座長を務めたNPO法人地域福祉研究室pipi理事長(前青森県立保健大学教授)の渡邉洋一氏から、日本の地域の状況と社会福祉が抱える問題を背景に、「食」を介した農福連携の可能性について>寄稿されたものです。

 

農・福祉はいずれも縦割り行政の下補助金に依存する状況と福祉施設での高額の内部留保と経営者の高額給与の半面、職員の低賃金といった不公正な状態、農業では高齢化で生産性の低下の中での補助金継続といった点を問題提起しています。

 

そしていま進展しつつある農福連携については期待されるものの限界があるというのです。

<農福連携への期待は、社会福祉の領域での脱・入所施設というノーマライゼーションの進展がある。そこには、高齢者の地域密着サービスへの期待や障がい者の地域移行や雇用機会への期待が背景にあって、農業と福祉を連携させることで、高齢化した農家を障がい者が援農することで解決を模索している。>

 

その限界は

<具体的には、国策の障がい者の就労支援事業のA 型の事業所では、最低賃金保障が期待されている。しかし、農業従事によって最低賃金を稼ぎ出すことは困難が伴う。実態は、施設職員が多くの労働部分を担い、しかも施設会計(補助金・寄付金他)から障がい者の賃金に加算していることが多いようだ。実態をみても、知的なハンディキャップがある人は、雑草と作物の区別が困難であるし、車椅子生活の方が農地に入ることも困難を伴うために、軽度の障がい者や職員に負担がかっている。このように農福連携の限界があることを指摘しておきたい。しかも、農福連携だけでは農の既得権益や福祉の既得権益の課題の解決にはならない。>

 

そこで食のもつ付加価値に期待が集まっているようです。

<社会福祉の領域では「食」への期待が多くある。それは、施設利用者による食品製造や販売による自立生活への期待である。例えば、ヤマトホールディング株式会社の「(株)スワン」によるパン製造と販売が著名であり、概ね月額10万円の賃金の支払いを可能としている。このように、農福連携だけではなく、「食」を組み入れることによって、地方独自の特産品を開発していくこと、自給自足・地産地消などを背景として「食の商い」という「小さな稼ぎ」が新しい期待となっている。>

 

これは拠点にとどまらず面的な広がりをもつ可能性をもつというのです。

<既存の政策や補助金の配分では解決しえない複合的で、包括的な対策となり「福祉施設をポンプ役にしたまちづくり」という地方創生モデルとなり得る可能性がある。>

 

さらに進んで<「地域における食と農と福祉の連携」>という着眼点で捉え直すというのでしょうか。

<特に「食」が持つ可能性が「農や福祉が持つ体質」を変革させて地域を活性化させる可能性が確認できた。そこには「食」が持つ伝統食や饗応の文化、本物の食い物による健康維持効果、食の場に参加することによる生きがいの創出や認知症の予防効果などがある。さらに「食の商い」という「小さな稼ぎ」は地域社会の活性化を促し、農林水産業や社会福祉の仕組みを変えて、効果的かつ効率的な経営や運営が期待できる。>

 

こういった相互作用は理解できるものがあります。

 

そして<このように、地域における食と農と福祉の協働によって、田園回帰へと巡っていき、地域活性化や都会再生や地方創生へとつながる可能性を有している>として、その代表事例を紹介しています。その詳細は関心のある方は記事をご覧ください。

 

で渡辺氏はいま検討されている2つの制度を連携させようと考えているようです。

一つは<通常国会に提出される見込みの地域再生法の改正案で「ビジネス活性化地区(BID)」が検討されている。地域の価値を高めるための住民や企業などによる地域経営を財政面で支援するため政府が制度を創設するための法律である。特定エリア内の関係者の合意などを条件に、地方自治体が地域経営の実施主体に代わって活動資金を徴収することになる。>

もう一つは<厚労省を中心とした福祉の地域包括ケアを進展させた“地域丸ごと”の住民参画型の政策において地域共生社会の構築を求めている。>

 

これらをどのように連携させようとしているかですが、

<そこで、地域共生社会という地域社会のあり方に、食(伝統食・饗応・食の商い・食による観光他)と農(農林水産の生業と役割)と福祉(相互扶助・保健医療福祉連携)によるコミュニティー(地域活性化)政策を提言したい。この「食の営み」は、小さな稼ぎやコミュニティービジネスへの期待となり、「食の饗宴」は、地域社会の活性化と絆の構築となる。しかも、BID制度を組み入れた「食の観光化」への期待としての地域共生社会のビジョンの核となり得そうだ。>

