紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

人形遊び

2007-09-30 23:42:15 | 70’s
 私が小学生だった70年代は着せ替え人形の大ブレイクで、リカちゃんハウスなど持ってる子は、テレビの夢の世界を実現させている子だった。その頃は、テレビのCMに出て来る品物のいくつかは、田舎では雲の上(と思われた。そもそもスーパーマーケットが無かったのである。しかも商店街には玩具屋さんがなぜか欠如していた)のグッズだったのである。

 そんな時代だったので、オルゴールもまた、子供心に貴重なものだった。私が知っている限り最初に所有していたオルゴールは、水車小屋をかたどった木彫りのものだった。水車の部分をガリガリ回してネジを巻く。水車が回りながら音楽を奏でるのだ。残念な事に曲名もメロディーも、さっぱり覚えていない。

 二番目に所有したオルゴールは、ゴージャスだった。ケース入り(プラスチックだが)のフランス人形だったのだ。お姫様のようなピンクのロングドレス。栗色のいかにも70年代風のショートヘア。真珠のネックレス。少女マンガのような瞳。

 もちろん私が大人しくケースに展示されるのを見るだけで満足するはずがない。おまけに回転オルゴール人形なのである。人形の底のネジを巻いて、ときどきうっとりと「エリーゼのために」を聞きつつ、回転する人形を眺めながら、彼女をどのような人間関係の渦に巻き込もうかと企んでいた。

 私にとって人形遊びは1対1の「お母さんVS子ども」ではなく、友情と恋愛の群像劇だったので、積み木まで動員してドラマづくりに熱中した。ケースから頻繁に取り出してはネジを巻かれ、手づかみにされるため手垢がつき、髪はほつれ、苦労の多い人生を送らされたお姫様は、いつしか薄汚れて没落と転落の人生へと流されてしまったのである。今にして思えば、気の毒なことをしてしまった。

 月日は流れ、自分が娘を持つようになり、彼女も5歳にもなると「おままごと」を始めた。それは派手なおままごとで、積み木や何かで家や部屋を作り、ちいさなマスコットをずらりと並べる。そしてやはり始まるのは群像劇である。まさに因果は巡る糸車。

 私が友情と恋愛模様を繰り広げるパターンで、植物図鑑などを参考に、ひとりひとりに名前を付けてはドラマを展開したように、彼女は私が絶対覚えられず、発音すら難しい聞いた事もないような国籍不明の(しかもやたら長ったらしい)外国名をどんどん付けて、キャラクターを作ったりした。そして結婚や不倫、離婚までを射程に入れてドラマをつくっていた。

 果たして孫娘ができたとき、いったいどのような因果の糸車が巡ってくるのか、浮「ような楽しみなような。

認知症なんてこわくない?

2007-09-29 19:56:37 | 読書
 大学教授を経て、1万件の認知症の相談事例に関わった先生が本を書かれた。年齢は75歳。しかも驚くなかれ、PCで描かれたカラーマンガ! これを快挙と呼ばずしてなんといおうか。
 タイトルは『絵でみる認知症』(大國美智子/著 ワールドプランニング)

 ふつう「老人介護」とか「認知症」というと、不安感をあおられ、どうぞ自分にも身内にも、そのような不幸は訪れませんように!と、信じてもいない神様に祈ったりするものである。

 ところが、この先生の認知症理解は、すこぶるやさしい。ふわふわ、ほわほわで、まだ初期症状ながら、わがままをいうおじいちゃんが、ちびまるこちゃんの友蔵じいさんのように愛らしいのだ。なんかこう、度量が広い、というか、器がでかい、というか。そうそうスペシャリストは、こうでなくてはね。 認知症、どこからでもかかってらっしゃい的な、ほんわりとしたキュートでユーモラスな味があるのだ。

 まさかこの齢になってマンガをしたためることになるとは・・・と大國先生は思われたであろうが、このお齢で、しかも素人さんの絵が(素人さんだからこそ?)、こんなにあたたかくも楽しさにみちているなんて、誰が想像したであろうか?

 しかし認知症のお年寄りをこのようなおおらかな視点でみられるようになるには、どれほどの経験と年月が必要かとも思う。頭ではわかっていても、感情のブレーキがきかなかったり、相手も自分をも情けなく思ったりすることだろう。

 でも「介護」はやはり「家族の人間関係」でもあるので、常日頃からその辺を気にしていれば、多少はかたくなな心の筋肉はほぐれ、いくぶん広い視点で物事をみることも可能になってくる気もする。

 そういえば子育ても、似ているかもしれない。子育ては「ままならない」部分を子ども自身の意志で、いかにスムーズにもっていくかに知恵を絞る。自分の心のフォーカスも、場面場面でその都度、意識的に変化させる。
 子育てで狽チたノウハウは、案外介護にあてはめることが出来るかもしれない。ベクトルの方向が逆なので、だんだんコミュニケーションをとることが難しくなっていくのが辛そうだけれど、応用はありえるかもしれない。
 
