紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

インフォメーションふたつ

2009-06-03 10:34:00 | アート
 以前このブログで紹介させていただいた写真集『浅田家』の展覧会があるので、勝手ながら案内させていたします。
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http://www.parco-nagoya.com/web/09asadake/

名古屋(パルコにて、6/12~です。もうしばらくお待ちください)、三重にお寄りの際は、是非ともお立ち寄りくださいませ。

 でも中部地方に縁のない方々には、あまり意味のない情報ですので、べつやくれいさんのニューワークについてもリンクを貼っておきます。

 なにしろ、「くす玉」の境界線を広げるという画期的な発見です。お楽しみください。しかし、相も変わらずチャレンジャーかつフロンティア精神のある方ですね~(笑) では、どうぞ!
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 「新しいくす玉」by べつやくれい 


はまりびと

2009-05-11 23:39:00 | アート
 阿曽山大噴火という人がいる。大川興行所属のお笑いの人だが、裁判傍聴マニアで、平日はほぼ東京地裁に出没しているらしい。

 でも彼の話ではない。う~ん、今日のネタは・・・?と呻吟していた(ホンマか?)とき、そういえば、阿曽山大噴火に似た名前の人いたよねぇ。誰だっけ・・・ああ、そうそう、種田山頭火や。・・・って、詳しくはどんな人?

 という疑問から出発して、ウィキペディアにGO。

自由律俳句のひと、種田山頭火は薄幸の人だ。

 元々は大地主の出身なのに、11歳で母親が自殺、父の放蕩と自身の酒癖のため破産。その後、離婚、弟と父の自殺、東京に出奔するも関東大震災で元妻のもとに逃げ込むも、生活苦より自殺未遂。もう、不幸のデパート状態だ。

 自殺未遂後、市内の住職に助けられ寺男となる。ほどなく寺を出て、雲水姿で西日本を中心に旅をし句作を行う。ふうん、根っからの根無し草らしい。

 しかし山頭火の関連項目の欄に、私の好きな日本画家、池田遙邨(いけだ ようそん、1895年(明治28年)11月1日 - 1988年(昭和63年)9月26日)の名前があるではないか。そういえば、彼は山頭火の俳句をタイトルにした絵を何枚も描いていたっけ。ついでに池田遙邨についても、どんな人なのか見てみよう。

 さまざまな輝かしい画業と業績の後に、こんな文章が。

若年より歌川広重に傾唐オた。法被姿で広重の足跡を辿り、東海道五十三次を3度も旅した。生涯、自然と旅を愛し全国を旅して回った。晩年は種田山頭火に傾唐オ、山頭火の俳句をモチーフに画作を行い、山頭火の姿で旅をした。

 広重を慕うあまり、東海道五十三次を3度も旅するなんて! しかも晩年に傾唐オた山頭火の俳句をモチーフに画作するのはわかるけれど、山頭火のコスプレ!!で旅をするなんて!

 どっぷりと濃厚にハマるひとだったのだ。ストーカー要素ありあまる人かもしれない。良く言えば「熱中くん」だ。ここはひとつ「はまりびと」という称号を彼に進呈したい。

 彼の享年は92歳。明治、大正、昭和を生きたご長寿な方だ。ひたすら好きなこと(だけ)を続けるのは、もしかすると長寿の秘訣かもしれないな。

粋すぎた世界

2009-03-20 22:47:00 | アート
 久々に家族そろっての休日。もっとも子ども達は部活や友人との約束などで外出。珍しくH氏におねだりして(いつもはH氏よりのお誘いなので)、大津歴史博物館の企画展『道楽絵はがきーコレクターたちの粋すぎた世界』に連れて行ってもらう。実はこんな機会を虎視眈々と狙っていたのだ。(そして行くチャンスがなかなか見つからず、ちょっと焦り気味でもあったのだ)

 大正から昭和戦中までの絵はがきコレクターたちが、コレクションの交換会や蒐集だけではあきたらず、自ら木版画で各々が年賀状を作成し、その優劣を競いあったりしたらしい。そんな彼らのコレクションと作品の展示なのである。

 だじゃれあり、オヤジギャグあり、見立てありで、たった2部屋だったにも関わらず、かなり長時間(1時間半以上!)に渡って、じっくり拝見した。さきにざっと見たH氏は、(いつものように)待ちくたびれていた。

 なにしろハガキだから、ちいさい。サイズが小さいので、展示品はかなりの枚数に上る。
 しかも、どこに笑いのヒントがあるのか探さなくてはならないから、一枚を見る時間が必然的に長くなる。いろんな知識を動員し、くまなく細かい所まで目を光らせるのだ。
 そのうえ、笑いは置いといて、恐ろしく優れたデザインの絵はがきもあるので、感心しつつ鑑賞しなくてはならない。2部屋どころか1部屋でも、十分疲れ果てるくらいだった。