 

まだ言葉だけのイメージで、リアルな実態までは想定できていませんが、安易な合体なり複合事業でないように、さまざまな配慮が必要でしょうね。期待したいと思うのです。

 

それぞれ一時間弱で、今日は3つも書いてしまいました。その割には痺れはいまのところあまり強くなっていません。明日に影響しなければいいのですが。

 

本日はこれにておしまい。また明日。

 


農協の「不正」?会計 <コメの販売優先、会計後回し 56億円赤字のJA>を読んで

2018-02-21 | 農林業のあり方

180221 農協の「不正」?会計 <コメの販売優先、会計後回し 56億円赤字のJA>を読んで

 

今朝の朝日記事<コメの販売優先、会計後回し 56億円赤字のJA 秋田>を見て、巨額の金額に驚きました。一体どのような経緯で56億円もの赤字が発生したのか記事の内容を見ましたが、正確な事実ははっきりしません。

 

記事は冒頭で<全国の農協改革の「モデル」とみられてきたJA秋田おばこ(本店・秋田県大仙市)の失敗が波紋を呼んでいる。国による米の生産調整(減反)が昨年で終わり、農協の経営能力がより重要になる中、力を入れてきた卸会社などへの直接販売で約56億円の累積赤字を抱えた。販売拡大を優先し、適正な会計処理が後回しにされていた。>

 

巨額の赤字の経緯について記事はまず<巨額の累積赤字は、JA全農あきたを通さず、卸会社などに米を直接売る「直接販売」という取引で生じた。生産農家に「概算金」と呼ぶ仮払金を支払って米を預かり、その年のすべての米を売り切った後で精算する。販売代金の総額が仮払金や経費の総額を上回れば、おばこが農家に追加で支払う。逆に下回れば、農家から返してもらう。JAグループの米販売で広く採用されている仕組みだ。複数年にわたる収支をひとまとめにして精算し、JA本体の会計とは別に「共同計算会計」と呼ばれている。>と「共同計算会計」という特別方式をあげています。でもこれで累積赤字が生じる理由にはなりませんね。

 

その説明として記事は

< 2004年に始まったおばこの直接販売は年々拡大。当初は取扱量の6%だったが、ピークの12年には86%に。直接販売により産地のブランド力で高く売れれば、農家の収入を増やせるが、販売が振るわずに概算金が割高となり、農家から返金してもらうべき精算額が増えた。>と農家から返金してもらう金額が増えたとしていますが、それは返金してもらえばなんの問題もないわけですね。中途半端な解説に終わっています。

 

次に< さらに事務量が増えたのに電算システムが導入されず、職員数人の手作業では会計処理が追いつかなくなって、収支が把握できなくなった。その結果、正しく精算されず、累積赤字が膨らんだとみられる。>と今度は新たに導入した電算システムとか、人員不足で会計処理が間に合わなくなったと、なにか問題の本質を捉えていないように感じられます。

 

では経営組織はどうだったかですが、<理事会も、自ら定めたルールに沿って販売計画の審議や検証をしておらず、長年問題に気づかなかった。内部の調査委員会は「幹部職員や役員らのコンプライアンス(法令や社会規範の順守)違反があった」と指摘した。>つまりは形式的な理事会審議を繰り返し、決算資料の裏付けとなる原資料など具体的な収支をチェックしないできたということでしょうね。わずかな金額ならまだ許容範囲かもしれませんが、億円を超えるわけですから、100万円でも問題になるのに信じがたいですね。

 

記事の最後に指摘している<おばこは集めた米を期待した量や値段で売れず、精算を先送りした結果、赤字が膨らんだとみられる。>なぜ精算を先送りしたのか、それがなぜできたのかは、言及がないですね。

 

で、<米の取扱量が日本有数で、県内最大の組合員約3万人を抱える秋田おばこ。原喜孝組合長は20日、理事会後の記者会見でこう語った。おばこは20日、全容解明のため、弁護士と公認会計士計4人からなる第三者委員会を設置。今後、ずさんな販売管理の原因を調べ、役員の責任を追及する方針だ。>この第三者委員会の調査待ちとなりますね。

 

だいたい、JA秋田おばこ農業協同組合のホームページを見ても、一切、情報が開示されていません。3万人もの組合員を擁する組織がこれでいいのか、この状態がこういった「不適切」(ということは指摘されています)会計処理を長年継続してきた要因の一つではないかと思うのです。

 

この調査を命令した秋田県のホームページではさすがに<JA秋田おばこの不適正な会計処理について>と題して、概要が開示されています。

 