 不思議なほんわりムードを醸すハウツー本だったので、思わず図書館より借りて紹介してしまいました。

 蛇足ながら、私がこの本を読んでいるのを見た娘は、
「おかーさん、認知症の本読んでるし、てっきりおかーさんが認知症になったのかとびっくりしたやん!」

 おばあちゃんより先に、なんでおかーさん?とも思うが、日頃の行動を観察した結果でしょう。とほほ。

爆笑問題の秘密を知る。

2007-09-28 23:43:51 | テレビ
 今日はひどい肩こりのため、いつものS整骨院に行く。実は今日に始まったことでなく、この3日ほどずっと体調不良で、強引に日常的な仕事をこなしていたのだ。

 娘の友だちのお母さんでもある先生に触ってもらうと、「わあ、すごい固いですよ!ぱんぱん!いままでこんなことなかったのに」と驚かれるほど、ひどかったようだ。指と手の力で揉みほぐしてもらうのだけど、3回ほど先生の指の関節がャLャLいうのが聴こえるくらい大変だったみたいだ。

 おまけに私はよくも悪くも暗示にかかりやすい。催眠術なんか一発でかかるタイプなんだろうな。ついでにいえば「あほがみ~る♪ブタのけ~つ」的ひっかけにはエサ無しでも釣られるタイプである。

 もともとしんどいところをなんとか気力で乗り切っていたところへ、「えっ?そんなにひどかったの!?」と背中を押されて、せっかく整骨院に行ったのに、しかも施術はかなりよかったのにも関わらず、すっかりダウンして帰宅。
 がんばって午後から小学校へ、とささやかな予定もたてていたのだけれど、午後は寝込むことに決めた。睡眠不足も解消できるし。これは大正解だった。4時よりかなり復活して、ゆっくりとのんびりと家事をすすめていった。

 お昼にNHK総合の「スタジオパークからこんにちは」を途中から、偶然見る。いつもと全然違うカオスな雰囲気。ゲストが流れを作ってしまい、司会の武内陶子さんがほとんどそのへんのフツーの女性っぽく見える(笑) ゲストは爆笑問題の太田と田中のふたりで、本日の夜に放映された「ニッャ唐フ教養スペシャル」のCMを兼ねた番組になっている。でも、たいへん面白い事実もいくつか知る。

 視聴者からの質問コーナーというのがあり、「ストレス解消法はなんですか?」という質問があった。武内さんは、まず「太田さんは?」と振る。「おれぁ~、ストレスなんてぜんぜん、ない。だから肩こりもどんなんか知らないんだよな」
 えっ?? 肩こりってストレスだったの? 私もあんまりストレスとか悩みはないほうだと思っていたんだけど・・・。

 え? ストレスないんですかぁ?と武内さんは目を丸くされていたが、内心、ま、太田さんだからね、と思われていた模様(笑) 自由奔放な太田さんを軌道修正する田中さんは、さぞかし大変でしょう?という目をしつつ、「田中さんは?」と、期待満々の武内さん。

 ところが、「おれ、もっとストレスない」ときっぱり。思いっきり空振りする武内さんに「しかも、ストレスないのにも関わらず、ストレス解消法みたいなことは、いっぱいやってるし。ゴルフとか競馬とか猫と遊ぶとか(大の猫好き!)」

 いやー、すごい人達だとは思っていたが、まさかこんなだとは。きっと「いま、ここ」で100%のことをしている二人なんだろうな。こういう人が二人そろっちゃったところが素晴らしい。しかも恐ろしいほど、的確に息があってるし。なんだ、この、間合いのよさ、ツッコミの正確さは、と思ってたんだけど、ライヴ感を第一に、その場その時に嬉々として100%出して行く人たちだったんだ。仕事の選択も主体的なものが見える。何よりとても一生懸命で真摯な「まっとう」な感じが見ていてうれしくなる。

 ストレスがない、というのは、ある種の才能かもしれないけど、自分の道さえ見つければストレス無しでやっていけるのかもしれない。もちろん、そのためには不断の努力や継続する模索や大きな決断なんかも必要だし、勇気も肝っ玉も意志力も持ち合わせていないといけないのかもしれない。

 けれど彼らを見ていると、一般的に不幸な状況でさえけっこう愉しみ、だから愚痴らずそこで100%働いていけ、でも展望のない状況には果敢に冒険して切り拓くこともできる、という柔軟で前向きな生き方を感じる。それは、彼らが「自分で考える」ことのできる人達だからこそ、できることなのかもしれない。どこからかの借り物でない、自分自身の考える力は、自転車のように小回りがきき、どんな小径だって走っていける。「自分の頭で考えること」は、こんなに便利なものなのに、乗っている人は少ないのかもしれない。

らもと道連れ

2007-09-27 23:54:38 | 読書
 中島らもの最新刊『ャPットが一杯だった頃』(白夜書房)を注文買いした。らものファンでもないのに、なぜ単行本未収録原稿のエッセイや対談を集めた本を買ったのか?