 大正、昭和初期のコレクターたちの、どん欲に面白いことを追求し、暗い世相を吹き飛ばすおおらかなしたたかさに、敬服した。こういう姿勢はみならわないとな。私も「道楽絵はがき」に関わる一人ではあるのだし。

 同時に、この企画を通した学決ウんにも敬服した。いまこのみんなが暗い顔をして不安を抱え込んでいる時期に、こういう企画をするって、かなり意味あることだと思う。

 絵本作家(童画家)の武井武雄さんが呼びかけて、アーティステックかつ軽妙でユーモアのある絵はがき作成の会を作っていたのも知った。あの素敵なエッチングで寅年の年賀状に「トラファルガーの戦い」を描くとは・・・! 私も今年の年賀状作成のネタとして、キープしておこう、「トラファルガーの戦い」。

ドアノーを見に行く

2009-02-20 17:47:03 | アート
 ふきのとうを採取した水曜日の午後、思い立って1時に家をでて、2時前には京都駅。3時の電車で帰った。京都の「駅美術館」で開催されている「パリ・ドアノー」の写真展のクローズが今週の日曜までだったので、ご招待券を持っていた私は、なんとしてもいかねばならなかったのである。

 アトランダムなシャンソンが流れる会場は、ほどよく賑わっていて、ぎっしりと写真パネルの展示があり、もう気分はパリ町中の人である。ロマンチックな写真も撮るが、下ネタ好きな子どもがそのまま大人になったようなお茶目な写真もある。でもセンスもユーモアもあるので嫌みが無い。

 「不遜なハトたち」という数枚の連作写真の前で、思わず笑ってしまい、慎みのないところを図らずも披露してしまった。PTA的には「やあねえ」と顔をしかめるべきなのだが、あんなにPTA活動をしたにも関わらず、世に言うPTA的な人にはなれなかった訳である。もっとも私は自分の子どもがお世話になってるからという恩返し的見解や、子どもたちのためにという奉仕の精神で活動していたわけではなかったので、いたしかたないのかもしれない。

 「不遜なハトたち」という連作は、元帥や将軍などの軍人の像の頭部を汚染しつつのっかるハトたちを写したもの。像の中の一人は全裸だったので、ありえない場所にとまっているとんでもなく不届きなハトさえも。

 他にも子どもたちやお年寄りやカップル、解体される直前の活気に満ちた市場が生き生きと写されている。アパルトマンの住人たちをそれぞれ部屋ごと撮って、それをアパルトマンの写真にはめ込むコラージュという、凝った手法もある。パリの象徴、エッフェル塔の写真もエスプリがあって楽しい。コンコルド広場を行き交う人々、麗しの流しのアコーディオン弾きの女性、橋を渡る人々。あまりいい思い出はない場所なのだが、なんだかパリが好きになりそう。

 でもやっぱり一番面白いのは、ギャラリーのウインドウに飾ったお尻むき出しの絵画を見る行きずりの人々のさまざまな表情! にやにやするおじさん、顔をしかめるおばさん、わざと違う絵をみるご夫人とそのとなりで嬉しそうにお尻を凝視する夫君。なぜか驚く女性もいたな。

 というようなかなり乱暴な感想だけれど、いっとき、本当にパリの下町にいる気分を味わえた。お茶目で可笑しくて、古き良き時代のパリの郷愁もあって、ロマンチックな気分も味わえて、強引に行った甲斐がありました。
ドアノーのパリへの愛がいっぱいなドアノーの目。22日までです。

大山崎の落とし穴

2009-01-17 23:00:18 | アート
 昨日、すっかり興味を持ってしまった山口晃さんについて描かれているブログや記事などをネットサーフィンしていたら、衝撃的な事実に愕然とした。

 小さな面積のミュージアムショップで絵葉書を買った。山口晃作「日本のビール アサヒスーパードライ廿周年記念 2008」というタイトルである。一応隅から隅まで展示品は観たが、この作品は無かった。ない作品を絵葉書にするなんて「ふしぎだなあ」と、ちらっと思ったけどきちんと一巡したから、安心していた。

 そうだ、私たちは山口晃さんという男を甘く見ていたのだ。あの画風や展示内容を観れば、油断のならない男であることぐらい、ハッキリわかるはずなのに。

 旧館の2階も行ったのだ。踊り場にある、おもりの付いたヒモが時計の柱に巻き付く運動を繰り返す不思議な古い時計も観たし、2階の、特定の時間に音楽が流れる時計も観た。どちらもかなりの年代物である。しかし2階まで来たにも関わらず、年代物の調度品が置かれた、デッキ付きの喫茶室には入らなかった。もちろん入るべきだったのである!

 喫茶室に「アサヒビール大山崎山荘美術館」のために描かれた、スーパードライをメインにした作品が展示してあるとは! おのおの方、油断めさるな、とこれから行かれる方々のために、注意を喚起しておきたい。喫茶室チェックをお忘れなく! 室内もかなりステキですよ。