これによると、昨年9月には<9月上旬JAの内部調査で、宮城県の米穀卸売会社に対する未収金の存在と、他の取引においても多額の損失が生じている可能性のあることを確認>ということです。換言すれば、これらがそれまでの決算書類の中で隠されていたのではないかと推測できるのです。それは不適切な会計というより、不正な会計処理というべき可能性を疑っておかしくないと思うのです。

 

この後1225日に米穀販売調査委員会(以下、調査委員会)の設置され、その調査の結果、<宮城県の米穀卸売会社との取引における未収金は約17億5千万円で、うち5億円

は9月に回収済み>と上記内部監査で指摘され、ようやく一部返済を受けたようですが、残額約12億5千万円については、上記会社から疑義を指摘され、回収見込みが不透明とのこと。この未収金の有無、これまでの会計処理自体が疑問視されるでしょう。

 

で、<直接販売を開始した平成16年産米から28年産米に係る共同計算の累積赤字は、約

56億円。>で、その<主な内訳は、平成25年産~27年産が約12億円、23年産、24年産がそれぞれ約9億円、約22億円。>とそのほとんどがここ56年の間に持続して巨額の赤字を出しているわけですね。

 

その発生原因についてはまだ十分な調査ができていないという前提で、次の事由をあげています。

<過去に約1億円の未収金が発生したにもかかわらず、特定の者だけが情報を有し、内規に反する事務処理により取引を継続していたこと。

・集荷量の増大を優先する中で、米販売に関する帳簿等が未整理で、必要な電算システムも導入されず、不適正な会計処理を長年続けていたこと。

規約や職制規程等を軽視・無視した業務執行を許容していた幹部職員、役員らのコンプライアンス違反があったこと。

・理事会は機能不全の状態で、適正な内部統制が著しく欠如していたこと。>

 

こういったことは不適切を通り越して、不正に会計処理をしていた疑いが濃くなっているように思えるのです。

 

ところで、朝日記事では、農家に対して返金請求すべき金額が増えたことが巨額赤字の要因の一つになっていましたが、この問題については、どのように処理されてきたのか、調査結果では一切触れていないような県の配付資料となっています。一番肝心なところが伏せられている気がするのは私の偏見でしょうか。

 

また発覚の契機が、平成298月末に実施された<JA全国監査機構の期中監査において、米の直接販売事業で不適切な事務処理の指摘>ということですが、平成27年度までは毎年赤字を累積していて、平成28年度は赤字額の記載がないので、なかったのでしょうか、それなのによく気づいたな、それまでは逆になぜ気づかなかったのかも、気になります。

 

いずれにしても第三者委員会の調査報告を期待したいと思います。


特集ワイド 紀行作家・バードが称賛した日本 富国強兵と違う明治 貧しくとも「豊饒」 「相互扶助」根付いていた時代

2018-02-21 | 日本文化 観光 施設 ガイド

180221 バードの魅力 <紀行作家・バードが称賛した日本・・・「相互扶助」根付いていた時代>を読んで

 

今日も手の感触が芳しくないようです。とはいえ昨夕の毎日記事は、私が好きなイザベラ・バードを取りあげていましたので、少し無理して頑張ってみようかと思うのです。

 

その記事<特集ワイド 紀行作家・バードが称賛した日本 富国強兵と違う明治 貧しくとも「豊饒」 「相互扶助」根付いていた時代>は小林祥晃記者が紀行先を訪れるなどして熱い思いで書いたもののように思えます。

 

私もこれまでバードについては何度もこのブログあるいはfbで取りあげてきました。原書初版本の翻訳『完訳 日本奥地紀行』全4巻を含めなかなか全部を読み切れないでいますが、随所に彼女の鋭い洞察やユーモア、差別的取り扱いへの鋭い観察などがちりばめられていて、感心させられています。

 

さて記事ではバードの紀行文が改めて注目されているそうです。

 

<「日本奥地紀行」は、46歳の時、東北と北海道を約3カ月かけて馬や人力車で旅した記録だ。米沢盆地では、豊かな自然や農業の繁栄ぶりを絶賛した。>

 

<積雪は1メートル近いが、白壁の日本家屋の町並みが美しい。バードは道路脇に石造りの水路が設けられたこの集落を気に入り、著作でこう表現した。<低い山並みの麓(ふもと)に金山は夢に誘われるような感じで広がっていた>と高く評価しています。

 