 それは山岸涼子先生との対談「超大作『日出処の天子』は何だったのか?」があったからに他ならない。もちろん私は超大作『日出処の天子』は繰り返し読んだクチである。最後の方は単行本になるのが待ちきれず、少女漫画誌『LaLa』に掲載されているのを毎月出るのを首を長くしては買って読んだ。

 しかも、主人公である厩戸王子(うまやどのおうじ=後の聖徳太子)の悲劇的な結末に納得できず、山岸先生に「先生が甘いハッピーエンドをお嫌いなのは知っておりますが、そこをなんとか王子を幸せにしてあげてはいかがなものでしょうか」と懇願する日本中の『LaLa』読者のひとりでもあった。

 対談を読めば、あのシビアな山岸先生も王子はせめて恋愛面だけでも成就させてあげればよかったかも、というようなことをおっしゃっていたので、それだけでもうれしい。たとえハッピーエンドに描き直されることがなくても、ハッピーエンドもありか、と作者が思っているとわかっただけで「王子、よかったねっ!!」と幻の結末を思い描いて喜んだのである。

 中島らもがこの本で対談しているのは山岸涼子先生の他に、藤原新也、南伸坊、石毛直道、田村隆一という、錚々たるメンバーである。文句のつけようがない。誰一人外れないどころか濃いキャラばかりなのに、すごいバラエティである。凹凸のはげしい山道をマウンテンバイクで疾走するようなエキサイティングな対談のかずかずである。

 だが私が思うに、中島らものファンがこの2千円以上もする本を買うのは、付録目当てかもしれない。私のように見境無く注文してから、げっ、2381円プラス税!?とかいう、うかつなことはしないだろう。それも、よくわからないままに購入した高額な本に付録がついているのを知ったのは、購入した翌日という迂闊さである。

 その目玉らしき付録とは、CD。それもタダのCDではない。秘蔵音源・FM大阪『月光通信』らものラジオコント30本収録、というものらしい。うっかり迷い込んだ小径の果てに、偶然心そそられる建築物に行き当たったようなラッキーさである。

 ところで3年前、中島らもが階段から落ちて亡くなった、そのほんのしばらく後に、イシオカ書店の店長も亡くなった。中島らもと前後して亡くなられたという偶然は、実はすこしばかり私の心を軽くした。旅立ちの道連れに中島らも、というのは、いかにも店長に似合ってる気がしたからだ。

 そういえば、世を拗ねた感じ、とことんゴーイング・マイ・ウエイな生き方、突き放すような醒めたような、それでいてピュアで、「あかんやろ~そんなことしてたら」といつまでも言われそうなとこ、似てるのかもな。意外に天国の方が合っていて、打って変わってにこやかに上機嫌で過ごしてるのと違うやろか? なんせ「酒はうまいしネーチャンはきれい」なとこやからな、天国っちゅーとこは。

名月と応援合戦

2007-09-26 21:10:06 | 季節
 きのうは道行くおばあちゃん&幼児、もしくはおじいちゃん&幼児、あるいは母親&その子どもたちが、手に手に1本ススキを持って歩いているのを見かけたので、中秋の名月の日だと気付く事が出来た。どこかの穴場の道端や、ちょっと山沿いの道まで行けば、ススキは簡単に手に入るのだ。と、思ったのだが。

 それにしても、皆さん、申し合わせたように1本ずつ手に持っていらしたけど。なんだかお店の「1日限定ススキのサービス」みたいな気もしてきたぞ。そんな粋なお店はどこだろうな?

 満月のお月様は皆さんのご期待に大いに応えてくれ、耿耿(こうこう)とした光を放っていた。

 また、きのうは3連休明けで久々の登校だった。しかも各地域の小学校では、この3連休中に運動会が行われたようだ。中一生徒たちは、昨年まで所属していた母校の小学校の運動会を(定期テスト前だというのに!笑)見に行った子がちらほらといたらしい。

 クラスをまたぐ同級生の、網の目のような人脈を駆使して、Kちゃんは「各小学校における応援合戦の傾向」をリサーチしたらしい。その報告を記しておきたい。

 「おかーさん、やっぱりどこの小学校の応援合戦も『小島よしお』の『そんなの関係ねぇ~!!』を使てはったで!」
 「小学生は、流行りもん、好きやもんなあ」
 「そんなかでも、KH小学校が一番やったな。まず、応援団長が、いきなり『かまはる』ねん。」
 「えー、いきなり噛まはるの~? あかんやん~」

 「ほいでな、『へたこいた~~!』って団長がいわはるねん。それを合図に『そんなの関係ねー!」ってみんなで叫ばはったんやて」
 「うまいなー」
 「うまいやろ~? 撃ェ細かいやろ?」

 お笑いには一言も二言もいいたいKちゃんを唸らせたKH小学校高学年の諸君、君たちの将来は明るい!