他方で<バードは、日本の称賛ばかりではなく、山深い地方の生活や文化は「文明開化に程遠い」とリアルに描く。<(宿の部屋の)蚊帳は完全に蚤(のみ)の巣だった><男たちは何も着ていないに等しい><女たちも上半身は裸で、腰から下に身につけているもの[腰巻(こしまき)]も非常に汚く>といった具合だ。>

 

バードの凄さは、殿様が宿泊するような立派な本陣宿もあれば、蚤シラミが縦横に走る、食事もまともに出ない宿とも言えないようなところでも、それを受け入れ丁寧な観察を続けるところでしょうか。むろんアイヌの集落への道程やそこでの宿泊もとても英国貴婦人が行くようなところではなかったのです。

 

最近注目を浴びていることについて、<なぜ、注目されるのか。バードに関する論文がある文芸評論家、川村湊さんはまず、異文化に飛び込み、見たまま感じたままをつづった体験記としての面白さを挙げる。「女性芸人のイモトアヤコさんが未開の地を体当たりで旅するテレビ番組が人気ですが、バードの著作とつながりがあるように感じます。未知の土地での新鮮な驚きや発見こそ旅の原点。ネット上の観光情報に飽き足りない現代人は、そこに魅力を感じるのでは」>という解説を上げています。おそらく小林記者はそれも否定しないけど、違うと思っているのではないかと推測します。私もそうですから。

 

まず、バードはそもそも日本が平和で安全なところであることを自ら証明しようとして、女性一人(通訳の若い身勝手な男性一人が付きそう)でも、西欧人の誰もが訪れない東北の奥地へ、さらにアイヌの集落へ、訪れるのです。

 

そこはどこも西欧的な文化的・衛生的な生活環境がまったくないところでしたが、それにひるんだり、もうやめたなんて言わないで、頑張り抜くのです。話し相手も、文句を言う相手もいない、助けを求めることもできない中、新天地を目指すのです。通訳とは相性が悪く、まともに一緒に同行できる状況ではなかったと思われますが、他にそんな奥地に連れ添うような通訳は一人もいなかったのでしょう。

 

そのうえ、バードは重い持病をもちときには馬にも乗れないほどの苦痛に耐えながら、あるいは馬も登れないところでは歩いて進みながら、決して旅行をあきらめないのです。

 

バードの生きた19世紀中葉から後半は、ビクトリア時代でイギリス全盛期でしたでしょうが、ジェーン・オースティンが『高慢と偏見』で描いた18世紀末から19世紀初頭と女性の地位はあまり変わらない冷遇された時代であったと思います。それはバードより少し遅れて登場したあのピーターラビットで有名なビアトリクス・ポターも女性の自由な活動が許されない中で、自立の道を童話を書くことにより獲得したのと同じくらい大変だったことを忘れてはいけないと思うのです。

 

でもバードは断固として、一人の女性、一人の人間として、未開の土地を、ある種宣教師的な気持ちで臨んでいたのかもしれません。彼女の視線は客観的に冷静に対象を観察し、しかも背景事情をも考慮しながら、記述しており、その内容は極めて高い価値をもつと思うのです。

 

小林記者は<民俗学者で学習院大学教授の赤坂憲雄>の言葉で、バードの重要性を次のように書いています。

<バードも横浜で<印象的だったのは浮浪者が一人もおらず(中略)みな自分の仕事をもっていること>と書いている。>とか、バードは<子供の顔も、大人の顔も、すべての顔が穏やかで、満ち足りた感じがした!>と、人々が貧しくとも笑顔で生きていることにも感銘を受けた。赤坂さんは「当時の社会は、緩やかな相互扶助の仕組みを持つ、安心感のある社会だったのだと思います。乞食もいたのでしょうが、排除するのではなく、食べ物を分け与えるなど、見えないセーフティーネットに守られていた」と見る。>とか。

そして<「長い間、人々の間に根付いていた独自の相互扶助のシステム、それを壊してきたのがこの150年だったのではないでしょうか」>

 

政府が喧伝する<「明治150年」事業を行う内閣府は「明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要」>ということに対する異なる視点をバードが提供しているというのです。<バードが見た「日本の強み」は、日本人が生活の中で培った文化のように思える。>

 

得るものがあれば失うものもある。得たものだけに注目し、その原動力の輝きだけに焦点を当てるのでは、二の舞になってしまうでしょう。その失ったものをしっかりと認識し、今後の私たちのあり方にどう活かすか、が問われているのでしょう。

 

最近バードを読んでいませんので、あいまいな記憶で書きましたが、読むたびに引き込まれてしまいます。また、別の機会に違った視点で考えたいと思います。